孕みし人形

 カタ。カタ。

 そのような音で目が覚めた。まだ日は昇ってはおらず部屋は真っ暗だった。夜中に目を覚ますのはわしぐらいの年になると珍しいことではなかったが、物音で目を覚ますのは久しぶりだった。特にここに寝泊まりするようになってからは。わしは暗闇に目が慣れるまでじっとしていた。自分本来の力を取り戻すまでは下手に動かない。それが長年の経験でわしが学んだ教訓である。


 カタ。カタ。

 音は止まず、それどころかどんどんこっちへ近づいてくる。どうやら廊下を進んでいるようだ。だいぶ目が慣れてきた。わしはベッドから起き、少しの間思案する。今廊下を進んでいる何かをドアを開けて確認するのは簡単だが、果たしてそれをしてしまっていいのだろうか。とタタタと規律正しい足音がして、カタカタとする音はぴたりと止んだ。ちょうどわしの部屋の前だった。よかった、今度はどうやら人らしい。それもおそらくはあの軍人。規律正しい足音と、ここ何日かで知った軍人が泊まっている部屋の位置からわしはそう推測した。

 ちょうどいい。あの軍人には話があった。わしは歩くとドアを開ける。果たして軍人はそこにいた。彼は屈んでおりそして何かを大事そうに抱きしめている。

「誰だ」

 誰何(すいか)の声がする。わしは答えた。

「昼に貴方と話した弁士ですよ。代筆もやっておりますが」

「今の俺を見るな」

「ふむ。賢者の石について話を仕入れてきたのですが、それでも?」

「……」

 軍人はわしの言葉を聞いてすくっと立ち上がった。後ろ手に何かを抱えている。暗がりなのでよく見えない。

 しかし。

 一瞬見えたレエスの淀んだ白い輝きは隠し通せなかった。どうやらあの鞄の中身らしい。ふむ。あれは魔術の物か。それとも。思考を巡らせていると男が言った。

「それは、本当か?」

「ええ、確かな筋からの」

「部屋で聞こう」

「よろしいので?」

 わしは尋ねた。軍人は口元をゆがめて言った。

「毒喰らわば皿までだ。それにおぬしは私の秘密を知りたがっているようにも見える」

「お見通しでしたか」

 わしが恭しく言うと今度こそ軍人は口元をほころばせた。

「それに私も秘密を隠しておくのに疲れた。情報の対価として供しよう。それでいいかね」

「……わしは構いませんが」

 すまんとわしはあのガラス磨き職人に心の中で謝罪した。替わりに一週間分ぐらい酒代を肩代わりしてやるか。わしは心の帳簿に貸し借りを記帳した。あとで正式に記入しておく。

 二人縦列になって軍人の部屋へと向かう。縦列になるとき、男は手に持った物をわしに見えないように動かした。しかしまた一瞬レエスの白い輝きが見えた。そして白とはまた違う白の色。あれは肌の色か。だんだん男が手に持っているのが何であるかがわかってきた。人形だ。それも魔術の品。ならば動きもしよう。わしは心の中で得心(とくしん)した。


「先に入れ」

 手の先を暗闇に溶け込ませながら軍人はわしを促す。外からでもわかっていたが部屋には明かりが灯っていた。覗いてみると机の上に燭台が置かれ、あちこちに蝋のしずくが垂れている。きっと目覚めて男は今その手に持っている物を部屋中探したのだろう。――そうして部屋の外で見つけたというわけか。わしは再び得心し、自分の想像が現実となることに満足した。

「どうした? 早く入れ」

「これは失礼」

 わしは満足心を消し、部屋の中に入った。男もすぐに入ってくる。そうしてバタンと扉は閉じられた。そうして隠さなくて良くなったのか、男の手の先も蝋燭の光に照らされる。

「ふむ」

 わしはうなった。軍人の男が持っていた物はまさに至高の芸術品と言っても差し支えのない完璧な人形だった。もっとまじないめいた物だとわしは予測していたのだがそれは裏切られた。男は人形をゆっくりと鞄に座らせる。まるで動いているかのようにその人形は股関節を曲げ鞄の中にちょこんと腰掛けた。

「話を聞こう」

 わしが人形を見つめていると男は言った。

「いいでしょう」

 わしは男の秘密を知ったことに満足し答えた。そうして男に先ほどのガラス磨き職人の話を伝えた。


「教会か。これは盲点だった」

 聞き終えて男はそう言った。

「わしも聞いたときは驚きました。魔術嫌いの主教の元にいる司教様がその類な物を裏で集めているとは」

 わしは思った通りのことを答え、続けて男をせかす。

「では、報酬をいただきたいですな」

「そうか、ではしばらく私の娘を見るが良い」

 そう言うと男は腕を組み押し黙る。わしは人形の側に寄りその姿を改めて観察した。実に良くできている。わしは感心した。白い肌に半ば閉ざされた琥珀色の瞳が美しい。花嫁姿のその人形の髪は衣装に隠されており、髪色はうかがい知ることは出来ない。そしてその体は――。

 おや。

 そこでわしはある違和感に気がついた。口に出して言う。

「腹が、たいぶ膨れておりますな」

「妊娠している」

 男は囁くように言った。冗談を言っているのかと思ったが、男の目は真剣そのものだった。男は続けて言った。

「娘が孕んでいるものを生み出すために賢者の石を必要としているのだ」

「なんと、そうでしたか」

 わしは驚きを内面に押し隠し男に向かって大仰に返す。そうしてちょっとしたことを思いつき男に言った。

「しかし、この人形――彼女は知っておったようですな。賢者の石のありかを」

「何故わかる」

 わしは男の問いにこう答える。

「歩いて行った方向がちょうど教会がある方向でしたゆえ」

「なるほど」

 わしは男にやり返した気分がして少しすっきりとした。とはいえ教会のある方向など異邦人である男は知るまい。この勝負は始めっからわしの負けである。

「それにしても動く人形は見たことがありますが、ここまで精巧な物は見たことがありません」

 わしの言葉にに男は向きになって返す。

「人形ではない。娘だ。たまたま人形の姿をしているだけだ」

「……さようで」

 わしは男の目をじっと見る。そこに狂気の色は見えなかった。男は目を伏せ言葉を続ける。

「ずっと妊娠したままの娘が哀れでならない」

「妊娠されてから如何ほどですかな」

 わしは尋ねた。

「十年はそのままだ」

「ほう」

 確かに長い年月だった。十年と言えばちょうど先の戦争も終わりに近づいてきたころだったはず。わしは人形を見つめる。確かに美しさの他に苦しみも伝わってくるような、そんな表情だった。

「十年前、貴方の身に何かありましたかな?」

「詮索するつもりか?」

 男は声を荒げる。これ以上は確かに深入りしすぎだろう。、わしは立ち上がって言った。

「失礼しました。では、わしはこれで」

「うむ、あと、このことは当然のことだが……」

「わかっております」

 わしは恭しく礼をした。もとより話すつもりはなかった。今こうして書き記しているではないかと思うかもしれないが、それにはこの男の了解を得てのことなので読者諸氏も安心して構わない。そうしてわしは軍人の部屋を辞し、自分の部屋に戻ってきた。

 ベッドに横になってさきほどの出来事について考える。

 娘か。

 確かに、そこまでの執着を許す人形であった。わしは寝返りを軽くうった。

 それにしても、妊娠した人形とは聞いた覚えがない。そして情報を得てこれからどうあの軍人は動くか。そんなことを考えながらわしは眠りに落ちていった。


 夢を見るのはいつものことだったが、今日は変わった夢を見た。それはさきほど軍人の部屋で見た人形の夢であった。人形はあの部屋で見た姿よりも美しく、完璧に思えた。孕んだその姿もその重みや辛さに耐えているその姿も、聖母のように思われた。なぜ世の中の人形は孕まないのか、不思議に思えたほどである。そして人形はわしに救いを求めていた。孕んだ子をこの世界に生み出したいと心から願っていた。夢の中でわしは尋ねていた。

「この世に生み出したい物とは何じゃ? 人形よ」

「この世界を転換させるに足る、あるものでございます」

 人形は伏せた目のまま口元を動かさずに言った。その姿はどこか泣いているようにもわしには見えた。

「なんと。しかしわしにどうしろというのじゃ。人形よ」

「助力をお願いしたいのです。このわたしをご覧になったあなたに」

「しかし……」

「どうか、どうか、お願いいたします。父にお力沿いを」

 わしがどう返せばいいのか戸惑っていると、人形はその言葉を繰り返す。そのまま思考が曖昧になる。それで夢はお終いだった。わしは目を覚ます。

「……」

 老人の朝は早い。まだ日は差してはいなかった。奇妙な夢だった。だが不思議と納得はしていた。あれ程の人形ならば夢に入り込みぐらいはするだろうと。ふむん。わしはしばし暗闇の中考え込んでいた。

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