第29話 これだけは
「なんでお前が来んだよ」
実稲が俺らを見るなり、訳が分からないと思っているであろう顔をしていった。
ここは、文芸部の部室。
石野織里奈に麻里奈を通じていじめっこ三人組をここに呼び出してもらったのだ。
「み、みんなと仲直り、したいから、です」
小町は震えながら、しかし確かな意志を持ってそう言った。
「「「はぁ?」」」
いじめっこ三人組の顔には、何言ってんだこいつ、という文が書かれている。
俺だって、小町の言ってる事が理解できない。言葉の意味はもちろん分かる。
分からないのは、小町の心情だ。
なぜ許してやるのか。
なぜ、その上で友達になりたいのか。
俺がもし小町の立場にいたら、絶対許せない。
「プッ! 馬鹿かよ。キモいんだわ、そういうの」
麻里奈は本当に嫌そうに小町を睨んだ。
そして、他の二人と一緒に睨みをきかせたままこちらに近づいてきた。
「どけよ。あたしら帰るから」
「い、嫌です」
小町は両手を広げていじめっこ達の要求を拒んだ。
「どけっつてんだろ!」
麻里奈が小町の頬を叩いた。思い切り叩かれた小町は勢いで顔が横を向いてしまった。
いつもはとんでもなく痛がった後に気絶するのに、何故か耐えていた。頑張って耐えているのか、それとも何かが彼女の中で起こっているのか。
なんにせよ、殴られても小町は両手を広げてそこをどこうとしなかった。
「ちょっとあんた、やりすぎだろ。怪我させる気か?」
流石に俺が、小町と麻里奈の間に割って入った。暴力はまずい。
ふと小町を見ると、涙、鼻水、汗、よだれ、顔から出る液体を全て垂れ流していた。
顔を顰めて、足が震えさせて、彼女は苦しんでいる。
「は? いんだよ。ちょっと怪我しても、そのお顔は綺麗なままですからねー」
「てか、見ろよ! ビッチがキモい事になってるわ!」
「やっば!」
いじめっこ三人は小町の事を腹を抱えて笑い出した。
俺にはその姿がとても醜く見えた。
小町の頑張りを知らないにしても、こいつらの性根は腐ってる気がする。そもそも、逆恨みでいじめに走るのがおかしい。
人の痛みが分からない奴らなんだ。
こいつらは何も知らない。小町の苦労も痛みも。
まさか知っててやってるのか?
せめて、無知であってくれ。
じゃないと、小町が許せても、俺が許せない。
「てか、調子乗んのも大概にしろよ。男でもまじボコボコにできっかんな?」
麻里奈のドスの効いた声が俺を刺す。
どうも、初心者じゃない佇まいだ。余裕がありすぎる。
殺気がピリピリする。
ビビり散らかしてるが、ここで引くわけにもいかない。
「こ、小町を殴るくらいなら俺を殴れ!」
「分かった」
俺は、いつの間にか後ろに倒れていた。
顔に強烈な痛みを感じながら。
麻里奈に殴られたと理解した時には、もうドアに頭をぶつけていた。
早かった。パンチが素人のものじゃない。
格闘技経験者か? それともただ喧嘩が強いだけ?
「じぇん、ばい?」
殴られたというのに、俺は異様に冷静になれていた。
頬の周りがとんでもなく痛いが、直前で無意識に食いしばっていたのか、幸い歯は折れていなかった。
それよりも小町だ。
目が見開き、瞳が揺れている。
「じぇ、じぇんばい! 大丈夫でずが!?」
小町はようやく状況を理解したのか、あんなに意地になってやめなかった仁王立ちを崩した。
「やば、だっさ。口だけかよ」
「手加減したのに雑魚すぎだわ。反応出来てなくてウケるんだけど」
美海花と実稲がそれぞれ俺を煽ってくる。
だというのに、俺は何も怒りを感じなかった。それよりも、小町が心配になる。
こいつらに、心だけでなく、体までも傷つけられるんじゃないかと。
いくら小町が傷の治りが早いとはいえ、その時の痛みは一般人には計り知れないのだ。
それに、そもそもに小町に怪我などさせたくない。
俺は、彼女を守ろうと立ち上がろうとした。
しかし、体に思うように力が入らない。
なぜか。
答えは簡単だった。
怯えているのだ。俺は。
いくら頭が冴えているとはいえ、体は痛みと恐怖で震え、心のどこかでは逃げたいという気持ちが芽生えている。
逃げる、それは小町を置いてであってもだ。
最低かもしれないが、俺は今そのくらい恐怖に心が蝕まれているらしい。
もちろんそんな選択はしないが、小町がいなかったら必ず逃げていた。
「痛くないでずが!? 腫れでばず!」
「だ、大丈夫。痛いけど、すぐ治る。心配……あれ?」
何だか口の中に鉄っぽい味が広がってきた。
「ちょっとごめん」
俺はティッシュを取り出し、口の中のそれを少しだけ出した。
「ま、まじか」
それの正体は、やはり血だった。
口内が切れたらしい。
恐らく心配はないのだろうが、このティッシュだけを他の人が見たら、パニックになるだろう。
それは、小町も例外じゃない。
「血?」
ティッシュに染みた血を見て小町は固まってしまった。
「だ、大丈夫! 切れただけだから!」
「必死かよ。心配ご無用って? 倒れておいてそれはダサすぎ」
俺の精一杯のフォローを遮るかのように麻里奈はそう言った。
そんな中、放心していた小町がゆっくりと立ち上がった。
そして、ゆらゆらと揺れて、下を向きながら小声で何か言葉を繰り返し始めた。
「何、やる気? は! 来いよ」
麻里奈の煽った手招きに、小町は反応しない。そんな言葉は耳に入らないようである。
俺は、小町がなぜそうなっているのか察していた。
小町は怒っているのだ。
彼女が、立ち上がる時に目を見開いて拳を震えるほど強く握り締めていたのを俺は見逃さなった。
まずい。
殴りかかろうとしている。
まだ、理性が残っているのか行動に移してはいないが、いつ怒りに呑み込まれるか分からない。
この状況でいじめっこ達に煽られたら、それをきっかけに暴走するだろう。
小町に人を殴ってほしくない。
止めなければ。
「小ま」
「ダセェ彼氏と同じになるだけだかんな」
俺は小町の手を握ろうとしたが、虚しく空を掴んだだけだった。
小町は麻里奈の胸を勢いよく押していた。
「うおっ!?」
あまりの速さと近さに、麻里奈も反応出来なかったのか、後ろに下がりながらよろけてついに尻餅をついた。
ギリギリで後ろのテーブルには当たらなかったが、もし当たっていたら、大怪我だっただろう。
小町はそんな事も考えられない程周りが見えなくなっているらしい。
そんな小町はゆっくりと麻里奈の元へ歩き出していた。
「っつ! 何してんだよ!」
麻里奈の右後ろにいた実稲がそう言っても小町は歩みを止めない。
小町が聞く耳を持たない事を察したのか、実稲が小町の後ろに回り込み羽交い締めした。
なんとなく近づけたらやばいと感じたのだろう。
俺もそう思う。
今だけは、その選択をした事をありがたいと思う。
「うぅ! うううぅぅ!」
「くっそ! 止まれし!」
小町はそのまま突き進もうとするが、実稲も頑張ってそれに耐えている。
だが、小町はその体のどこに隠しているのかも分からない程の怪力だ。
当然、女子の力では勝てない。
「うぐううぐうぐうう!」
まるで獣のような唸り声を上げる小町。
一歩一歩を踏み締めるかのように、実稲を引きずっている。
「な、なんで動けんだよ!」
美海花はもうどうすればいいのか分からないようで、口は動かしたもののその場に立ったままだった。
「くっそが!」
ようやく立ち上がった麻里奈が呼吸を荒くして、片手を鳴らした。
「みね、離れて。一発食らわすわ」
「わ、分かったけど、殺さない程度にな?」
麻里奈は実稲の言葉には返事をせずに、何やら片腕を引き締めて、片手を突き出す構えを取り始める。
絶対やばい気がしたが、それでも俺は動けなかった。
事が起こったのは、実稲が小町から離れた時だった。
「ふっ」
麻里奈が一瞬で小町との間合いを詰めて、何かした。
実稲と小町の背中に隠れてしまって小町に何が起こったのか見えなかったが、確かに聞こえたのは鈍い音だった。
「う、ぉごえぇぇぇぇ」
床に何か液状のものが落ちている音が聞こえる。
その正体は、小町の脚の隙間から確認できた。
「きったな。吐くなよ、豚が」
麻里奈の言葉が全てを表していた。
小町は苦しそうにしゃがみ、膝をつく。
流石に力が強いと言っても、苦しさには耐えられない。
小町は苦しそうにえずきながら、ついに倒れ込んだ。
俺は居ても立ってもいられず、急いで倒れている小町に近づいた。さっきまで、動かなかった体が嘘みたいに素早く反応していた。
「ま、麻里奈。こいつの骨折ってない、よな?」
「大丈夫っしょ。ま、内臓イカレたかもしんないけど」
麻里奈は軽くそう言って、小町の嘔吐物を飛び越えた。
許せない。
おかしい。
なんで。
色々な感情が交差して、頭のキャパシティを超えてしまいそうだ。
小町が何をやらかすか分からなかったとはいえ、どう考えても度を越している。
温められていた怒りが沸騰してきたのが自分でも分かった。
「うぅ……」
「小町!? 大丈夫か!?」
うめく小町をそっと抱き抱える。
「うぅぅぅ。うぅ。許、ぜない。ぜんばいを、うぅぅ」
「お、俺は大丈夫だから! 自分の心配しろ!」
「ぐやじぃよぉ。なんで、なんで、ごまぢは弱いのぉ。なんでぇ……!」
小町は泣きながら、俺の服の胸元を握りしめた。
「ど、どうすんだよこれ」
「ほっときゃいいんだって! どうせ、なんとかなるから」
「いや、流石にこれはみねの言う通りやばいって」
奴らの声が少しずつ部室のドアに近づいている事が分かった。
どこかへ行ってしまう。
だからと言って何かできるはずもなく、小町を抱えたまま彼女の頭を撫でてあげるしかなかった。
「ったく。あとで姉貴に事情聴取だわ」
麻里奈の言葉と共にドアが開く音がする。
「「「え?」」」
奴らがドアを開けたというのに、何故か奴らが出ていく足音がしなかった。
そして、奴らの揃ったまぬけな声が後ろから聞こえてきた。
「よぉ? 待った?」
聞き覚えのある声。
いつもの低い声がさらに色濃くなっているが、流石に聞き間違えない。
この声は。
「「「さ、サレン姐さん?」」」
河原沙恋だ。
好奇心旺盛で誰かの役に立ちたい後輩が、俺の高校生活をぶち壊しに来てる。 1²(一之二乗) @sanichitasusi
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