第15話 テール・トゥー・ノーズ

 地上に降りた山犬は、数年の歳月を経てかつての兄弟子である狐との再会を果たしました。

「ふふふ。弟弟子の山犬に会うのは何年ぶりのことかしら。懐かしくて涙が出そうよ」

「お久しぶりです、兄上」

「それで? 何であんたがココにいるワケ? あたしの邪魔をする気? 」

「兄上は、如意法術を使い何かしらよからぬことを企んでいる、との噂。真意を確かめに参りました」

「そんなデマ、一体どこから来たのかしらねぇ。まったく、身に覚えがないんだけど。ただの噂よ。下種の勘繰りはお止めなさい」

「天上に妖気が漂いはじめています。これは天界の秘法術を下界で乱用した際に現れる警告の証。もし、地上に禍をもたらすようなことがあれば、その術を永久に封じなければなりません」

「へぇ~。それで? あたしの術をあんたが封じると? 笑わせないでよ。だいたいね、あたかもあたしが地上に禍をもたらすかのような言いぐさだけど、平成の世で大禍津日神(おおまがつひのかみ)や大綿津見神(おおわたつみのかみ)に命じてどデカイ禍を起こしたのは一体どこの誰よ! 御覧なさい、あの大地震と大津波で、日本国民は未だ立ち直れていない窮状を! 」

「・・・・・・・・・・・」

「ねぇ、ほんの数十年ほど前、あんたとあたしは真の求道心と天界への好奇心から天庭の書院にこっそり忍び込んで、禁じられていた天上界の秘書物『如意法術』を覗き見しようと試みた。が、玉(ぎょく)の函に保管されていたそれは蓋が寸分のズレなくピッタリとくっついていて、開ける方法がわからなかった。そこで、あんたが師である観音菩薩の真言を口にし、書物を見ることは決して邪な心ではなく、真に法術を極めたいが故の求道心からなるもので、もしもこの術を邪道な目的のために使ったならば、術を封印していただいてもかまいません。と誓いを立てた。そうしたら、玉の函はウソみたいにすんなり開き、あんたとあたしは天界の書物を拝見するに至った。究極の法術が記された書物は神・仏・道の三書に分かれていて、全てを見たかったけれど、道の書は項すら開かず。結局、師である観音菩薩の真言を口にし誓約をたてたことによって仏の書が、次に祝詞を奏上して神の書を閲覧することが可能となった。しかし、ようよう取出して見るも書かれてある文字も意味も難解で、とてもその場で習得できるレベルのものではなかった。そこであたしたちは大急ぎで手分けして、記された内容を紙に擦り取って帰った。

それからあらゆる参考文献をひも解いて、文書の解読を試みていた矢先に・・・」

「死神に見つかったことで、法術の漏えいが天上界の知るところとなった」

「そう。で、師匠たちから呼び出しを食らったのよ。あたしたちはこの、地上界を、争いや諍いや飢餓のない、誰もが豊かになれる平和な世界にしたい、その一心で天上界の秘術書を盗み見しただけなのに、結果として天界の怒りに触れてしまった。そこであんたは師である阿弥陀如来と観音菩薩に泣きついて理解を求めた。閲覧資格のない者は開けられないハズの玉の函が、恩師である観音菩薩の真言を口にし、決して悪事を働かない、と誓いをたてると函が開いたこと、開かなければそのまま諦めるつもりでいたこと、ようやく中をを見ることができたものの、未だ解読できないでいること、それらを正直に師に述べた。何よりこの行為は、純粋な求道心から法術を極め、未だ諍いや貧富の差が絶えない地上の世界をよくしたい、という純粋な気持ちから動かされた結果なのだ、ということを涙ながらに熱弁するくだりは、傍で聞いていて感心したわよ。よくもまぁ、正義のヒーローみたいなそんな動機をクサいセリフでもってしゃあしゃあと言えるもんだなぁってね。で、じっと傍で聞いていた観音菩薩も、脇に控えていた勢至観音もあんたの熱意にほだされて、慈悲を与え天界に於いて術を習得することが許されたんだってね。一方のあたしは反省の色がまったく見られぬ、として天上界から追放よ! そんなのアリ!? どこが慈悲深い仏なんだか! 」

狐は山犬に対して散々愚痴をこぼしました。すると

「・・・それは兄上が石板から写しとった紙を勝手に奪った上、無断で地上に降り立ったからではないですか」

 山犬は呆れたように言ったのです。しかし狐は

「だからって、何も追放までしなくてもいいじゃないの? 函を開ける際に誓約までたてたんだし、少しは大目に見ろっつーの! まるで地上界の役所みたいに融通が利かないんだから。ほんっとにムカつくわっ!! 何であたしだけがこんな大目玉喰らって、あんただけ無罪放免なワケよ、不公平にもホドがあるわよ! 」と、また散々愚痴る始末。

「何も兄上だけが罰を受けた訳ではありません」

「ああ、そうだったわね。ふふふ、知ってるわよ。法術を習得して地上界に降りるにあたって、あんたは吸血鬼にされたんだっけ? もしも、人間を襲ってその血を一滴でも口に含めば天界からの雷を受け、術は封印され本来の姿に戻されてしまうんだって? 血の渇望を抑えながらも人間に接しなければならない、本能の抑制という試練にどこまであんたが耐えられるか・・・天界も残酷な仕打ちをするわよねぇ。それで、どうなの? ゴシックホラーのキャラクター、ヴァンパイアになった気分は? 」

「あまり快調とはいえません」

「ふふふ、でしょうね。その恐ろしく青白い病的な顔をみればわかるわ。普段はパック包装された冷たい無機質な人工血液をストローでチューチューやって凌いでるけど、本当は今でも生暖かくてイキのいい脈打つ血が吸いたくてウズウズしてる。ちがう? 」

「・・・・・・」

「図星ね。どう? いっそ、今ここで一気にカミングアウトしてしまったら。威勢のいい生き血ならいくらでも提供してあげるけど? 」

「いいえ、結構です。今ここでカミングアウトしたところで、おそらく、すぐに雷が下されることはないでしょう。私が受ける戒めはそれだけではありませんから」

「へ? それだけじゃあ、ないって? どーゆーコト? 」

「兄上、まだお気づきになりませんか? 」

「? 何が? 」

「私と再会してから、兄上は一度も私の名を呼んではいません」

「名? そういえば、そうね・・・あんたは、え~っと・・・確か・・・え~っとえっと・・・・あたしの弟弟子・・・え~っと、名前、弟弟子の名前は・・・あ、アレ? え~っと、え~っと・・・アレ? おかしいなぁ、思い出せない・・・」

 その時狐は、ハッ、と何かに気づいたかのように

「術がかかってる」と呟いたのです。そして

「術・・・さてはあんた、天上界で名前を取りあげられたわね、だから思い出せないんだわ! いや、違う! あたしはあんたの名前を知らない! そもそも名前なんてなかった。その後・・・師は極秘で名を与えてから術をかけたんだわ、法術の乱用を避けるために・・・だから誰も、あんたの名を知る者はいない、だって当のあんたでさえも自分の名を思い出せないんだから! 」

「・・・そう、これが私に下されたもうひとつの試練・・・」

「なるほど・・・。名を奪っておけば、あんたは天上界に背くことが出来ない。名を知る者がその名を呼び命令を下したなら、その命に逆らうことはできない、生涯、その名を知る者の下僕となる・・・」

「そのとおり」

「ふ~ん・・・。それで? こっちに降りてきた感想はどうよ、この地上界は争いや諍いのない、誰もが豊かになれるハッピーで平和な世界になれたのかしら? あんたが師の前で誓い、美しい詩を読むように、散々並べ立てた、非現実的で独善的な理想郷、ユートピアは、法術によって実現できたのかしら? 」

「・・・・・」

「あたしが見る限り、世界のあちこちでは未だに紛争や暴力が絶えず、貧困と飢餓にあえぐ難民が何千何万と存在しているけど。せっかくの法術も、天界からの制約ありきの使い方では何の役にも立たないってこと、少しは気づいたかしら? 」

「一朝一夕に出来ることではありません。むやみに法術を用いたところで更に世の混乱を招くだけです。世界を、人の世を変えるとなると、それだけ時間もかかるのです」

「ねぇ、少しは現実を受け止めたらどうなの? そんな悠長なコト言ってる場合かしら? せっかく習得した法術も、使えなければ意味がないと思わない? 」

「・・・・・」

「そ・こ・で、あたしからの提案があるんだけど」

「提案? 」

「そ。提案。この日本の、すばらしい知恵と技術と人材をフルに活用すれば、あんたが望んでいる、世界の貧困や飢餓、疫病を無くすことだって夢じゃないわ。この島国には世界を席巻するだけの知識とエネルギーとパワーと、何より知的財産がある! 日本では当たり前のこと・・・どこにいても蛇口を捻れば清潔な水が手に入り、ボタンを押せば明かりが点く、暖もとれる。ライフラインはもちろん、清潔な生活環境が整っていて、便座に座れば暖かい・・・そんな当たり前のことが世界のどこでも当たり前になる日が訪れるかもしれない。あんたとあたしとで手を組んで、習得した如意法術をもってすれば、この日本国を拠点に世界を掌握出来るのよ! 核兵器も、ミサイルも、テロも、サイバー攻撃も、軍事行動も、天界の法術の前では、恐れるに足らず! あたしがこの日本国を手に入れることで、あんたの望む世界平和も実現可能になるの。ね、あたしと手を組まない? あんたの完璧に習得した如意法術をあたしに伝授してくれれば、あたしが、この窮地に向かっている日本を内側から建て直せるの。そして二人で宗教や文化の壁を通り超えた新しい世界をこの日本から創りだすのよ。そう、今こそ世界に向けて、日本国が平和の発信源となるのよ! 」

「・・・ねぇ、兄上、兄上の目的は一体何なんですか? 修験者として、如意法術を極めたいというのはわかります。が、この天界の法術を用いて実現させる内容が漠然とし過ぎていて私にはわかりかねるのです・・・極論で言うと、世界征服なのか、世界平和なのか、一体どっちを望んでいるんです? 」

 山犬が怪訝な顔で狐に尋ねます。すると狐は

「どちらでもないわ。あたしは、この島国が、日本がほしい、それだけ」

「この日本を? 国ごと手に入れてどうしようと? 」

「ねぇ、知ってる? この日本という国には、何でもあるってこと。自由と平和と完成された都市と、清潔な環境、最新医療、教育システム、整備された道路、近代建物に潤沢な食品や衣服、そして、何より秩序と国民の高い良識! それらがすべてそろっているの、すべてね。けれど、この国に住むほとんどの人間は自分たちのことを幸せ者だと実感することは少ないのよ。もう、何百年何千回と、幾度となく観音菩薩の侍従としてこの島国に降り立ち、人々の悩みを聞き、慰め、真言を唱えるよう指南する師の傍に遣えてきたわ。そりゃ、戦争に負けた直後は悲惨な光景もいっぱい目にしたわ。でもね、そこから日本人は見事に立ち直り、文明社会の礎を作った。私はこの島国の人間が心底羨ましく見えたの。でも、経済や産業が発達して、国民の暮らしが向上していくにつれて、それはやがて嫉妬へと変わっていったの。だって、こんなに豊かで自由で清潔でいい暮らしをしているのに、当の本人たちから出てくることばといえば不満ばかり。信じられないことに、救いを求める人たちの中には、将来を悲観して自ら命を絶つ者さえいたのよ。あたしには理解できなかった。この国の人たちは一体、これ以上何を望むことがあるのだろう? って。ここはもはや地上界における極楽浄土に近いところなんですよ、って。大声で言ってやりたいって、いつも思ってた。

 あたしはこの国の人間になりたかった。この国の人間になって、この国に暮らして、最高の存在になりたかったの。そのためには、如意法術が必要だった。あたしはね、この国のすべてを手に入れてその叡智と人材を使って、いろんなことを試してみたいの。もちろん、それには、あんたの望む世界平和も少なからず含まれている。でもね、先ずはこの国に住む人間どもに、いかに自分たちが恵まれた環境にいるのか、知らしめてやりたいの。とにかく、民が国を想う心失くして、再建の道は有り得ないのよね。まったく・・・あたしはね、あの震災後の天つ神の意向を知ってからというもの、建国の祖である神々が国民に絶望し、この国を島ごと沈めようとしているのにも気づかずに、未だ不満たらたらで、そのくせ周辺国の脅威には鈍感で、未だのうのうと暮らしている国民が疎ましくて仕方がないの。だからね、まず手始めにすこしばかり、お灸を据えれば、少しは平和ボケから目が覚めるかしら、と思っているんだけど、どうかしら? 」

「それは天上界の神々がお決めになること。我々が手を下すことではありません」

「フンっ。なによ、いい子ちゃんぶってさっ。それじゃあ、何? あんたはこのすばらしい島国が沈められるのをただじっと傍観してろっていうの? 」

「それが、神々のご決断ならばいたしかたないこと」

「へぇ。それじゃあ、この国の民を見殺しにするの? 世界平和を願って、困っている人々を救済したいって、言ってたのはどこの誰だったかしら? いまこそ如意法術を使って、この島国を滅亡の危機から救う時じゃないの? 」

「まだ国が沈められる、と決まったわけではありません。我が師もそれは望んではおりません。従って、兄上が人間に、日本の民に成りすまし、国民を懲らしめるために如意法術を使うことも許されざる行為なのです」

「あんた、いつからあたしに向かってそんな生意気な口をきくようになったわけ? いいわ。あんたがそういう態度で出るのなら、受けて立ちましょう。あたしを止めてみなさいな」

 狐はそう言うや否や、燃え盛る火鉢の上で刃が真っ赤に染まった剣を取り上げ豪快な火柱を上げながら振りかざしたのです。山犬は動じることなく静かに両手を組み合わせ、人差し指と中指を立てた状態で呪文をひとつ呟き狐に向かって言い放ちます。

「天つ神と我が師の命によりその術を永久に封じます」

「望むところよ! 」

 狐は勢いよく刃を振り下ろしました。火の粉を散らしながら刀は山犬の首めがけて美しい弧を描いたのです。切先が当たる寸での所で山犬は身軽に飛び退き狐の背後に降り立ちます。狐が慌てて振り返ると同時、手刀が飛び喉元をかすめました。狐は刀を持ち直し呪文をひとつ呟くと刀の切先に唾を吹きかけた、と同時に刀は巨大な蛇に姿を変えて跳ね上がるように狐の手元を離れ山犬に襲いかかったのです。狐が尋常ではない速さで真横に飛び退くと地面に落ちた蛇は腹立たしそうに鎌首をもたげ再びターゲットめがけて飛翔しました。狐がすかさず山犬の背後に回って羽交い絞めにすると蛇が山犬の首に巻きつきグイグイと締め上げます。山犬はたまらず窓の方へよろけて行って、息も絶え絶えに呪文を呟くと、彼の首を絞めていた蛇は再び刀に戻って足元に落ちたのです。すぐさまそれを拾い上げようとした途端、狐もそれに反応し、刀の奪い合いとなりました。窓際に追い込まれるかたちとなった山犬は狐から刀を遠ざけようとした際に刀の柄(つか)部分を思いっきり窓にぶつけたのです。なおも刀を取り戻そうと狐が山犬に向かって突進し、立膝ひじ打ちでもって彼の腰を打ったのです。山犬はその凄まじい勢いに飛ばされて窓にぶつかりました。刀の柄がぶつかった部分と今の衝撃で窓ガラスが割れて砕けます。山犬がガラスの破片とともに下に堕ちそうになりますが、窓枠を掴み寸んでのところで持ちこたえたと見るや否や、狐が再び彼を突き落そうと突進してきました。山犬は窓枠を掴んでいた片方の手を放し突進してきた狐の腕を掴みましたが、勢い余った狐の身体は空を飛び、そのまま窓の外へと落下していったのです。山犬は窓枠に片手でつかまりながら、狐が難なく地面に着地する様子を見ていました。そしてため息をつきながら呟きます。

「やれやれ、今度の修業が、狐と山犬の〝テール・トゥー・ノーズ〟になろうとは・・・」

 こうして山犬は、令和の世で狐を追う冒険の旅に出ることになったのです。 


『きつねと山犬のおはなし』は  

『令和伝』に続く

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きつねと山犬のおはなし 月野 由梨 @yury-tsukino

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