きいろい服のおっさん殺人事件
雪屋 梛木(ゆきやなぎ)
ジョージー、謎解きをする
これは、おおきいおさるのジョージーです。
そしてこっちはきいろい服のおっさん。
全身きいろい服を着た上に、きいろいとんがり帽子まで被った少しだけファッションセンスが危ない小太りのおっさんです。
そんなひとりと一匹は今、バスでおっさんの仕事場である博物館へと向かっていました。
「ジョージーが博物館へ行くのは久々だな。いい子にしてるんだぞ」
「ウキッ!」
オランウータン並に体も声も大きなジョージーですが、他の乗客たちは微笑ましい光景を眺めるかのように暖かい目で見守ってくれています。
「館長、この前手渡した論文読んでくれたかなぁ。今日こそはこの証拠品を見せつける日……って、あれ?」
「ウキィ?」
「あぁ、なんてことだ……!」
おっさんはわざとらしく目を手で覆い、大きなため息をつきました。
「肝心な
ええーっ!
一番大事なものなのに、持ってくるのを忘れたですって!?
ジョージーは驚きました。
「……仕方がない。いちど家に取りに戻ってからまた出勤するとしよう。大丈夫だ、館長には連絡しておく」
かわいそうなジョージー。
せっかく博物館の手前まで来たのに、またお家まで戻らなくてはなりません。
「あー、館長ですか? 実は……」と、ビール腹をさすりながらのんきに電話をかけ始めたおっさん。
マンション前のバス停へとトンボ帰りしたジョージーは、おっさんを置いて一匹で目と鼻の先にある公園へと遊びにいきました。
「ええ、五階です……鍵は開けておくので……って、おーい! ジョージー! どこに行くんだ!?」
まだ長電話している小太りのおっさんなんて知ったことではありません。
公園には爽やかな風が吹き、新緑が青々と輝いています。
楽しそうに遊ぶ子供たちの声。美しい花々。
ジョージーはいつのまにか駆け出していました。
みずみずしい芝生に顔を突っこみ、土の匂いを胸いっぱい吸い込みます。
ああ、なんて素晴らしい朝なのでしょう!
やれやれ。おっさんは電話を切ると肩をすくめ、芝生の上に大の字で寝転がるジョージーにこう言いました。
「私は先に部屋に戻っているから気が済んだら戻ってきなさい。どうやら館長が直接取りに来るらしい」
片手を上げてマンションへと向かうおっさん。
入り口にいつも立っているドアマンと軽く話をして玄関へと消えた姿を確認すると、ジョージーは公園で一番大きな木にするすると登りました。
おさるなので、木登りは得意なのです。
ジョージーは大きな木のてっぺんから見る、この町が好きでした。
公園をぐるりと囲う大通りには沢山のバスや車が行き交い。
見渡す限り大きなビルやマンションが立ち並ぶこの都会は、とっても刺激に満ち溢れたジャングルのようです。
その中でもひときわ目立つ黄色いマンション。
六階建ての五階、三つ並んだ窓の真ん中。
そこが、ジョージーとおっさんが一緒に暮らしているお家です。
他の階にも目を向けると、四階のベランダで金髪のおねえさんがのんびりとタバコを吸っているのが見えました。建物の隣にある細い横路地には、ちょうどゴミ収集車が来ています。
「あっ! ジョージーだ! おーい!」
おや? 誰でしょう?
「ウキィ?」
木の下を覗くと、そこには仲良しのご近所さんがいました。
ステーブという、ジョージーと同じくらいの背丈の男の子です。
「ボールであそぼーぜ! ちゃんと手加減はしろよ!」
意外と握力が強いジョージーの投げるボールは、全力を出せば剛速球と言っても過言ではない様相を呈します。
しかしジョージーはおおきいおさるです。
ちいさいおさるではないのですから、ちゃんと子供に合わせたボール遊びだってできるのです。
爽やかな風が吹く公園に、ひとりと一匹の楽しい声が響きました。
*
しばらく遊び、太陽がだんだん高く昇ってくるころ。
ぐぅー、とジョージーのお腹が大きな音を立てました。
それをきいたステーブが、芝生からボールを拾い上げ小脇に抱えます。
「俺もお腹空いたー。じゃあな、ジョージー! また後で!」
少年が手を振りながら走り去っていくのを見て、ジョージーもおっさんが待つマンションへと帰ることにしました。
今日のランチはなんだろう。ウキウキしながらきいろいマンションまでたどり着き、ドアマンに玄関扉を開けてもらいます。
「わんわんっ!」
ロビーでドアマンが飼っている犬にもご挨拶。
「ウキウキィッ!」
「どうしたんだい、ジョージー。いやにご機嫌じゃないか」
ドアマンと一緒に犬をひとなでし、エレベーターのボタンを押すと……。
五、四、三、二、一……ドンッ!
階数表示が一階へと到着した瞬間に、どこからか鈍い音が響きました。
「なんだぁ? なにか壊れたか?」
「わん?」
ロビーにいたドアマンがいぶかしげな顔でエレベーターの中を見ましたが、特に異常はありません。
「気のせいかな? ま、何かあったら呼んでくれよ」
「わん!」
ゆるいですね。
しかしそのゆるさ加減が気に入っているジョージーは、文句も言わずに箱の中へと乗り込みました。
やがて五階へと到着し、いつものドアへ手を掛けると──おや?
「ウキッ!?」
なんと、カギがかかっています。
ジョージーは残念なことにお家のカギは持たせてもらっていません。
なにせ毛皮しか身に付けていないので、ポケットがないんですもの!
ジョージーが外出中は、帰ってくるまでおっさんがいつもカギを開けておいてくれるのに……。
少々残念な気持ちになりながら、ジョージーは扉を叩きました。
トントントン! ……おや?
ドンドンドンドンッ! ……おかしいですね。
おっさんが出てきません。留守でしょうか。
ジョージーは考えました。
先ほど会ったドアマンは、ジョージーに「おっさんは出かけたよ」と言いませんでした。
あのドアマンは個人情報もゆるゆるなので、おっさんが出かけたら必ずジョージーに教えてくれるのです。
ならば、ドアを叩く音が聞こえないとか?
ジョージーは拳を握りしめました。全身全霊の力を以って、この扉を──
「あっ! いた! ジョージー!」
先ほど別れを告げたはずの声が廊下に響きわたりました。
ステーブです。
ジョージーは拳をそっとひらきました。
「そういえば母さんが留守だって忘れてたんだ。一緒にランチ食べようと思ったんだけど……どうかした?」
「ウキキィ!」
「ふうん……鍵がかかってて入れない、って感じ?」
どうにか身振り手振りで伝わったようです。
のぞき込むようにドアや鍵穴を調べたステーブは、ため息まじりに言いました。
「人がいる音がしないよ。ドアマンに相談してみたら?」
*
ドアマンにマスターキーで鍵をあけてもらった直後。
その異様な光景を最初に目にしたのはジョージーでした。
なんせ、おっさんが壁に突き刺さっているのです。
いえ、よく見ればそれは突き刺さっているのではありません。
壁にあった小さな穴へ頭を突っ込んでいたのです。
「ウ、ウキイィィッ!?」
なんということでしょう!
ステーブはあまりの衝撃に唖然とし、ドアマンはうわずった声で叫びました。
「し、死んでる……!?」
ぴくりとも動かないおっさん。
仰向けでエビぞりのようにゆがんだ体はうっ血し、きいろいシャツからのぞいた腕は赤と青のまだならコントラストを描いていました。
常識的な大人が見れば、息をしていないことは一目瞭然です。
おおきいおさるもさすがに悟りました。
「ウキィィィ……」
小太りのおっさんが頭を突っ込んでいたのは、──扉を開けてすぐの壁にある──ダストシュートでした。
それはすべての部屋に設置され、ここにゴミを放り込むと地下のゴミ置き場まで一直線に落ちていくとても便利な穴です。
ジョージーも以前おっさんの大事なものをポイポイしてしまい、一緒に地下まで取りに行ったことがありました。
その時はなぜか真下に置いてあったレンガにあたって大事なものが壊れてしまい、おっさんが半泣きになっていたのも今となっては懐かしい思い出です。
それにしても……。
ジョージーはダストシュートの穴へと目を向けました。その穴は小さく、三十センチほどしかありません。
今はおっさんの体で壊れてしまっていますが、普段は引き戸だって付いているのです。
どう考えても小太りのおっさんは通れるはずがないのに、なぜ……
ジョージーがふらふらとおっさんに近づこうとすると、後ろからドアマンに肩を掴まれました。
「こら! 今は勝手に入ってはだめだ! 警察を呼ぶから廊下で待っていなさい!」
ゆるいわりには意外と常識的なのです。
廊下に閉め出され、呆然とするジョージーとステーブ。
「ウキィ……」
ジョージーの頬に一筋の水が流れ落ちます。
その滴を手の甲で拭うと、瞼の裏にあのきいろい服が鮮明に映し出されました。
ここからはるか遠いジャングルで生まれ育ったジョージー。
うっそうと茂った木々。鳥や獣の鳴き声。
仲間もおらず、一匹で小高い岩の穴蔵で過ごす日々。
そこへ単身乗り込んできたのが、学芸員のおっさんでした。
ジャングルへ乗り込むにしては派手すぎる、フルイエローコーディネート。
その姿を見た時、ジョージーは大きいバナナが歩いているのかと思ったほどでした。
地元民に案内を頼むも、その奇抜さから邪険に扱われるおっさん。
それでもひとり果敢にジャングルへと突撃し、案の定ぬかるみにはまり虫に刺され荷物も野生動物に奪われる、かわいそうな満身創痍のおっさん。
ずたぼろになったきいろい服が不憫になり、なんとなく手をさしのべたのも束の間。
まさか自分が寝床にしていた岩穴が古代遺跡だったなんて──
ジョージーはおっさんが目を輝かせ、「いかにこの遺跡が凄いのか」と熱く語るまで全く知りませんでした。
「この木像ならば展示の目玉になる! なにせ幻の古代遺跡から発見された貴重なお宝だ! ああ、これで……これで博物館が経営破綻を免れるかもしれない!」
薄くなった頭髪を振り乱し、はじけんばかりの笑顔で古ぼけた木像を抱きしめるおっさん。
その瞳には、うっすらと涙が光っていました。
それからジョージーが後をつけ、無理矢理おっさん宅へと住み着いてからひと月がたとうとしています。
その間にも必死に手に入れた木像を館長にガラクタ扱いされたり、旅費の支払いを拒否されたり、学芸員を首になりそうになりながら過ごした日々だってありました。それでもそんな陰鬱な日々を追い出すような、おっさんとの楽しい思い出がたくさんできたのです。
長いようで短い共同生活。
ジョージーはこの町と、なによりこの少しだけ奇抜で幸薄なおっさんが好きでした。
そんな日々が、まさかこんな最期を迎えるだなんて──
ジョージーは首を振り、先ほどの衝撃的な瞬間を脳内へと呼び戻しました。
あの壁から生えたおっさんの様子からして、自殺だとは思えません。そして事故とも考えにくいのです。
誰かの手にかけられたと考えるのが自然でしょう。
でも、一体誰が、何のために
おっさんを殺したというのでしょうか──
*
「……犯人をさがすだって?」
「わんっ?」
ロビーでドアマンが隠していたサンドイッチを頬ばりながら、ステーブがジョージーに聞き返しました。
「うーん気持ちは分かるけど、僕たちに出来るかなぁ……」
弱気な発言とは裏腹に、サンドイッチはどんどん口へと運ばれていきます。減りの速さからして『ショックでランチがのどを通らない』などという貧弱な精神ではなさそうです。
「でも、このままじゃいくらなんでもジョージーがかわいそうだもんな。……よし、やろう!」
ステーブが卵サンドの最後のかけらを口に放り込み、立ち上がりました。
「ウッキ!」
「まずはそうだなぁ……部屋の中を見てみたいけど、ずっとドアマンが見張ってるし……とりあえずおっさんがひとりだった時のことを誰かに聞いてみる?」
おっさんがマンションに入ってから、ジョージーが部屋に戻ってくるまで。
そんな時間に何か知ってそうな人なんているのでしょうか。
ジョージーは考えた末、ポンっと手を叩きました。ひとりだけ思い出したのです。
ベランダでタバコを吸っていた、金髪のおねえさんです!
*
「おや、誰かと思ったら……上の部屋のおさるじゃないか」
「ウッキィ!」
四階、扉が三つ並んだ真ん中。
つまりおっさんとジョージーの部屋の、真下。
気怠げに扉を開けたおねえさんに、ジョージーは元気よく挨拶しました。
ステーブが朝から今し方起こったことを話し終えると、おねえさんはあきれたように髪をかきあげ、扉へともたれかかります。
「この真上で、あのおっさんがねぇ……」
「そうなんだ、おねえさん何か知らない?」
「残念だけどあたしはずっとベランダにいたから……物音とかにも全然気づかなかったよ」
「ウキィ……」
ジョージーはがっかりしました。
たしかに外は車通りも多くて騒がしいのです。物音に気がつかなくても仕方がないのかもしれません。
そんなションボリしたジョージーをちらりと見ると、おねえさんはタバコを取り出して火をつけ、ぽつりとつぶやきました。
「たしかにあたしは犯人をしらない。でもね、怪しい奴なら教えてあげないこともない」
えっ、と顔を上げるジョージー。
「あたしはこの部屋のベランダから大通りを眺めるのが趣味でね。だいたい午前中はいつもベランダにいるんだ。このマンションの住人は今日もいつも通りあたし以外全員出て行ったよ。そんで見たことない顔の奴が来て、それからきいろいおっさんが帰ってきたんだ。その後がおさる、あんただね」
「知らない顔? 毎日ベランダにいて出入りを見ているおねえさんにも知らない人がいるの?」
そうなんだ、とおねえさんがうなずきます。
「そいつはしなびたきゅうりみたいに細っこくて杖をついてる老人だよ。しかも……」
おねえさんは言葉を切り、勿体ぶったようにタバコの煙を天井に向けて吐き出しました。
「あたしはそいつがマンションに入ったところを見ても、出て行ったところは見ていないんだ」
おかしいね、という呟きとともに、頭上で杖の音がカツンと響きました。
*
ジョージーとステーブは急いで五階へと戻りました。早く杖の主を確認するためです。階段をのぼり終え廊下へと足を踏み出すと、すぐに誰かが言い争っている声が聞こえました。
「だから部屋には入れないと言っているんです!」
「何故だ!?」
おっさんの部屋の前で、枯れ木のように細い体をふるわせながら、しわがれた声でドアマンに詰め寄る老人。
おや?
どこかで見たような……
「ウッキィ!」
そうです、思い出しました!
おっさんが勤めていた、博物館の館長です!
「……ん? おお、ジョージーか。丁度いい、君からもこのわからずやに教えてやってくれたまえ」
いったいどういう事でしょう?
ジョージーが首をかしげると、ドアマンが頭をかきながら大きなため息をつきました。
「このじいさんが部屋に入れろってしつこいんだよ。部外者なのにそんなことできるわけないだろう?」
「私はここへ来るとおっさんと約束していたんだ。いいから通したまえ!」
「そんな無茶苦茶な」
ドアマンは完全にあきれています。
そういえば、今朝おっさんが「館長が直接取りにくる」と言っていたような……。
しばらく館長とドアマンの激しい攻防が繰り広げられましたが、先に音を上げたのは館長でした。
「ふん……ならば今だけは退いてやろう! ただし、その部屋には絶対に入るんじゃないぞ!」
しびれをきらした館長は真っ赤になってドアマンにそう叫ぶと、くるりと踵を返します。そして足を引きずるようにしてジョージーの横を通り過ぎていってしまいました。
ステーブとジョージーはハッと我に返ると、閉まりかけたエレベーターへと慌ててすべりこんだのでした。
*
エレベーターの扉が閉まり静寂が訪れると、ステーブがすぐに館長へと話しかけます。
「こんにちは、僕はステーブ! ジョージーの友達だよ。おっさんのことについて聞きたくて」
ステーブに向け、館長は「ふんっ」と鼻をならして言いました。
「……私は、おっさんは誰かに殺されたのだと思っている」
唐突な結論に、ひとりと一匹は顔を見合わせます。
「な、なんで……」
ステーブが疑問を投げかけたとき、ポーンという音が響きました。ロビーについたエレベーターの扉がゆっくりと開きます。
「証拠を見せよう。ついてきたまえ」
こっちだ、と館長が杖でぞんざいに指したのは、エレベーターの隣にある小さな扉でした。
「こんな扉あったんだ。初めて知ったよ」
「ウキッ?」
今まで忘れていましたが、ジョージーは前にも来たことがありました。
大事なものをぽいぽいしてしまった、あのときです。
カギのかかっていない扉を開くと、薄暗い階段。
その先にあるのは、ゴミ捨て場のはずです。
そこまで広くない空間に杖と不揃いな足音が響きわたりました。
「なんだか暗くて寒いね」
「地下だからな。……ほれ、あれだ」
館長があごで示したのは、壁に空いた大きな穴でした。大人でもすっぽりと入れそうです。
「なんだ? この穴……うわぁぁすげえぇぇ」
ステーブが穴に頭をつっこんで喋ると、声が遙か上まで反響しました。
「あまり長いこと覗いてるとゴミが降ってくるぞ」
館長に言われて慌てて頭をひっこめるステーブ。
「ってことは、もしかしてこれダストシュートの終着点?」
ステーブの問いかけを肯定するように、館長が首を縦にふりました。
ジョージーもこっそりと穴の中を覗いてみます。暗闇の中、遠くに小さな四角い光が見えました。
あれが壊れた扉が付いていた穴なのであれば、もうおっさんは壁から引っこ抜かれたのでしょうか。ここから見えるのは、小さい穴から垂れた一本のロープだけでした。
「でも、このゴミ捨て場がどうしたの?」
「これだ」
館長が杖で軽くたたいたのは、大きな穴の真ん中に、ポツンと置かれたレンガでした。
長方形の側面に穴が空いており、そこを通した紐が持ち上げられる形にぎゅっと結ばれています。しかし結ばれた紐は途中で切れていて、所在なさげにレンガの上に置かれていました。
「なんでレンガがこんなところに」
しげしげと見つめるステーブに、館長は厳しい声で言いました。
「これがおっさんを殺した凶器の一部だ」
ええっ、とステーブが驚いた声を出すと、館長が鼻で息を吐きつつ言いました。
「おそらく何らかの方法で気を失わせたおっさんの首にロープをからませ、もう片方にレンガをくくりつけてダストシュートに捨てたのだ。レンガの重りによっておっさんの首は絞まり引きずられ、穴にはまってしまったのだろう」
「そんな……いったい誰が……」
「ウキイ……」
「しかしジョージー、君が部屋へ戻ってきたときにはカギがかかっていたそうだな」
呼ばれたジョージーはうなずきました。確かに、その通りです。
「それでは……おっさんを殺してから扉に鍵をかけて立ち去ることができるのは、誰なのか」
ごくり、とつばをのみ込む音が聞こえました。
「マスターキーを管理してる、ドアマンだ」
驚いたステーブが館長に詰め寄ります。
「本当ですか!?」
「こんな重いレンガを軽く投げるなど女子供には出来まい。そして殺された部屋が密室だったことが何よりの証拠だ。彼はおっさんを殺したあとマスターキーを使って部屋のカギを閉め、何食わぬ顔でロビーへと戻ってきたのだ」
「ひどい……そんなの絶対許せない!」
顔を真っ赤にして怒りを露わにするステーブは今や、ドアマンが犯人だとすっかり信じ込んでいるようでした。
「こうなったらこの事実を突きつけてやる!」
足音も荒く飛び出していったステーブのあとを追うように、ゆっくりと館長も地下室から去っていきます。
残されたジョージーは必死に考えました。
どうすればおっさんの敵がうてるのだろうか、と──
*
いつしか、あたりは夕闇に染まっていました。
目と鼻の先にある公園の中。一番大きな木の上。そこでじっと待っていたジョージーは目当ての人物が現れると音もなく木を降り、きいろいマンションの横路地へと向かいました。
昼間にこっそり開けておいたゴミ捨て場の窓から忍び込みます。
いつもマンションの中をくまなく見回りしているドアマンは、ステーブが館長と一緒にどこかへ連れて行ってしまいました。ロビーには残された犬が寂しげに寝そべっているだけです。
ジョージーはダストシュートの終着点へとかけよりました。新しく捨てられたゴミを全てどけると、穴に手と足を突っ張らせてするすると上り始めます。おさるなので登るのは得意なのです。
やがて扉の壊れた出口にたどり着きました。
おっさんはすでに回収され、誰もいないはずの部屋に小さな光が揺らめいています。
「……どこだ……どこにあるんだ……!」
「ウキッ」
「うおぉっ!?」
懐中電灯の頼りない光で棚を漁っていた男は、ジョージーの登場に驚き素っ頓狂な声を上げました。
枯れ木のような体が細かくふるえ、おおきなおさるを凝視しています。
館長です。
「なぜ、ここに!」
驚くのも無理はありません。ドアマンを犯人に仕立て上げ、マスターキーも奪っておっさんの部屋に忍び込んだところを見つかったのです。
ステーブをだませても、ジョージーは引っかかりません。
何故なら地下のゴミ捨て場に何かが落ちたあのとき──ドアマンは、ジョージーと一緒にいたのですから!
ジョージーはゆっくりと館長に近づきました。
考えてもみれば、館長がおっさんを殺す動機は簡単でした。
博物館の財政問題です。
経営破綻の危機に陥っていた博物館の館長は、藁にもすがる思いでおっさんに「展示の目玉になる一級品」を探してほしいと依頼していました。
しかしずたぼろになったおっさんが意気揚々と持ち帰ってきたものは、古ぼけた汚らしい木像、たったひとつ。
こんなものでは客が増えるはずもない──
かんかんに怒った館長はおっさんを追い出したのです。
しかしおっさんはあきらめませんでした。
いかにこの木像が歴史的価値があるのか、そして置かれていた遺跡がいかに素晴らしいものか、論文にしたためていたのです。
当初ただのガラクタだと思っていたそれが「盗難を防ぐためのカモフラージュだった」と知った館長の内心は、嵐のようだったはず。
そして醜い野心が首をもたげたのです。
この論文とともに真の遺物を自らの名前で発表すれば、館長の名誉と財政状況も一気に回復するのではと見込んだのでしょう。
そんなにうまくいくはずもないのに……。
ジョージーはおっさんの机の奥底に隠されていた木像を手に取りました。
「そ、それはっ!」
眼の色が変わった館長が飛びかかるのをひらりとかわし、ジョージーはうっかり手が滑ったとでもいうかのように木像をダストシュートへと放り込んだのです!
ガン、という鈍い音が暗い穴の底から響きました。
「お、おい! 何をする!」
思わずダストシュートへと身を乗り出した館長。
その背中を迷いもなく押したジョージー。
細身の体は穴に引っかかることもなく、頭からまっすぐにダストシュートの着地点へと向かっていきます。
尾を引く悲鳴は、鈍い衝撃音とともに途切れたのでした。
*
再び地下へとやってきたジョージーは、ゴミの中で事切れた館長を静かに見下ろしていました。
哀れな人でした。
昼間、この終着点から見上げたときに見えたロープ。
おそらく館長はおっさんと落ち合い、部屋に入るやいなや鍵を閉め、ロープを頼りにダストシュートから飛び降りたのです。
そう、おっさんの首にロープを巻き付けたまま……。
非力なおじいさんひとりでは成人男性の首を絞めるのは難しいでしょうが、全体重をかけた上に落下による重力が加わればひとたまりもありません。
しかし不運な事にロープが途中で切れてしまい、大きな音を立てて終着点へと落下したのでしょう。足を引きずっていたのはそのとき怪我をしたに違いありません。
途中で切れたロープの内、手元に残った分をレンガに結びつけあたかもこれで殺害したかのようにみせかけたのです。
しかしジョージーは知っていました。
このレンガは、以前大事なモノをぽいぽいしてしまった時から、一ミリだって動いていないということを。
ジョージーがエレベーターに乗る時に聞こえた「ドンッ」という音は、まさに館長がゴミ置き場に着地した音だったのです。
その後、何食わぬ顔で再びおっさんの部屋の前に現れたということです。
ジョージーはひび割れた木像の中から覗く、黄金色の仏像を拾い上げました。
もうこれでジョージーの思い残すことはありません。
ジョージーは復讐をとげると、ゆっくりとマンションから立ち去りました。
あんなに騒がしかった町も、深夜はとても静かです。楽しそうな子供の声も、ひっきりなしに通る車の音も聞こえません。
ところどころにひかる街路灯や夜更かしの窓から漏れる光が、まるで星々のように煌めいてみえました。
しかし、もうジョージーがこのコンクリートジャングルへと足を踏み入れることは二度とないでしょう。
おっさんのいない町など、ただのジャングルより魅力のかけらもなかったのですから。
きいろい服のおっさん殺人事件 雪屋 梛木(ゆきやなぎ) @mikepochi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます