わし、ひらめく
その日の朝から軍人は精力的に外に出かけるようになった。わしはガラス磨き職人に酒をおごり始めた。そうしてしばらく月日が流れた。依頼はいつの間にか取り下げられていた。わしは日々酒を呑み執筆をしていた。その頃書いていたのはまたこの文章とは違うものである。そんなある日のことであった。教会から新しい動きがあったのは。
わしが珍しく執筆に注力していると、鐘が三回打ち鳴らされた。やれやれと思って筆を置き、立ち上がるといつも“猫”と教会の橋渡しをする馴染みのハドロフと言う名の神父がここの主人と並んでこっちを眺めていた。わしは歩み寄って話しかける。
「これはハドロフ師、何か御用でしたか」
「うむ、お主に依頼があるのだ」
「わしにですか?」
わしは引退した身である。それをわざわざ引っ張り出すとはよほどのことであった。わしの心に暗雲が立ちこめ始める。それを悟ったのかハドロフ神父はにこやかに笑いかけてくる。
「この依頼は、体よりも頭を使う依頼でな。お主のような奴がよほど適任なのだよ」
そういってハドロフ神父は理由を説明する。しかしわしの心は晴れなかった。
「しかしのう。わしが引退したのは事実ですからな」
「手当ははずもう」
「もう欲はありませんが……」
そうは言ったが、ふと思い出したのはあのガラス職人の男への貸しである。奴の飲み食いはわりとわしのさして豊かでもない財政を緊迫していた。わしは思い直す。
「ま、話ぐらいは聞きましょう」
「そうか。話を聞けば受けると思うぞ。お主はそう言う話が大好物だと言うことは知っておるのだからな」
「左様ですか。とにかく話を」
以下にその話を書き留める。
隣国のことは知っておろう。そうずっと仲の悪かった隣国じゃ。昨日そこの軍人が我が教会にやってきた。私らは驚いたよ。新教である隣国の軍人が、うちのような旧教の教会にやってくるなんてな。しかし、話はもっと驚くべきことだった。
“魔術との関わりを教区の枢機卿猊下に指摘されたくなければ、この教会に蒐集(しゅうしゅう)されている賢者の石を譲って欲しい”
何を馬鹿なことをと思ったが、聞いていた一人の司教が顔色を変えてな、後で問い詰めてみたところ賢者の石は我が教会にあると言うではないか。そうして魔術嫌いのアンゲスト枢機卿に知られたのならば、何が起こるか知れた物ではないということも。軍人の滞留先は知っておる。ここじゃ。とりあえず交渉に来たのだが、私一人では心許なくてのう。そこでおぬしのように智恵あるものにいて欲しいのじゃ。
「智恵あるものとは、また過剰な評価で」
聞き終わってわしは感想を言った。
「事実私はお主を買っておる」
神父はわしにそう言った。けれどもわしは居心地悪く返す。
「まあ悪い気はしませんがな。どうも背中がむずがゆい」
「で、受けるかね。受けないかね」
「話を聞いた手前、受けないわけにも参りませんでしょう」
「そうじゃのう」
とぼけたように神父は言った。事実このまま受けないという選択は身の破滅すら招く。なのでわしは聞こえるように言ってやった。
「まったく、どっちが智恵あるものなのやら」
「私のはただの悪知恵だ」
神父の言葉にわしは慇懃(いんぎん)に礼をする。
「さようで。とりあえずその軍人に話を聞く前に作戦を練りましょう」
「うむ、期待している」
こうしてわしと神父はわしの席に座って作戦会議をすることになった。もちろんわしがあの軍人と裏で繋がっているということは伏せてである。ここいらへんの取り回しは慎重にやらなくてはならなかった。
「で、どうされたいのですかな」
「うむ、まずアンゲスト枢機卿には知られたくない」
「そして」
まあそうだろう。わしはハドロフ神父を促した。
「賢者の石も手放したくない」
「暗殺でもするのですかな?」
わしが笑ってそう提案するとハドロフ神父は参ったように声を出す。
「いいや、隣国との関係も壊したくない」
「それは難問ですな」
聞いてわしは腕を組む。神父は困ったように言った。
「故に智恵あるものの力が必要なのだ。この件を穏便に、穏便に済ますためにはな」
「ふむん」
わしは考える。依頼のことではない。軍人のことである。聞いた話だとだいぶ危ない橋を渡っているようだった。軍人の執着は本物である。できることなら叶えてやりたいが――。どうしたものだろうか。
「何を考え込んでいる?」
考え込んでいると、ハドロフ神父から不審の言葉を掛けられ、わしは思考を一旦脇に置く。そうして神父の顔を見た。ふむ。何か隠しているのでは。わしは思った。どうやら、この神父はもう少し揺さぶってやる必要があるだろう。わしは言った。
「ところでその賢者の石とやらですが、本物なのですかな?」
「お主、疑うのか?」
わしの言葉を聞いてハドロフ神父が睨んだのでわしは庇うように手を上げた。
「いやそんな大層な物がなぜこんな町の教会に保管されているのか、と思いましてな」
「確かに。そういえば私もそれが本物かどうかは知らぬ」
「確かめるにはどうすればよいので?」
「うーむ。なにか奇蹟を起こさせるのが手っ取り早いのう」
奇蹟。孕んだ人形。これだ。わしはピンと来た。内心の企みを悟られないようにわしは声をひそめてハドロフ神父に言う。
「では、それを確かめるのが先決かと」
わしに同調するように神父も顔を近づけ声をひそめる。
「確かに。しかし、何に奇蹟を起こさせるかが問題じゃ」
「奇蹟の当てならありますぞ」
「なんと」
驚いた顔をした神父にわしはにんまりと笑いかけた。
「孕んだ人形、というのはいかがでしょう」
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