二話
「殺人免除法、はんたーい!」
顔を上げると僕と同じくらいの年の若者数人がおもむろに叫んでいた。
けれど道行く通行人はその叫びを誰も聞いていないし、誰も気にも留めていなかった。
だけどその人たちは声を荒げ必死に自分の意見を訴えていた。
――無駄
ふと僕の心に浮かぶ二文字、彼らの心の中にも存在しているかもしれないこの二文字はやけに重くてやけに軽い言葉だ。
「君も参加するかい?」
僕が見ていたことに気づき一人の若者が僕に駆け寄り声をかけある紙を渡してきた。
『殺人免除法 即刻撤廃希望! これ以上若者を苦しめるな!』
なんだか前半は中国語みたいだな、なんて場違いなことを僕は考えた。
「よかったら、ここに立っていてごらん?」
参加するとも何とも言っていないのに、その若者は人よさそうな笑顔をして僕の腕を引っ張った。立たされた場所はさっき叫んでいた若者たちの間で、僕は居心地の悪さを感じた。
「国はいったい何を考えているのか!」
「増税した挙句、人を殺すことを許すだと!?」
「おかしいとはおもわないのか!?」
おもむろに叫ぶ若者たちは、涼しい顔をして前を通る大人をまるで親が殺されたかのような形相で睨む。
「この国を担うのは僕たちだ!」
「僕らでこの国を変えよう!」
「今のままでは日本はダメだ!」
「ご老人も若者も住みよい世界へ!」
さっき僕を引き入れた若者は道行く多くの若者に声をかけていた。みんな声を掛けられると少しワクワクした顔をしてこのデモ活動に参加する。そしてまるでストレスのはけ口を見つけたかのようにギャンギャンと叫び始める。どうやら叫んでないのは僕だけらしい。
数時間経ち若者の数は僕が最初に見た人数の二、三倍にまで膨れ上がっていた。
「お疲れ様!」
さっき僕を強引に引き入れた若者はデモに参加した若者にお茶を配った。まるで町内会の集まりの後の様だった。
「これから僕らの基地に向かうけど、皆行くかい?」
どうやらこの活動のリーダーである僕を引き入れたその若者(以後はPと呼ぶ)は僕らを基地に連れていくつもりだ。口々に皆は「行く」と言った。
「君はどうする? 行くよね?」
断らないことを前提にPは僕に笑顔を向ける。
普段からまともに意思表示しない僕はただ頷くことしかできなかった。
「よし! じゃあ行こう!」
先頭を歩くPにみんなはついていく。初めて会ったはずなのになぜかみんなキャッキャウフフと楽しそうに話しすっかり打ち解けていた。この活動は所詮、つまらなくてどうしようもない人生の、唯一輝いている青春時代の一コマであろう。誰一人として本当に国を変えようなんて思っていないし、自分がこの国を変えられるなんて思っちゃいない。ただ自分の意見を叫び自己満足感を得ただけである。
けれど基地についてからもこの国の愚痴大会はなかなか終わらなかった。
ある人は自分の祖父を父親に殺されていた。それも殺人罪免除法で罪には問われなかったそうでみんな泣きながらその人の話を聞き、しまいには話す本人さえも泣いていた。とんだお涙頂戴だ。その祖父が殺されて今に至るまでの期間その人は泣いてしかいない。何も行動になんて移していない。いつまでもダラダラと不幸話を連ねしまいには同士からの拍手喝采だ。聞いているだけで反吐が出る。はっきり言って気持ち悪い。
そんな風に思いながらも僕はその場に空気として存在していた。
誰も僕に話しかけないし誰も僕を気にも留めない。
やはりどこの世界も同じだ。この世の中に僕の存在を認めてくれる人なんていないらしい。やっぱり僕は空気だ。いいさ、僕の存在なんて認められなくていい。
そんな思いの裏腹に僕は僕の存に気づいてもらおうといつまでもその場に居座っていた。
けれど僕の脳裏には、いつの間にか周りに人はいなくなっていって独りぼっちになる。そんないつぞやの様子が鮮明に映し出される。
今回だっていつものお決まりのパターンだろう。僕はそう思い、俯いて拳に力を入れた。
「君はどう思う? 殺人免除法について」
急に声の大きさが変わり、どうしたのかと思って顔を上げるとPは僕の方を向き僕に話かけていた。みんなの視線が僕の方へ向く。
「あ……」
予想外の出来事に僕は周りからの視線から逃げるように目を泳がし、滝のように流れる冷や汗をぬぐう事さえ忘れて、ただ肩を震わせた。
「話すのが怖かったらパソコンに打ち込んでご覧?」
Pは仏のような穏やかさで優しい笑顔を僕に向けながらパソコンのキーボードを僕の前に差し出した。打ち込むと僕らのいる部屋の大きなスクリーンに映し出されるようになっているらしい。
僕は恐る恐るキーボードへ手を伸ばしたが何を打ってよいか分からず固まった。そんな僕を見かねてPは僕の横にそっと立ち
「まず、君の名前を教えて?」
と言いながら僕の緊張をほぐすかのように僕の背中を優しくさすった。
Pに促されるかのように僕はゆっくりとキーボードで『うみ』と打った。
「うみっていうのか? 広大な名前だなあ。」
Pはみんなとニコニコしながら僕の名前に感心していた。一方僕はあんな汚い大きいだけの海を僕の名前にした親に改めて腹が立っていた。どこまで僕を不幸にすれば気が済むのだろう。
どうせみんな僕を馬鹿にしてあざ笑っているのだろう。いずれ僕はここを去ることになるだろう、なのに何で馬鹿にされるだろう自分の名前を教えたのだろうか?
いつものように黙って周りからの野次に耐えようと僕は下唇をかんでいた。
出ていけ。そう言われるとも思った。
けれど次のPの言葉でそんな僕の予想は壊された。
「うみ、よろしくな!」
Pは僕に手を差し伸べ、屈託のない笑顔を僕に見せた。
――え?
僕の世界を一気に壊すようなPの行動に僕は呆気にとられながらも、Pの気持ちが変わってしまうことを恐れ、震えながらしがみつくかのようにPの手を掴んだ。すると大きくて暖かいPのもう一方の手が僕の手をふわりと包み込んだ。
暖かい体温で僕を包み込んでくれた人に出会ったのはきっと生まれて初めてだった。
「うみには書記をやってもらおうかな」
Pは僕の手を離すと僕の肩に手を乗せた。僕は未だ優しくされたことが信じられずぼうっとしていたがPに
「できるかい?」
と顔を覗かれ我を取り戻しコクリと頷いた。
「じゃあここに座って。」
僕はPにパソコンの画面の前の椅子に誘導され、これから話し合うことをパソコンに打つように指示された。
不思議と僕はそのPの指示に歯向かう気持ちがみじんも湧かず、話し合われている内容を必死に聞いて必死にキーボードを打っていた。
話し合いは何時間にもわたって続いたが、僕は途中でそれを辞めようと思うことはなかった。ただ必死にがむしゃらにPの指示を実行することだけを考えて、初めて自分を受け入れてくれた僕の居場所を守ろうとした。
僕をそうさせるほどPの手は暖かかった、暖かすぎた。
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