美冬

 秋人を見送ってから、美冬は森の奥にある小さな泉のほとりにやって来る。


 この泉はいつも滾滾こんこんと水が湧いている。


 美冬は泉の淵にしゃがみこみ泉を覗くと水面には年頃の娘になった自分の姿が映る。


「久しぶりに会いに来たと思ったら、この村から出ていくだなんて……」


 美冬は一人呟く。空を見上げると雪がハラハラと舞い降りてきて美冬の顔に当たって溶けていく。


 ここは美冬一人しかいないので、言葉はすべて独り言だ。


 けれど、美冬は森の木々に話すように言葉を紡ぐ。少し雪を被った木々は時折さわさわと葉を揺らす。


「そんなことなら言いに来なくてもよかったのにね」


 美冬はぽつりと言葉を落とす。


「……ううん。でも、会えて嬉しかった」


 美冬は逞しく成長した秋人の姿を思い出す。そして、少し低くなった声も。そのすべてが美冬の心を震わせる。


 何とも言えない温かい気持ちが溢れ出る。今まで感じたことがない気持ちだ。


 それを遣り過ごして、美冬は昔のことに思いを馳せた。



 昔、美冬は気がついたらここにいた。そして、やって来る村人たちの村の安寧を願う気持ちに応えてきた。自分はそうするために存在するものだとわかっていたからだ。


 そうして、長い年月が経ったある日、一人の子どもが森に迷い込んできた。


 美冬には実体がなかった。今まで必要でなかったからだ。


 けれども、泣いている子どもを見て、なんとかしてやりたいと願った。すると、子どもが美冬を見つけて安心したように笑った。


 子どもを森の外まで案内した後、泉を覗いてみると、水面に子どもと同じくらいの年の少女が映っていた。


 それから、森に子どもが迷い込んでくると姿を現し、話したり遊んだりするようになった。そして、大抵その子たちは何回か遊ぶと来なくなった。


 けれども秋人は、ある夏にひょっこり現れて、季節が3回巡ってもまだ来ていた。始めは毎日のように来ていたが、学年が上がると忙しいのか週末しか来なくなった。


 それでも学校が休みの日にはやって来て、美冬の知らない学校のことなどをいっぱい話してくれたり、木に登って鳥の巣を覗いたり、2人で楽しく過ごした。


 それが、ある日を境にピタッと来なくなった。きっと大人にばれたのだろう。ここは聖域だから。


 美冬は寂しさを覚えたが、仕方のないことだと自分に言い聞かせ、秋人がこの村で穏やかな日々を過ごせることを祈る日々を過ごした。


 そして、久しぶりに大きくなった秋人がやって来たのだ。


 その時美冬が感じた喜びときたら。



 思いを巡らせていると、空が明るくなってきた。夜明けが来る。


 今日、秋人はこの土地を離れる。美冬が守るこの土地を。


 ここを動けない美冬は見送りには行けない。だが、せめて無事に新しい土地に行けるよう、雪を降らすのを止めよう。


 美冬は天に祈った。


 やがて、雪は止んだ。けれども、次はシトシトと雨が降ってきた。


 そして、美冬の瞳からも涙が止めどなく溢れてくる。


 言い様のない寂しさが胸を駆け巡る。


「秋人、ごめんなさい。この雨は止められない」


 せめて、この雨が雪を溶かし、あなたを優しく包み込みますようにと美冬は祈った。


「わたしを忘れないで。必ず、必ずまた会いに来てね」


 美冬は目を閉じて空を仰いだ。


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雪を溶く熱 万之葉 文郁 @kaorufumi

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