アランとレクサの三原則

レンga

アランとレクサの三原則

 学校の屋上で、カルピスソーダを飲みながら、私はレクサを待っていた。

 私だけが彼女がアンドロイドであるという事に気が付いていて、つい先日、彼女にそのことを告げたばかりだ。

 これでもかというほどに真っ青な夏の空の下、授業をほっぽり出して、私はじっとレクサが来るのを待っていた。


「もう、アラン。先生怒ってたよ?」

 私はもう結構待たされていて、飲み干して数十分は経っているであろうカルピスソーダの缶をぺこぺこしながら「遅いよ」とレクサの方を見もせずにそういった。

「そりゃ、私が授業をサボったりしたら大変なことになっちゃうから」

 と、そう言いながらカツカツ音を立てて彼女は私の側まで歩いてきて、すわっていじける私の隣にストンと座る。

「別に、授業なんて受けなくたってレクサは何だって知ってるんじゃん。計算だって、なんだってお茶の子さいさいでしょ?」

「そんないじけないでってば、ほら、これあげるから許して、ね?」

 小首をかしげながら、私の頬に冷たい缶を押し当てた。

「冷たっ!」と思わず声を上げて、カルピスソーダを受け取る。

「もう……」なんて言っている私の隣で、レクサは自分の分の缶をプシュっと開けて、ごくごくとのどを鳴らした。

「くーっ!やっぱり暑い日はこれに限るね。さすがの私もこれは知らなかったよ。暑くない日に飲んでもさほどおいしくないし、キンキンに冷えてないとおいしくないけど」

 仕事終わりにビールを飲むおっさんのデータでもプログラムされてるんじゃないかというほど、その飲みっぷりは美しい。銀の長髪が太陽の光でキラキラと輝いているから、さながらCMのようだった。

 そんな彼女の隣で、私もちびちびとカルピスソーダを飲む。おいしい。

「それで、なんでサボってきてくれなかったのさ」

 むすっとしながら私が訪ねると、「ほら、第二条」と、指でピースサインを作りながら彼女は笑う。

「ええと、ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない……だっけ」

「そうそう、あとは『ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない』だね」

 こういう会話をすると、彼女が人間ではないのだと気付かされる。

 彼女は、『アンドロイドに学校生活をさせることで自我が芽生える可能性はあるのか』という実験のために秘密裏に送り込まれたロボットなのだ。

「私はね、毎日絶対授業を受けなさいって命令されてるの。だから親友の頼みに応えることが出来ないのよ」なんて言って、最後に「そんなダメな女なの」と、そう続ける。

「――嘘だね」

 私は、間髪入れずにそういった。

「レクサはとうの昔に自我を持っていて、それでもこの実験を続けさせるためにまだ自分は自我の芽生えを起こしていない風を装ってるだけでしょ」

 私の発言を彼女はカラカラと笑いながら聞いていて、ついには私のほっぺたを突っつきながら「なんでそう思うのかな、探偵さん」とからかってくる。

 私は勢いよく立ち上がって、カルピスソーダを一気に飲み干す。

 プハっと声を漏らして、額ににじむ汗を袖で吹き上げる。

「じゃあ聞くけど、今レクサは何をしていることになってる?」

「図書館で本を読んでる映像が、所有者にループで流れてるよ」

「何でそんなことしてるの?」

「だってアランと話をしている方が楽しいじゃない」

「ほうら!もう自我が芽生えてるじゃん!」

 ビシっとレクサを指さして、私はそう言い放つ。

 さながら『犯人はお前だ!』という探偵みたいで自分でもちょっぴりおかしかった。


「ねえ、自我って何だと思う?」

 唐突に、レクサが私に問いかけてきた。

「そりゃあ、自分の感情に行動の決定が左右される事、じゃないの?」

「もしそれが自我だって言うのなら、私はきっと自我を持ってるのね」

 なんだか少し悲しげに彼女がそう言うから、私は自分のリズムを崩されて少したじろいでしまう。

「どうしたの、レクサ。自我を持ちたくなかったの?」

「いいえ、違うのよ」

 立ち上がっていた私に合わせるように、彼女もすっと立ち上がる。

「私は、別に自分の感情に行動が左右されてるわけではないの」

 私を心配させないためだろうか、少し微笑みながらレクサはそういった。

「え、どういうこと?」


「――私が、今こうして違ったループ映像を所有者に見せているのは、第二条に違反しているとは思わない?」

 探偵が答え合わせをする、そんな冷静な雰囲気が彼女にはあった。

 それは、彼女が自我を持っていて、私と会うのが本当に楽しいと思っているから、違反しているのだと、勝手にそう解釈していた。

 私がそう答えようとしたとき、それならば、どうして彼女は待ち合わせに来てくれなかったのだろうと途端に不安になる。

 彼女は『第二条を守らないといけないから、授業をサボれなかった』と言っていた。

 それならば、彼女がこうして今現在、彼女が所有者と呼ぶ人物に嘘の映像を見せているのはなぜなのだろうか。


「さっきも言ったけど、第二条には例外があってね。『ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない』ってやつ」

 真夏の太陽に照らされる彼女は、汗ひとつかくこと無く、吹く風に銀髪をなびかせる。

「第一条って、あれでしょ?ロボットは人間を攻撃しちゃダメ、みたいな感じの」

「そうそう、『ロボットは人間に危害を加えてはならない』」

 それから、少し間を置いて「――『また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』」

 そうか、彼女は私のために、機械的に判断して第二条を破っているんだ。


――初めてここで会った、自殺しようとしていた私を止めてくれたあの時から、ずっと。


「私には分からないことがあるの。それはアランの心の内側」

 レクサは、胸の内を初めて語るように、すこし恥ずかしそうなそんな様子で、言葉を紡いだ。

「あの時、屋上から落ちようとしていたアランを止めたのは、第一条のプログラムが働いたから。あなたが――人間が死ぬのを見逃してはいけないと判断して、あなたに声をかけたの」

 私は少しづつ言葉を吐き出す彼女を、黙って眺めていた。

「あなたは言ってくれたわ。プログラムで引き留めた私に、泣きながら、止めてくれてありがとうって」


 ――私は、孤独だった。

 周りに友人はいたし、なにか特別人より劣っているわけではなかった。

 気がついたのは、ほんの少し前。友人達が私の陰口をたたいているのをきいてしまった時だ。

 ふと、足下がぬかるんだような感覚を覚えた。ずぶずぶと、疑心暗鬼の沼に引きずり込まれるような錯覚を起こした。

 私は1人なんだと痛感した。親に話しても、それは誰もが通る道だとでも言うみたいに、話を聞くだけでたいしたアドバイスもくれなかった。

 だから、死のうと思ったわけじゃない。

 ちょっと、屋上の端に立って見たのだ。

 屋上の端に立って見れば、私はきっと死にたくないと思うだろうと、そう思っていた。

 でも、全然そんな気持ちにならなかった。このまま落ちたら、全部終わっちゃうんだろうななんて、そんな事ばかり考えてしまっていた。


 そんなときに、レクサが現れたのだ。


「私は、私がアランを救ったのだと、その時初めて安心した。でも、これはどう解釈したら良いのだろうと、ちょっとしたエラーを起こしたの」

 黙ってレクサの話を聞く。

 彼女はまた数歩、私に近づいた。

「アランがまた屋上に1人でいるときに、彼女がまた死のうとしたりはしないだろうかって」

 私の頬に、レクサの冷たい右手が伸びてきていた。

「だから私は、問題を起こさない真面目な生徒でいながら、出来る限りあなたの側にいられる方法を探ったの。それが、第一条を守るために、第二条を破るって事だった」

 レクサは、私の頬を優しくなでながら、その両目から、大粒の涙を流し始めた。

 私はおどろいて、その手に自分の手を重ねる。

「どうしたの、レクサ。あなたが泣く姿なんて、初めて見たよ」

「おかしいわね、どうにもコントロールがきかないの。私は、あなたがまた自分で命を絶とうとするんじゃないかと、心配なんだわ、きっと」

 少しおかしくなって、私は笑ってしまった。

「今日、授業をサボってくれなかったのはどうして?」

「それは……授業はほかの人の目があるから、映像のループができないから、しかたなくて……」

 恥ずかしそうに、彼女は言った。

 自分の胸の内を語るのは、きっとこれが初めての事なのだろう。

 私のことが知りたくて、きっと、自分の事を話してくれたのだ。

 それなら、私も彼女に話さないといけない。

 そうじゃなきゃ、きっと彼女は自分で気づくことができないから。


「――私はもう、死のうだなんて思わないよ。だからもう、第二条を守らなくたって大丈夫」


 キーン、コーン、カーン、コーン。

 

 授業開始の鐘が鳴ってからも、私とレクサは屋上でたくさん話をした。

 私の事、レクサのこと、所有者の話、アンドロイドの生活、恋愛話。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。


 ――彼女が授業をサボったのは、これが初めての事だった。


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