雪を溶く熱
万之葉 文郁
秋人
秋人の母親はこの土地の人間だ。けれども父親は余所から来た人間で、10年前に母親が死ぬと、もともと仕事の都合で家を空けることが多かった父親はこの村を疎んでますます家に帰って来なくなった。秋人は祖母の家で暮らしていたが、高校入学を機に街に出て父親と暮らすことになった。
土地の人間とも余所者とも言えず中途半端に扱われ、それほど土地に愛着がなかった秋人は、村を出ることに抵抗はなかった。
けれど、ただ一つだけ心残りはあった。
サクサクサク
秋人は小気味良く雪を踏みしめながら歩く。
時間は夜の9時過ぎ。
祖母が寝入ったのを確認してこっそり出てきた。父とは明日、引っ越し先の最寄り駅で会うことになっている。
今日の昼間から降り始めた雪は明日には大雪になるらしい。3月も終わりのこの時期には珍しいことだ。
道路はすでに雪に覆われていて、秋人の後ろには歩いてきた足跡だけが連なっている。
雪はシンシンと降り続いているが、風がないので苦ではない。雪国育ちの秋人にとっては慣れたものだ。ファー付きのフードを被れば寒さも然程感じない。
夜中でも雪が街灯の光を反射してほの明るい。
やがて、秋人は村の外れにある山の入り口に着く。上を見上げると石の階段がずっと暗闇に続いている。
ここは鎮守の森と呼ばれる山で土地神が祀られている。この石段を昇りきった先に
秋人がここに来るのは小学6年生の夏以来だ。小学校の頃はよくこっそり遊びに来ていたが、ある日祖母にそれがばれてひどく怒られた。
その時の祖母は普段の温厚さは全くなく正に鬼のような形相だった。それ以来この山に近づいていない。
秋人は持ってきた懐中電灯を点灯させ石段に足を掛けた。
久しぶりに上がる石段は多少雪が積もっていたが、運動神経の良い秋人はいつもより少しばかり慎重に歩けば何の問題なく昇りきれた。
上の様子は以前と変わっていない。30mほど進んだ先に小さな社が見えた。
懐中電灯の灯りを消しても積もった雪の白さが辺りを照らすように周囲がよく見える。まるで何か不思議な力が働いているかのようだ。
秋人は慣れた足取りで社の裏まで歩いていく。
社の裏の木が生えていない白い空間に立ち、秋人は周りの木々に向かって声をかけた。
「おーい。
木々がさわさわと揺れ、暗闇から少女がピョンと飛んで出てくる。
服は神社の巫女さんみたいな白い着物に朱色の袴を着ていて、真っ黒な髪を両耳の上で動物の耳のようにして丸め、小さな鈴が着いた紐で結わえている。そして、時折金色に光る目で真っ直ぐに秋人を見つめている。
秋人は美冬が人ではないと薄々感じていたが、そんなことはどうでもいいと思っている。
何だろうと美冬は秋人にとって一番の友だちだ。
「秋人。久しぶりだね! 大きくなったね」
美冬は嬉しそうに笑顔で秋人の目の前に立って手を広げる。
前に会ったのと変わらない格好だが、髪と背は少し伸びて、顔付きも大人に近づいた。秋人と同じくらいの年に見える。
秋人はなぜだか顔が熱くなり、フイっと顔を背けた。
美冬は一瞬キョトンとした顔を見せたがすぐに鈴が鳴るような声で笑いだした。
「やだ、秋人照れてる。前はよく抱っこしてくれたのに」
美冬のからかうような言葉に、秋人は更に顔を火照らせながら大きな声で言った。
「もうオレたちも大きくなったんだ! これくらいの男女は馴れ馴れしくしないもんだ」
「そうだね。秋人本当に男の子っぽくなったね。背も高くなったし。前は同じくらいだったのに」
美冬は秋人をまじまじと見上げる。
そんな風に見つめられると何か落ち着かなくなる。
「あ、あの時はまだチビだったし。美冬も変わったな。えっと……女の子っぽくなったというか」
秋人の言葉に美冬は微笑む。
「ふふっ。秋人が会いにきてくれて嬉しいよ。でも、こんな夜中にどうしたの?」
「オレ、明日この村を出るんだ。だから、最後に会いたいと思って」
それを聞いたとたん、今までの笑顔が嘘のように美冬の顔が歪む。
「秋人にもう会えなくなっちゃうの?」
秋人はそのあまりにも悲痛な声にたじろいだ。
「えっ。いや。もう二度と会えないことはないよ。また……会いに来るよ」
「本当に?」
美冬が念押ししてくる。
あまりの必死さに気圧されそうになるが、
「本当だよ。約束する」と秋人はできる限りしっかりとそう言った。
すると、美冬はようやく表情を弛めた。
「私、ずっと待ってるから」
秋人は表情が和らいだのにただ安心し、大きく頷いた。
美冬はまたいつもの笑顔に戻った。
「きっと、会いに来てね」
秋人はさよならが言えなかった。
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