第43話 家訓は、生きろ
真夏の強い日差しの中、離宮のプールの中ではキレンスキー将軍夫妻と二人の子供たちが水遊びに興じている。副官のファルカスも自分の一人娘と一緒にそこにいる。当然、魔王のルーチェスクもそこにいて、二人の息子も一緒だ。
大人4人対子供5人の水かけごっこに興じている。
もちろん、魔術行使は禁止だが。
さんざん水をかけられた、一番の年下の子供のカイが息を切らせてベンチに座っているシーナとサンディ・アラートのところに走って来る。
カイは利発ではあるが、何しろ体が小さい。年頃の子供たちと比べたら遜色はないが、この一団の中では一番体が小さい。
「かあさま」
「なぁに?どうしたの?」
「くやしいの」
母親であるシーナの問いにそう答えると、かたわらのおもちゃ箱の中から砂遊び用の小さなバケツを取り出すと、今度はそのバケツを使って水をかけようと再びプールに向かう。
カイの手はまだ小さいので、バケツでたくさん水を掻き出そうという考えなのだ。だが、彼が考えているような、バシャバシャと勢いよく水を掻き出すにはまだ力は足りないだろう、と思うが。
トライ・アンド・エラーは必要か、と思ってシーナは口出ししない。
「カイ様は着眼点がすごいですね」
「でも水の入ったバケツが重いことを自覚してはいないのよ」
人間で言うと4歳くらいの子供に相当する。力が弱い。ところが、カイの行動の意味に気が付いた兄のルークがカイに手を添えて水をかけるのを手伝っている。
「うわぁぁぁ」
それはたまらないとルーチェスクは笑いながら逆にもっと激しくばしゃばしゃと二人の息子に水をかけてやった。
巻き込まれたキレンスキー公爵夫妻と息子のアランとサーフェスが一緒になってルーチェスクとやりあう。
「おい、ロブ、それはルール違反だ」
そういうルーチェスクに、今度はファルカスとクリスティーナ親子が加勢して、ますます激しくなる。
「ルーチェスク様はやることがパワフルですねぇ」
隣に座ったサンディ・アラートが目を丸くする。
「時々子供たちと張り合っているわ」
シーナが笑う。
「一番に童心に返っているのは誰ですかね」
そう言いながらアルマが迎えに来た。
「シーナ様もサンディさんもそろそろ中に入ってください。日差しがきつくなってきました」
「そうね」
シーナはそろそろと立ち上がる。サンディ・アラートも妊婦だが、シーナの方が産み月が早いのだ。
魔界に来て驚いたのは、妊娠期間が恐ろしく短かったことだ。
コロッセオでの花嫁儀式が終わったのち、3カ月としないうちに結婚式を挙げた。
同時に魔族化の術式を受け、椎名は正式に魔族になったのだ。人間よりも長い寿命を得て、そしてルーチェスクとの間に子供を成す準備が進められた。
民衆の祝福を受け、各地からも祝砲が上がり、魔界は大いににぎわったのである。
それからは王妃として多忙な日々が続いた。
あの樹海の一件から、最後の花嫁儀式に至る一連の作戦が縁で、アーノルドはオーウェルズ侯爵令嬢であるアンジェリカと結婚し、そのあと間もなくして副官のファルカスはルーチェスクのブレーンの一人であるサンディ・アラートと結婚した。
アーノルド夫妻のところに、めでたく長男アランが生まれ、一年置いてサーフェスが生まれた。それから間もなくして魔王夫妻の間に長男のルークが生まれ、またちょっとしてからファルカスとサンディとの間にもクリスティーナが生まれた。それから2年ほどして、魔王夫妻の間にカイが生まれたのである。
三組の夫婦の子供たちがダンゴ状態で生まれているので、良い友達になるとルーチェスクもシーナも彼らと一緒に子育てをしている。
魔王夫妻の三人目の御子は女の子だと、巷では噂されている。
どこから情報が漏れたのかと言いたいが、まぁ占えば結果が出てくるのだから市井の占い師の占いに口を挟むことはしない、と王城ではおおらかに認めている。
シーナは結婚してからも、ルーチェスクによる魔界の変革に手を貸している。
シーナが思うに、魔術の発展が進んでいるので科学技術の進歩が遅いと感じている。人間界で言うと産業革命当たりの年代だろうか。蒸気機関はあるし、ガスの利用も始まっている。電気はまだまだこれからだ。
でも魔術があるからあまり不自由はない。魔力ゼロの者は、逆に手厚く保護されるので暮らし向きに困ることはない。
だから、シーナが手を付けたのは教育改革と医療改革だった。
学校制度を導入して、基礎教育を行うことを目指した。最初は少しだけ、広く、浅く教育する。
困難なのは医療だった。種族によって体の構造が違うものがいる。そうなると、解剖して調べるしかない。
死刑になった犯罪者は問答無用でその解剖の対象になることが法律的に決まり、それを不名誉だととらえた魔族は、犯罪を犯すことを嫌った。なのに、献体することは栄誉だと嫌がらない。
人間だったシーナにはわからない感覚だったが、これがかなり貴重なデータとなった。おかげで、医療がかなり発展した。
無理やり魔力を流して治癒するよりも、構造を知ったうえで「異常な」部分を治癒させるという方法で魔力を流すと、今までよりも早く、かつ確実に治癒することができたのである。
こうやって、シーナは椎名だったころの自分の知識を生かしてあれこれ王妃としての仕事をしている。
高校生だった自分の知識はまだまだ半端だったに違いないが、王城にいる文官や技官、各研究所にいる研究者たちはそれこそシーナの頭の中を分解するような勢いでその知識に食らいつき、相応のヒントを得て再び研究に没頭したようだった。
「アルマ、何か温かいものを用意してくれる?あの様子じゃぁ、身体が冷えてしまうわ」
「そうですね、本当に」
アルマはくすくす笑いながらシーナとサンディを屋内に案内する。
場所を移しても、シーナは息子二人を見ていた。
無邪気に遊べるのもあとわずかかもしれない。次期魔王として育てられなくても、オオカミ族の次期当主としてカイは育てられることが決まっている。ルークはオオカミ族の血よりも、魔術師としての血が濃いらしく、宮廷魔術師たちとあれこれやっているのが楽しいらしい。今は王城の他の子供たちと一緒に集団での基礎教育を受けているが、あと2年か3年かすると、こんどは一族の森で一族の子供たちと一緒に育つことになるだろう。
その時には一家は一時的に王城から住居を移すつもりでいる。
子供たちが成人するまでは一緒に暮らすつもりだからだ。
この先もしばらくは子供たちと一緒にわいわいがやがや暮らすことになるのだろう。
シーナのお腹の中にいる子も、おそらくわいわいがやがやと喧騒の中で暮らしてゆくのだろう。三人目の出産だというが、現代での出産とあまりにも違いがあって、椎名はまだ慣れないが。
まず妊娠期間が5か月ほどというのは信じられない。
何年たっても慣れないことは慣れないのだ。それでも、笑ってしまえる日が来るだろうとのんびり構えている。
「サンディ?」
異変に気が付いたのはシーナの方だった。
「私、産めるのかなぁ、未だに不安です」
シーナはくすくす笑う。
「悩みがあるということは生きているということではなくて?」
「王妃様?」
「小さい頃、家訓が『生きろ』って、変な家だと思ったんだけどね、魔界に来てからその意味をひしひしと感じているの。生きていなきゃ、何もできないって。生きているからこそ、いろいろできるんだって。だから、不安になるのも生きているから出来ることなのよ」
「そうなんですよね」
「だから、私は力の限り、生きるだけ。そう思ってるの」
「それ、当たり前だけど、大変ですよね?」
そうなんだけどね、とシーナは笑っている。
サンディの知るシーナはほぼ、魔界に来てからのシーナの姿だ。人間界で生きてきた椎名の姿は知らない。だからこそ、しなくても良い苦労や努力があったに違いない。それを思うと、藤間の花嫁という立場も、今の立場も大変だと思う。
けれどなお、それでも、ちからのかぎり生きるとシーナは笑う。
生きているからこそ、ルーチェスクと共に歩めるし、王妃という立場もあるのだという。ルークとカイの母親として、生まれてくる子供のために生きるのだという。
「自分の人生、後悔したくないじゃない? ただそれだけよ」
それが、一番の本音なのかもしれない。
富や栄誉に溺れてしまう王妃よりも、余程正直で真っ直ぐだとサンディは思う。そしてその彼女と共に歩むことを決めたルーチェスクを夫と共に支えてゆこうとサンディは密かに思うのである。
「かあさま」
「お父様に勝ちたいよう」
ルークとカイが笑いながら走って来る。今度は水かけに負けないように、大きなバケツが欲しいという。
はじけるような笑顔だった。
その二人を見守るシーナの顔もまた笑顔で。
椎名ははここで、生きている。
シーナはここで、生きてゆく。
了
藤の花嫁 藤原 忍 @umimado1
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