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読書感想文『まじ、絵本。』を読んで

 私が書いた作品の中で、最も嫌いなものが、『まじ、絵本。』です。
 もう二度と戻ることのできない少し昔の私が私の背中に乗せて逃げて行った、家庭用コンピューターほどはあろうかという重さ、大きさの、たった500文字と少しの絵本。
 本当は、これは、それくらいのものを持たされたくらいで歩けなくなってしまう私の力不足に過ぎないのですが、しかし、このまま何もせずにはこの絵本を軽くし、この絵本を愛し、この絵本を飼いならすことができません。
 そこで、あの憎い『まじ、絵本。』が生まれた当時のことを振り返ることで、この絵本を飲み込み、消化し、それを栄養源に木を育て、紙を作り、新たな絵本を作らなければならないと考えました。
 前置きが長くなりましたがここから本題です。
 私が小説のようなものを書こうと思ったのは、なんとなく、自分が何も切らないまま錆びてしまうハサミになってしまうことが嫌だったからです。ハサミならば研ぎなおすことで再びモノを切ることができるようになりますが、ハサミの時間を錆びる前に戻すことは今のところできません。
 それなので、当時の私は自分の病を落ち着かせることだけを考えて薬を作っていました。もちろん、今は誰か他人の病を治すために薬を作り、分け与えているなどと言いたい訳ではなく、今も、これからも、私には他人に必要とされるような薬を作ることなどできないと思っています。
 今と当時の違いは、文章を創造するものの内の感情と理性の割合です。当時は家畜に行き先を任せ、彼らを放し飼いにすることで、私でもある程度良質な肉を提供することができていました。しかし今では、出しゃばった私が家畜の行き先を制限するようになり、それによって家畜にかかるストレスが増え、肉の質を落とすことになってしまったのだと考えています。
 小さな虫籠で食べる魚肉ソーセージに慣れてしまう前のカマキリに戻ることができるのであれば、もういちど草原の風に行き先を任せるだけでよいのですが、慣れを治すことは難しく、急に草原に戻されてしまうと、体の訛りから草原では獲物を捕らえることができず、死んでしまうかもしれません。それに、小さな虫籠で魚肉ソーセージを食べていた頃よりも強くなるためには、小さな虫籠を大きくし、食事も定期的に、生きているバッタを虫籠に入れなければいけません。
 このようにすることは難しく、すぐにはできないことではありますが、そうすることでのみ、以前のように戻れるのだと思っています。すぐには結果をだすことはできないかもしれませんが、これからも私、架橋椋香のことを応援してくださると幸いです。
 最後に、私の面白くなく読みづらく拙い文章を読んでくださいまして、ありがとうございました。

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