今日は、我妻健吾が私の事情を慮って、新しい家を紹介してくれる手筈になっている。


 とにかく家賃が安いところだ。縫子はほとんど働いていなかった。親に貰っていた金も夜な夜なばら撒いていたし、懐に余裕がなかった。


 我妻健吾が、夜の営業のための仕込みを終えるまで、縫子は世間話をしながら待った。


 エールを三杯飲み干したところで、我妻健吾は仕事着(白いシャツと黒のスラックス)から私服(白のランニングシャツと迷彩柄のワイドパンツ)に着替えて裏から出てきた。


「だせえな。その恰好」

 縫子は顔を顰めて言った。


「うるせえ。てめえだっていつも同じ格好じゃねえか」


「あたしは良いんだよ、服なんかなくたって問題ねえ。だがな、健吾。てめえは駄目だ。純正も純正、骨の髄から爪の先まで日本人だってのに、亜米利加かぶれのような恰好ばかりしやがって。筋肉見せつけてえだけの男なんてごまんといるぜ」


「別に筋肉見せつけてんじゃあねえよ。楽な恰好をしてるだけだ」


「ああ、これだから男ってのは。楽、楽、楽ってよお。そんなに楽してえなら清廉潔白なお天道様にいきり立ったチンコの一つや二つでも見せつけてやれってんだ。全裸が一番楽だろうよ。原点回帰ってやつだ」


「原点回帰云々よりも、チンコは一つしかねえよ……」


「三番通りの根田は二つあったけどな」


「おいおい、嘘ついてんじゃねえよ……嘘だよな?」

 真顔だった縫子は肩を竦めると、席を立った。


「新しい家を紹介してくれんだろ。早く行こうぜ」


「おい、本当はどっちなんだ」

 髪を靡かせ歩く縫子のあとを、大きな足音で我妻健吾が追った。





 縫子の新しい家は、同じく【四番通り】にある住宅街の真っただ中だった。


 ゼニの町は人口が多く、それぞれの通りに一応は住宅街が存在する。


 とりわけ【四番通り】の住宅街は規模が小さくて、また治安も悪かった。夜の町である【四番通り】に住もうとする人なんてのは、この通りで仕事を持つ水商売の人か、あるいはヤクザかゴロツキか、あとは金がない人くらいだった。


 そう、縫子のように……【四番通り】はそうした面々が集うことから【無法者の集会所】と裏で揶揄されるくらいに殺伐としていて、そしてそれは誇張でも何でもなかった。歩く人が皆、身体の何処かに武器を隠している。そうでないと、自分の命が脅かされる危険があるからだ。


 静まりかえった住宅街を、縫子と我妻健吾は歩いた。


 アスファルトの道の端にはぐちゃぐちゃにつぶれた自転車が転がっている。どうなればそうなるのだろうというくらいに原型はなく、我妻健吾は「これが【四番通り】の住宅街の縮図ってやつだ。あるいは末路かな。ここに一般ピープルが住めば、たちまちあの自転車のようになる」と言った。


「まあ、ここに入り浸ってるヌーコに言ってもしょうがねえだろうが、一応な」とも言った。


「あたしを襲おうなんて不届き者は、相棒で撃ち殺してやるから安心しろよ」


「むしろそれが心配なんだ。てめえは力尽くで物事を解決しようとする節がある。面倒ごとを呼び込まなきゃいいがな……」


「それもまた、撃ち殺せばいいだろ」

 我妻健吾は呆れた表情をつくって「駄目だ。わかるだろ」と言った。


 寂れた築数十年のアパートばかりが建ち並び、人間の背丈以上に雑草が生い茂った空き地に、どこか哀愁をたたえる公園は、ぽつりとブランコが泣き声のような軋む音をあげている。たまに見る一軒家は前時代的な瓦屋根の木造平屋で、人が住んでいるのかよく分からない独特な気配がある。

 陳腐に言ってしまえば幽霊でも住んでいそうな雰囲気だ。この住宅地全体が何だか、時代に取り残されてしまった、人々に忘れられてしまった(実際には住んでいる人が居るのだろうが)そんな物悲しい雰囲気があった。縫子は少し、胸の奥がざわざわしていた。


「ここだ」

 短く、我妻健吾は言った。


 〈ディーヴァ〉からは徒歩でおよそ二十分といったところだ。


 正直なところ町並みから期待はしていなかったけど、縫子の新しい家は想像以上に凄惨なものだった。


 道中に何度か見た古ぼけたアパートを、更に古くしたような、愚直に言うのならボロくしたようなアパートが縫子の眼前に聳えている。


 一階と二階に分かれた大きめの木造の建築物で、パッと見た時に唯一鉄が使われている二階への階段も、錆びにまみれてしまって茶色く変色してしまっている。


 石の壁に覆われた敷地内は手入れがされていないのは雑草が好き放題に腕を伸ばしていて、穏やかな昼間の陽気を一身に浴びている……いやいや、と縫子は思った。


「おいおい、嘘だろ。ここに住むのか」

 呆然と縫子は言った。ゆっくりと我妻健吾の方を見ると、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「ヌーコ。お前は今日からここに住むんだ。ここが、最も安い部屋だった」


「……か、勘弁してくれ。こりゃないぜ。人が住めるとこじゃねえ。明日にも崩れてしまいそうだ」


「安心しろ。明日にも崩れると言われてから十年が経つ。しぶとさだけが売りだ」


「いっそのこと潰れてしまった方がこいつの為じゃねえのか」


 グダグダと文句を垂れる縫子の腕をひっ捕まえて、我妻健吾はそのアパートの敷地内に引きずっていった。縫子も女だ、力では男にかなわない。そのまま雑草をかわしながら敷地を横切って、錆びれた階段を上って、一番奥の部屋の前に立ち止まった。歩くたびにギシギシと床が軋んだ。


「二〇五号室。ここがお前の新しい部屋だ」

 我妻健吾は腕を離しながら言った。

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ハードボイルド・ビッチライフ 甘露 @yuyuto57

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