どうか私を忘れてください

田辺千丸

どうか私を忘れてください

―君は覚えているのだろうか?

 あの夏の短い一時ひとときを。


 ねがわくば、そんなことがありませんように。


※※※※※※※※※※


 高校二年の夏、私は田舎の学校に転校した。


 色白でお人形みたいと言われる私を、遠目で眺める君は、少し怖かった。


 生まれながらに病弱だった私は、療養りょうようの為に田舎ここに来たのでは無い。


 生きることを諦めていた私に、君は怒ってくれていたのかもしれない。


 私は、自分の死に場所を求めている。

 段々と壊れて行く私に、誰も関わって欲しくはなかった。


 では、なぜ私は学校になんて通っているか。

 …それは、私にも分からない。


 思い出を残したかったのか。

 誰かとつながっていたかったのか。


 それとも、誰かの心に残りたいと、

 願ってしまったのか…


※※※※※※※※※※


 七夕。


 成り行きから町内会の出し物で、短冊たんざくを書くことになった。


 この頃には、私は物静かな子として誰からも相手にされなくなっていた。


 そんな私が、短冊に書いた願いは、

『みんなが、私を忘れてくれますように』

だった。


 誰にてたつもりも無い。


 私は何を残すことも出来ない。

 だから、刹那せつなの私の思い出が、残って良いと思えない。


 町内会の係の人に書いた短冊を手渡すと、いきなりほほを叩かれた。


 あまりの衝撃に、怒ることも忘れて叩いた人の方を見ると、それは君だった。 


 赤く腫れた頬を押さえて立ち尽くす私と、周囲の大人たちから叱責しっせきされる君。


 そんな君の手には、私の短冊がギュッと握り締められていた。


※※※※※※※※※※


 その日から、私の日常は少し変わった。


 学校で顔を合わせても、特に挨拶をするわけでも、話しをするわけでもない。


 でも、私の目は君を追っている。


 他人に興味を持つ事も、持たれることも拒絶していた私が。


 死に対する覚悟だと思っていた。

 でも、それは、

 生に対する諦めだったのかも知れない。


 それでも、話しかけられずに

 日々は過ぎて行った。


※※※※※※※※※※


 夏休みの直前。

 それは、突然、訪れた。


 終業式の後。一人で下校の用意をしていると、いきなり君は話しかけてきた。


「花火を見に行こう」


 君は、私にそう言った。


 戸惑う私の返事を聞く前に、君は教室を出ていってしまった。


 花火は嫌いだった。

 あの大きく綺麗な一瞬の輝きを、人々の目や心に残して消えてしまう。あの光景が。


 だけど、どうしてだろうか。

 今の私は、誰かの心に残って良いのかもしれないと、少し思い始めていた。


 私は、君と一緒に花火に行きたいと思っている。


 だけど、それは神様が許してくれなかった。


※※※※※※※※※※


 夏休みに入って、私の体調は急激に悪化した。


 意識が朦朧もうろうとするほどの熱にうなされ、肺や気管がける程の咳が出る。


 点滴や人工呼吸器で命をつないだ私の髪は、高熱と強い薬で真っ白になっていた。


 肺の症状が落ち着き、人工呼吸器が外されたが、傷付いた声帯は、もう私に声を出させてはくれなかった。


 衰弱すいじゃくして起き上がる事も出来ず、点滴が無ければ、水分を取ることすらままならない。


 そんなボロボロの私が、一つだけ忘れられなかったこと。


 花火の約束を君は、覚えているのだろうか?

 もう、返事をすることは出来なさそうだけれど…


 数日後にせまった花火と共に、私の命も消えて行く寸前だった。


※※※※※※※※※※


 花火大会の日


 私の視界はボヤケて、辺りの輪郭りんかくがハッキリしなくなっていた。


 呼吸もやけに浅く、心拍もこれまでになく穏やかだった。


 今日、私は消えてしまうのだと分かった。


 そう気付いた時、勝手に涙が流てきた。


 生を諦めていた私が、ちっぽけな願いに執着しゅうちゃくしてしまうのは、いけないことだろうか?


 せめて、今日一日は待ってほしいと、願わずにはいられなかった。

 

 たとえ、君が来なくても、この目で花火が見れなかったとしても…。


※※※※※※※※※※


 ガラガラと、病室の扉が開けられる。


 朦朧とした意識で目を開くと、君の顔があるのが分かった。


 ハッキリと見えたわけじゃなかったけど、きっと君だと心が言っている。


 君はそっと車椅子に私を載せると、病院の外へと連れ出してくれた。


※※※※※※※※※※


 病院は小高い丘の上にあった。

 病院の庭からでも花火が見られた。


 勝手に病室を抜け出して、

 大丈夫だっただろうか?


 体が動けば、書き置きでもしてきたかった。


 お父さん、お母さん。先生。

 どうか、彼を責めないで下さい。


 これが、私の精一杯の反抗期。

 最後のわがまま。


 ― 花火が始まる。


 無数の火の玉の光が上がっては消えて、凄い音が辺りにこだまする。


 そのほとんどが、もう私の目には見えないけれど、心の中に美しい炎の花が、刹那に咲いては消えて行く。


 君は、どんな気持ちで一緒に花火を見てくれたんだろう?

 君は私を見て、何を思い、何を願ってくれたのだろう?


 短かかった夏の日の花火が終わりを告げる。 


 そして、私の命も終わりを迎えつつあった。


※※※※※※※※※※


 私たちは、探し回っていた看護師さんに見つかって病室に戻された。


 ベッドに戻された私は、呼吸も脈も既に弱々しく、ただ目を開けていることが精一杯だった。


 遠退いて行く意識の中で、

 しかし、私は微笑ほほえんでいた。 


 満足そうな私の顔を見て、

 彼を責められる人はいなかった。


 死と言うのは、

 もっと、苦しいと思ってた…。

 もっと、悲しいと思ってた…。


 でも、今の私は満たされている。


 君は、どうしてそんなに悲しい顔ばかりをするのだろう?


 私が、こんなに幸せな気持ちなのは、

 君のおかげなのに。


 でも、最後にもう一つだけ、

 お願い事があります。


 その願いは、あの日から変わらない。


 どうか、私のことは忘れてください。


 あなたが、前に進めるように…

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