第14話 如来 注進

 その時、一風の清涼が吹き、西の彼方より黄金色の雲に乗って、質素な身なりをした旅人か修行僧のような人物が現れました。両手で印を示しながら、まっすぐ、天之御中主神の坐しておられる所へ向かって歩んでゆきます。その動きに天つ神は慌てふためき、制止させようと腕力の神である天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がその前に立ちはだかったのです。

「わたくしは、天つ神の皆様に大切なお話しがあり、ここへ参った次第です。どうか、道をお開けになり、御清聴いただけないでしょうか」

 その人物は慇懃に申し出ました。すると天之御中主神が仁王立ちする天手力男神に向かって

「道を開けてお通しするがよい」

 と仰ると、その人物はゆっくりと天つ神の坐する雲の輪の中に入ってゆきました。そして天之御中主神を御前に、印を解いた両手を合わせ丁寧にお辞儀をしてから口を開いたのです。

「わたくしは仏門の世界の者。名を阿弥陀如来と申します。このたびの、天つ神が地上界へ放った禍と、天之御中主神の民への失望からなるご決断が風の噂にてこの耳に入ってまいりました。それに伴っての我が弟子の暴走行為を助長する運びになった急難を注進に参った次第です」

「そなたの弟子と朕の憂いにどのような結びつきがあると? 」

 天之御中主神はそう仰ると思金神(おもいかねのかみ)の方をチラリ、とご覧になられました。思金神は困った御様子で、ほんの少し首を傾げられただけでした。

「その件にお答えする前に、お願いがございます。天つ神の怒りとして地上に放たれた禍の雷(いかづち)は、民にとって計り知れない苦難となっており、いよいよ民は疲弊の極致に達しようとしております。この弱体した現状につけ込み、周辺の異郷の国々が葦原中国を奪おうと、圧力をかけていることは天も御承知のこと。このような状況下で、また更なる禍を地上にもたらすと、民の反省はあっても、活力は萎えてしまい、かえって事態が悪化することでしょう。民心のいたらぬ所以は、天の仰るところの「個」を重んじる心にあります。煩悩あって未だ悟りが開かれていないからでございます。しかし、それもまた人間というものでございます。どうか、葦原中国を亡きものになさらないでください。ここは、この阿弥陀如来に免じて民への試練を、混沌の世界に戻すという御考えと共に、一旦お預けしてはいただけませぬか」

 阿弥陀如来はこう切実に訴えられたのです。 

「天つ神が葦原中国を誕生させてから五百年ほど経った頃、常世国からそなたたち仏が伝来してきた。それまで八百万の神を祭っていた民はそなたたちを快く受け入れ、その教えと考えに従い熱心な信者となっていった。それが今でも継続されており、民の大多数はそなたの布教した教えを日常習慣的に取り入れ平和に暮らしている。朕は民が、大御宝が、幸福で、心豊かに暮らせるならばそれでよし、という考えである。葦原中国の民は建国神である天つ神のみを信仰し、崇拝せよと強要するつもりなど毛頭ない。それ故、そなたらの伝来も静観していたのだ。しかし、信仰心と愛国心は別物。どのような神や仏を信仰していたとしても、国を想う気持ちを等閑にして民が「個」に執着し、衰退してゆく様を、建国の祖である天つ神としてはこれ以上看過出来ないのである」

 天之御中主神は厳然と仰いました。

「天がこの国の衰退に深い失望を覚え、憂いておられるのは重々理解しております。しかしながら、地上界では今、天つ神の知らぬところでもっとも深刻な事態が生じているのです」

「天つ神の知らぬところで起こっている深刻な事態とは何か? 」

 今度は天照大御神が質疑をされました。

「周辺の異郷の国々とは別に、如意法術を使って、この葦原中国を島ごと奪ってしまおうと企てるふとどき者がおります」

 阿弥陀如来の御返答に八百万の神から一斉にどよめきの声が沸き起こり、口々に

「なんと! 」「恐ろしい、罰当たりなことを・・」等と言う言葉が発せられたのです。

「わたくしはこの事実を一刻も早く天にお知らせし、今の葦原中国にてこれ以上の禍をもたらすと、かえって事態が悪化することを御理解いただき、世の平定に尽力するためのお力添えを願いに参ったのであります」

「そのよからぬことを企てているのがそなたの弟子というのか? 」

「お恥ずかしながら、仰る通りでございます。身内の不祥事、恥を承知で全てを申し上げましょう」

 阿弥陀如来はその細い目を更に細くされ、とうとうと語りはじめました。

「わたくしには脇侍に観音菩薩という者がおります。脇侍というよりは、わたくしの化仏(けぶつ)、というほどに、信頼を寄せているものです。その観音菩薩のお話から、すべては始まります。

 ある時、観音菩薩が山道を歩いていると、親からはぐれた狐の子供が大きな山犬に襲われそうになっているところを見つけました。観音菩薩はその山犬を木の棒を使って追い払い、可愛そうな狐の子を保護してやったのです。数日後、また山道を歩いていると、子狐を襲おうとしていたあの大きな山犬がぐったりと倒れているのを見つけました。観音菩薩が山犬に近づいてよくみると、生後間もない山犬の赤ん坊が傍で弱弱しく鳴いているのです。あの時山犬は、お腹を空かせた子供のために、ろくろく食べることもできずに、獲物を探して歩き回り、ついに子狐を見つけ、襲おうとしていたのでした。ところが観音菩薩によって獲物を捕り逃したことで力尽き飢えて死んでしまったのです。観音菩薩は自分があの時、子狐を救うため山犬を追い払ったことが、結果として山犬の赤ん坊の親を餓死させてしまったということに深い悲しみを抱きました。そこで観音菩薩は、餓死した山犬を丁重に葬ってから、その赤ん坊を引き取り、狐と山犬の子を我が子のように大切に育てたのです。

それから数百年が経ち、狐と山犬は観音菩薩のよき弟子となりました。地上界にて苦しむ人々を救済するため、観音菩薩が地上に降りるところに度々随行し、多年の修行を積んだ後、やがて人の姿に変化することが叶います。かねてより人間になることを切望していた弟子たちは、慎ましやかに修行に励み、観音菩薩の教えを会得することで畜生道から人間道へと導かれたのです。さて、人間の姿となった狐と山犬は、地上にて仏の教えを広めていくうちに、やがて複雑な人間界の様相に困惑することになります。

 山犬は、この地上界が、いつの世になっても不平等で諍いの絶えないことに憂慮し、法術の限界と人間の幸福について疑問を抱き始めるでした。一方の狐は人間界に於いて、飽くことのない欲望と煩悩に踊らされる民を睥睨しつつも、自身も、ある野心を密かに抱き始めるのです。

 こうした中、たまたま死神と遭遇した山犬は、天書である如意法術の存在を知り、とうとう禁断の法に触れる決断をするのです。即ち、天界の書物である如意法術を覗き見て術を学び、習得した後に自ら地上に降り立ち、法術を駆使して娑婆苦が広がる地上界を、諍いや貧困、飢餓のない、すべての民が豊かに暮らせる快適な世界に変えてみせよう、と考えたのです。これを好機とみたのが狐でした。狐は山犬の純真な心からくる決意を、自身の野心の成就のために利用しようと目論んだのです。狐は、山犬と共に天界の秘書である如意法術を写し取った後、山犬からその写し取った紙を全て奪ってしまいます。そうしてまんまと欺き、法術をもって地上界に降りてしまったのです」

 阿弥陀如来のお話に天之御中主神は驚かれて仰いました。

「如意法術とは天界の秘法術。決して地上に漏らしてはならぬ書物である。もしも人間が地上にてあの法術を邪に行ったならば、必ずや厄生じて民を害すであろう。天界の禁が破られた以上、その者を赦すわけにはいかぬのではないか? 」

「仰る通りでございます。しかしながらあの天書は、それぞれの書に印が施してあり、その印を解ける者しか書かれてある内容を完全に理解することが出来ないようになっております。故に山犬と狐は、書をひとめ見ただけでは、何が書いてあるのかわからず、とりあえず紙に写し取って、後でゆっくりと時間をかけて解読しようとしたのです。ところが、写し取った紙を地上に持ち出した狐は、さすがに、長年に渡り道を修めていたため、奇知を働かせ、厭人の術や異郷の邪術を駆使してその印を少しずつ解いていっているのです。

 観音菩薩より斯様な報告を受けたわたくしは、山犬に、解読不能だったという天書の中身を教え、悲願であった天界の法術を伝授し修練させました。そして、この天界の術を以て地上に降りたち、兄弟子の術を封じて、混乱の世と化した地上界を平定せよ、との命を出したのです」

「しかし、天界の秘法術を得たその山犬が、狐と共に邪な道へ逸れてゆくやもしれぬではないか」

 天之御中主神は懸念を示されました。

「そういった事態に備えて、わたくしは山犬に誓約をたてさせ、更にふたつの戒めの術をかけたのです。真の求道心と困窮する民を救済するためとはいえ、禁断の天界の書を無断で閲覧したことによって、狐に秘術を持ち出され、地上界の混乱を招くことになったそもそもの原因は山犬にある。よってこれより山犬は地上界に降りるにあたって、いつ何時、どのようなことが起ころうとも、法術を使って無関係の民を傷つけてはならない。常に修行の身であることを忘れぬよう、獣心が出ぬよう自制するため、妖人に姿を変えてやったのです。本能的な煩悩を抑えられてこそ、真の修験道だからです。妖人の姿と変わり果てた山犬は、人間の注意をひかぬように、目立たぬようにと陽が落ちてから暗躍している様子。これによって、天つ神の夜の世界を司る御一柱(おひとばしら)とたびたび咫尺(しせき)したという報告も受けております」

「妖人の姿をした山犬と奇遇した、という話は弟である月読命(つくよみのみこと)から聞いたことがある」

 天照大御神が仰いました。

「二つ目の術というのはどのようなものか? 」

 今度は神産巣日神(かむむすひのかみ)がお尋ねになられました。

「もうひとつの術は、わたくしは山犬があまりにも立派に如意法術を練磨したことを賞賛し、わたくしの種字名を与えました。本来、獣は獣。名など与えるものではありません。が、この山犬には私の独断で種字名を貸与しました。そして、地上に降り立つにあたり、一旦その名を取り上げ、術をかけたのです。この種字の真の意味を知り、真言を唱えることが出来る者だけが山犬を意のままに動かし、法術を自在に使役することが出来る、という術を。これにより、山犬は常にわたくしどもの監視下におかれ、邪心を抱いては法術を使うことが出来ないようにしたのです」

「なるほど。貴い庇護をもつ名の下で悪事ははたらけませぬからな」

 神産巣日神は感心されながら仰いました。阿弥陀如来はさらに続けられました。

「ただ・・・この山犬、些か過ぎるところがございまして・・・。狐を追って、様々な異国の地を巡るうち、元来の道義心が目覚め、狐の捜索の合間を縫っては、異教の民を救済する、という・・・脇道に反れる行動がしばしば見受けられるのです。が、決して私利私欲のためではないことは明白であり、これも師である観音菩薩より受け継ぐ純粋な慈愛の心からきているものとして大目に見ておる次第です・・・」

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