第42話 最後の花嫁儀式 4
当の本人はルーチェスクと一緒に切りかかってくる魔族を蹴散らしている。避難する民衆に気を配りつつ、セルジュとファルカスがアーノルドが抜けた分、二人を守っている。
「いや、詠唱なしで?」
アーノルドは驚く。
加護の魔法は通常以上の魔力を必要とする。ガードしつつ、近寄ってくる他の物を消滅させるほどの強力な魔法は詠唱と呼ばれる魔力を紡ぐ作業なしでは発動できないはずだ。それを、いとも簡単にやったことにアーノルドは驚きつつ、コロッセオの上空に浮かんでいる、司令塔であり首謀者の魔族の男を脳天から真っ二つに切り倒した。
「うおおおおおおおお…」
雄たけびを上げながらなお切りかかるその男をあしらい、二人組み合ったまま、下へと落ちてゆく。落下速度に加速度がついているので振り払うと避難中の民衆に突撃してしまう可能性があり、振り払うことができなかった。
そしてこのまま落下しても民衆の上に落ちることは間違いない。軌道修正をしてはいるが、確実に誰かを巻き添えにするだろう。
「そのまま落ちてこい」
念話でダイレクトにルーチェスクの言葉があって、短い、心地よい詠唱が唱えられた。アーノルドにとってはどうという詠唱ではないが、相手にはそうではなかったらしい。瞬時に相手は砂と化した。
「あ、ルー、今の魔法教えて」
何とも暢気な椎名の羨ましそうな声が聞こえて、アーノルドは思わず笑った。体制を整えて着地に備える。かなりの速度だし、無理やり軌道修正したから衝撃は覚悟したが、椎名の魔法に守られていたのか、本当にすんなり、ふわりと着地して終わった。
「ありがとうございます」
「当たり前だ、あの状態では民衆が危ない」
ぷいっと横を向いて返事をするルーチェスクに、椎名はくすくす笑った。
「相手に反撃する時間を与えたくなかったからね、当たり前よ、二人とも良いチームワークでうらやましいわ」
椎名はそう言った。
民衆一人傷つけられないことに怒った男が数名、上空から一気にまっすぐ民衆に牙をむけたが、鉄板のように固い椎名のバリアーに阻まれて、倍の力ではじき返された。だが、自身にはその力を受け止める力はなく、ぐちゃりと血の花を咲かせ、どろどろと黒い液体の水たまりになった。
不思議なことに、護衛の兵士やセルジュ達がそこに叩きつけられても傷一つ負うことはない。軽いはじき返しが在るだけで、セルジュがそれを利用して空中戦をやっているのを逆に護衛の兵士がまねて空中戦を展開する始末だった。
騒ぎにはなったが、襲撃者のほとんどは容赦なく切り倒されて、生き残った者たちは拘束された。
「久しぶりは、キツイですなぁ」
暢気に椎名が剣を納めると、ここぞとばかりに最後の一人らしい襲撃者が魔法の「矢」を雨のごとく降らせてきた。
「これならかわせまい」
余裕でにやりと笑う襲撃者は、信じられない、と目を剥いた。
自分の身体を射抜くように何本もの矢が刺さっている。自分の攻撃した矢は、ようやく椎名の元に到達したばかりだというのに。しかしそれも、椎名の魔力にすっと飲みこまれて消えていく。
「俺の渾身の詠唱を…」
「いくら貴方でも無理ですよ。花嫁になるべく、武術はすべてお教えしておきました。残念でしたね。…もう、聞こえていませんか」
屍となったその男を悲しい目で見つめたが、男の屍がさらさらと音を立てて砂に変わり消えてゆく。
「…ごめん、力加減間違えたよ。生け捕りにするつもりだったのに」
セルジュに申し訳なさそうに椎名はそう告げた。
「さらりと恐ろしいことを言うな、姫さんは」
アーノルドは冷や汗をかきながらそう呟く。この襲撃者の正体を知らないからそう言えるのだ、と思う。しかし、その彼を一瞬にして無にしてしまった花嫁とは、いったい何者だ?と恐ろしいほどの戦慄が止まらない。詠唱呪文の一つも唱えないで、突っ込んできた魔術師の男を消滅させたというのに。
確かこの術者は、魔術での功績が認められて貴族位まで与えられていたはずだ。当代一の魔術の使い手、だったはず。
「だって、ずーっと耳障りな詠唱を続けられてさ、頭に来ていたんだけど」
「この男が?」
「市民に暴動を起こさせるための魔法の詠唱。だからバリアーを張ってその詠唱を吸収させていたの。トランポリンみたいになったのは彼のエネルギーの賜物ね。私じゃぁ消化できないから反作用を利用しただけの話だし」
「じゃぁ突っ込んできた奴らは…本来自分たちを守るためのバリアーが逆に…」
ファルカスの言葉にルーチェスクが頷いた。
「セルジュなんてそれで遊んでいるし」
「消化されなかった分はどこに行くんですか?」
「んー、後でお菓子にでもする?」
ファルカスと無邪気な椎名のやり取りにルーチェスクが笑った。
「俺が貰う」
そう言って不意に椎名を腕の中に入れてキスを落とした。
不意打ちに驚いた椎名がこんなところでやめてほしいとペシペシとルーチェスクの二の腕を叩いて訴えるが、確信犯のルーチェスクはますますキスを深くした。
ルーチェスクを中心に、のどかな空気がふうわりと流れ、それが魔界に満ちる魔力なのだとファルカスは気がつく。処刑場という生臭いこの場であっても王宮にあるように、一気に和やかな、穏やかな空気に変えてしまうこの二人の「魔力」に、その場にいた誰もが振り返って二人を見、こんな場所でも愛を交わす二人に穏やかな気持ちになる。
そしてそれが、通常以上の魔力を行使したための、よどんだ空気を変換して浄化するための「魔力」であることに、アーノルドもセルジュもファルカスも気がついた。
そんなことを瞬時にできる強大な魔力の持ち主は二人だけ。この魔王夫妻しかいない。
魔王夫妻がごく当たり前のように抱き合い、キスを交わす姿を国民に見せるなどということは滅多にない。勿論、微笑ましい姿で、滅多にないその姿は国民すべてを幸せにするとは分かっていても、だ。
凄惨な処刑現場で、こんなことができるのも魔王夫妻の、特に藤間の「花嫁」の器の大きさが底知れぬものだと言っているようなものだ。
「王、釘を刺すにはやりすぎです」
さすがのセルジュも半ばあきれたように止めに入り、ルーチェスクはくすくす笑った。
「ここまでやれば連中も黙るだろうが」
しらっとして、魔王の顔でそう言うと、マントの中に椎名を隠した。
「帰るぞ、まだ終わったわけではない。パレードは終わっていないし、別動隊からの報告がまだだからな」
「クレージュからは任務完了の報告が…来ましたな」
セルジュがそう言って、息子から念話で報告があったと示唆した。クレージュには王宮内部の最後の残党を捕まえるように指示を出している。
「ああ、こっちもだ。アンジェリカはうまくやったらしい。成果は上々だとさ」
アーノルドも民間人を中心とした、あのルクソール商会の武闘派達をせん滅する作戦を担ってくれたアンジェリカからの終了報告を伝えた。
コロッセオ内部はまだ騒がしい。本当なら王宮までのパレードもなくしてしまいたいのだが、それをすれば花嫁儀式が不発に終わったのかと疑われてしまう。
だから、ルーチェスクはパレードを決行することを選んだ。二つの別動隊は王宮も懸念された商会連中も黙らせてくれたのだから。
唯一、ルーチェスクのマントの中でどんな顔をすればよいかとパニックになっている椎名を除いて。
こういう時は羞恥を覚えるのか、とルーチェスクはにやりと笑った。
「大丈夫だ、お前はお前で良いのだ、椎名」
「人前で堂々とラブシーン公開していけしゃぁしゃぁと出来るほど、図太くはないんです。どなたかとは違って」
セルジュは一応そうフォローしておいた。時々、無茶はする子だが、とも思う。
「破壊力高すぎ」
椎名からは、そう抗議の声が上がった。容赦なく深いキスに腰砕けになっているのだ。
「それは俺のセリフだ。覚悟しておけ、今夜は寝かさない」
ルーチェスクはそう言ってふふんと笑った。
その破壊力高すぎな会話とルーチェスクの微笑の方が怖いと、セルジュ達は思うのだが。
だが、魔界にエネルギーが満ちていることに変わりはない。
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