夜の拝礼

 わしの言葉にハドロフ神父は恐れおののき、椅子を引いて叫ぶ。

「は、孕んだ人形だと? そのような人形がこの世にあるのか?」

「さよう」

 ハドロフ神父の言葉に恭しく私は頭を下げる。

「信じられぬ……」

 わしの言葉にどこか呆れたようにハドロフ神父は言った。そんなことにお構いなくわしは言葉を続ける。

「それで試して見るのがよろしいかと」

「しかし孕んだ人形とは、よくもそんなものを思いつくのう」

「わしが思いついたわけではありませぬ」

 孕んだ人形の話をしてからずっとどこか呆けた様子の神父の物言いにわしはいささか憮然として言った。

「これは失敬。しかし、うーむ、まあ……のう……」

 まだ考え込むハドロフ神父にわしは言った。

「人形は人の完璧な似姿でなければなりませんでしたかな?」

「そのようなことはないが、孕む人形とは私の想像の外じゃ」

「人が孕むのなら、人形もまた孕みましょう」

 ずいぶん人形の肩を持っているなと思いながらわしは言葉を紡いでゆく。これも以前見た夢のせいだろうか。

「うむ……。そうか、のう?」

 曖昧な態度のハドロフ神父にわしはだめ押しするかのように宣言する。どうも人形のことになると早口になっていけなかった。

「とにかくわしには奇蹟の当てがあります。それも早急に用意できます。あとは教会側がそれを受け入れるかですな」

 わしの言葉にハドロフ神父は考え込む。

「うーむ、とにもかくにも一度帰って相談してみよう」

「軍人と話をするのはよいので?」

「あとまわしじゃ」

「それがよろしいかと」

 わしがそういうと神父は立ち上がる。わしは“猫”亭の入り口まで神父を送っていった。ハドロフ神父が姿を消すとわしは自分の席に座り込み、さて、と考える。次はあの軍人を説得せねばなるまい。いつの間にか深く関わりになっていることに苦笑しながらわしは立ち上がる。案外おせっかいな性格をしているのだな、わしは。そっと二階に上がり、軍人の部屋を訪ねる。ありがたいことに軍人は部屋にいた。

「なんだ。まだ用事か?」

 訝しそうに睨む軍人にわしは努めて朗らかな声で言った。

「いえ、朗報がありましてな」

「朗報だと?」

「はい朗報と言うより吉報かと」

「……入れ」

「それでは」

 促す軍人にわしは一礼をして部屋に入る。そしてさきほどの神父とのやりとりを軍人に全部説明してやった。


「ここまで深く関わるつもりはなかったのですが。良い考えだと思いましたので」

 話し終わってわしは軍人の様子を窺う。話してしまえば独断専行も良いところの話である。軍人はわしが話をしている間中ずっと渋い顔をしていたがやがて納得したように頷いてくれた。

「奇蹟の試しとして俺の娘を使う……か。勝手に話を進めたのは気に入らぬが、まあいいいだろう。ところでその賢者の石、本物なのだろうな」

「本物でしょう。でなければ人形が自ずから求めはしませぬ」

 わしは先日の夜のことを思いだして言った。確かにあの人形は教会の方に向かって進んでいた。軍人もそれを思い起こしたのだろう、腕を組み唸った。

「むむ。確かに」

「まあ、教会が偽物を出してくる可能性もありますが」

「そのときは娘が見破ろう」

「然り」

 男の言葉にわしはうなずいた。男は言葉を続ける。

「……つまり、あの教会にある賢者の石が本物だと知っているのは俺たちだけなのだな」

「はっきりと言ってしまえば人形、いいや、そなたの孕んだ娘だけですな。知っておるのは」

 男の言葉にわしは言う。

「ふむん」

「いかがいたしますかな」

 わしは上目遣いで軍人に尋ねる。

「乗った。独力で教会を揺さぶるのも限界がある」

「さようで。ではそのように話を進めたいと思います」

 やはり賢者の石を手に入れるというのはこの軍人の独断であったか。わしはそれに納得し、頭を下げる。

「任せた。それと約束の報酬はお前に渡そう」

「そうですか、それでは遠慮無く」

 わしは軍人から金貨の袋を受け取った。礼儀だ。その場で中身を確認する。金貨五十枚。たしかに袋に入っていた。数え終わると軍人が促す。

「行け」

 そんな軍人にわしは聞いてみた。

「……ところで、その娘からは一体何が生まれるのですかな」

「……知らぬ」

 わしの問いに軍人はどこかぶっきらぼうに答えた。


 ハドロフ神父が再びわしを訪ねてきたのは、その次の日のことだった。

「話し合いが決まった」

「いかがでしたかな」

「その前におぬしに問う、その奇蹟。本当にすぐに用意できるのだろうな」

「もちろんでございます」

 わしは答えた。ハドロフ神父は言う。

「では時間は今日、日の沈んだ後じゃ」

 決まったか。わしは軽く安堵した。だがそれを悟られないようにしなければならぬ。それと一つのお願いを。わしは神父に質問する。

「立会人を連れて行っても構いませんかな」

「大勢か?」

「いいえ、人形の持ち主一人といった所です」

 ハドロフ神父の問いにわしは答えた。

「そうか。ならばよろしい」

「ありがたいことで」

 わしはハドロフ神父の裁量に感謝して礼をする。

「ではわしの用件は終いじゃ」

「さようですか。ああ、ハドロフ師」

「なんじゃ?」

「せっかくですから一杯いかがですかな?」

 わしは神父を呼び止め誘う。めでたく契約も結ばれたところで、わしはひそかに祝杯を挙げたかったのだ。神父もそれとは知らずに付き合ってくれた。


 その夜、わしは変装をさせた軍人を連れて、教会へと向かった。鞄も軽く偽装して遠目にはそれと気づかれないようにしてある。軍人は教会への交渉にも鞄を持参しただろうから細心の注意を払う必要があった。

「その者か。奇蹟の人形を持つ男とは」

「はい。さようで」

 わしはさきほどはどこか緊張した面持ちのハドロフ神父に答えた。軍人は無言で姿勢を正す。軍人らしい所作にわしは少し肝を冷やしたが、暗がりの中、蝋燭の明かりだけではそれとは気づかれなかったようだ。

「中へ入るがよい」

 促されるままにわしらは教会の中に入る。蝋燭でわずかに照らされた内部。わしも夜に教会に入るのは久しぶりだった。まず目に入ったのは白いフードを被った昼とは異なる異様を見せる教会関係者達。こいつらはみな魔術関係者か。そして相変わらず存在する十字架に掛けられた“彼の物”のイコン。しかし今日はその前に“彼の者”を阻むように机が置かれその上に大きな白木の箱があった。あれか。確かにガラス磨き職人の男の証言とも一致する。では中身は賢者の石か。わしは人知れず唾を飲み込んだ。

「これより試しの儀式を行う。人形を前に」

 白フードの男――おそらくガラス磨きの男のところに賢者の石を間違えて持ってきたビスト司教だろう――が厳かに声を出した。なるほど、司教と言うよりこういった魔術めいた儀式が似合う男である。わしは無言で軍人を促した。軍人が鞄から人形を取り出し箱が置いてある机の上に載せた。

「これは……美しい」

「なんと」

「見事な魔術の品」

「これは聖母像ではないのか? このような物を試しに使うとは、罰当たりな行為ではないのか?」

 皆は孕んだ人形を見てざわめいた。しかし、その中で一人冷静なものがいた。

「のう、これは、本末転倒ではないか?」

 やはり隠しおおせなかったかう。ハドロフ神父がわしの耳元で囁くように言った。まあ神父の疑念は当然だろう。交渉相手であるはずの当の軍人をわしが連れているとあっては。

「おや、やはり、気づかれましたか」

 しかしわしは軽く笑って同じように囁き返す。

「あの鞄、あの持ち手、見間違えるはずもない。おぬし、軍人と裏で繋がっておったな。騙したのか?」

「いえ、これが両者にとっての得というものです」

 ハドロフ神父の問いにわしは自信たっぷりに囁き答え、さらに囁きかける。これは軍人のためではない。教会のためでもあると言うことを伝えなくてはならない。

「隣国の軍人は目的を果たし、賢者の石は手元に残る。しかも真偽が判明する。おまけに奇蹟まで見られる。良いことずくめではないかと」

「勝手に妥協点を作りおって……」

 わしが囁き終えると神父は呆れたような声を出した。わしは念を押す。

「これがわしが出した知恵です。いかがなさりますか神父殿。感極まっている様子の司教様にいまさら言いつけますかな?」

 わしの囁きにハドロフ神父は少し考え込むが、やがて諦めたように言った。

「うむむ、ここまで来てしまえば仕方ない。今回はお主の考えに乗ろう」

「それはありがたいことで」

「ただし、報酬は無しじゃ」

「……しかたありませぬな。奇蹟が見られることを報酬と致しましょう」

 わしは言った。報酬なら軍人から貰っているし、ハドロフ神父のほうもわしに支払うはずだった報酬を懐にまんま入ることができるというわけだ。口止め料としては妥当なところだろう。そうこうしているうちに調べが終わったようだ。辺りは静寂を取り戻していた。

「確かに魔術の品だと言うことを確認した。ではこちらも“石”を出そう」

 沈黙を破るようにフード姿の司教は大仰に言い、ひとりのやはり同じフードを被った男が箱を開ける。鈍い輝きがわしの目を射た。これが賢者の石の光か。そのほのかな光は、辺りを照らし、人形の顔をも照らし出す。

 光を受けて、人形のまぶたが僅かに開いたような気がした。幻覚か。そう思ったとき、人形が動き出した。両手を腹に手を置いたまま、カタカタと賢者の石に近づき、そこで膝をついた。しばらくの静止。わしは幻を見ているのではないだろうか。やがて人形が立ったまま力み出した。人形は声こそ上げなかったが、その場にいる誰もが全て、彼女が何事かを生み出そうとしていることを共有した。わしもいつの間にか手を握りその中に汗をかきながら、人形の行く末を見守った。

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