砂漠に似た肺魚

架橋 椋香

砂漠に似た肺魚

「 


 電光石火の早業で彼はまたビルの屋上から飛び降りる。だが彼は死なない。少しして一羽の鳩を橙に染めて、再び屋上に帰ってきた。彼の真摯な姿を見た一人の紳士風な男が問うた。

「君は橙が好きなのかね」

 は微笑して答える。

「我々ハヤブサは他の生き物を殺めて生きる定めなのです。その決まりを侵そうとすることは愚かだ」

 紳士風の男はまだ若かった。ちょうど働き盛りの前半といったところだ。だが顔には皺を増やし、ずっと老けて見える。

 その男は俯いて一息つくと、屋上を囲う鉄柵目掛けて駆け出し、鉄柵に一蹴り入れた。かと思うと、鉄柵には大きな穴が開く。男はその穴より鉄柵の外に出で、我、飛ぶ可しうんぬん!と叫んで屋上から飛び落ちた。落ちながら、男は懐かしい快楽に指先が撫でるのを感じた。



 何故彼は飛んだのか。その答えをオレは知っているがそこは読者の皆様の想像におまかせしよう。そんなことより、カレーだ。カレーが喰いたい。そうだ、オレたちだって他の生き物を殺めて生きる運命にあるんだった。それが便利なスーパーマーケットで買ったものだろうと同じだ。その責任を忘れちゃいけない。多くの生きてるものの生命を剥奪して自らの生命を保ってるということを。


 

 男は目を覚ました。目は開けているつもりだけどどうだろう。真っ暗だ。何も見えない。ただという音は聞こえる。死んでしまったのだろうか。

 まあいい。どちらにしろ、することは同じだ。

「私は、のぼらなければならない」

 暗い。どちらが上だろうか。からだが、見えない力で引っ張られていない方。それを見極める。


 分からない。人間に生まれてよかったと思ったことはないけれど、人間に生まれたことを悔いたことはいくらかある。そんなことが、急に思い出されて、ふらつく。一人で立つことは難しいんだ、という事実が、大きくつくられた脳が生む思慮が、重くのしかかる。息が苦しい。干からびていくように、この世界への固執が薄く褪せていく。意識。




 目が覚めた感覚。眩しい。膝が折れ、重心が深く揺れる。

 落ち着いてくると、状況が少しづつ分かってくる。

干からびてしまい、からからと軽い私と、うるおい、屈折させる蒸留の私が、光とも陰ともつかない沼の上で、向かい合っている。

 妙だった。色がなく、また、私の見る限り、今、私は体を持たないようだ。

 死んだ、のだろうか。

 それならそれでいい、とも思った。

 干からびてふたつになった私が、何かを喋っているようだ。することも他にないので、聞く。

「目は、どこにいったんだ?」

と、うるおう方の私。

からからの方の私は答える。

「どこにいってしまったんだろうな、お前はわかるか?」

 からからの私がこちらを向く。

 話を振られたのに気付いた。知らない。はずなのに。

 なのに、思い出された。

「チューリップ園にある。ふたつ一緒だ」

「そうか、よかった。でもちょっと遠いな。じゃあ、先に左足を見つけてから取りに行こう。左足はどこだ?」

と、からからの私。

 うるおう私が知っていたようで、答えた。

「左足は、公民館にある。さきに目を見つけてからの方が早い」

「そうか、じゃあそうしよう。あとふたつで全てが始まると思うと、生まれて以来、これほどわくわくしたことはない」

と、からからの私が、ヒーローアニメの悪役をなぞるように言った。

 やっと、自分が彼らと一つを成す存在だと気付いたこの自分、ふわふわした私が言う。

「だって、私たちはこれから、初めて生まれるのだから」

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砂漠に似た肺魚 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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