一話

 鳴り響くクラクション、漂う悪臭、淀んだ空。僕の肌の色はまるで周りの風景を飲み込んだような色をしている。


 道を歩けばすれ違う人みんな、同じ顔をしているように見える。

――誰かを殺したくて誰かに殺されたい顔。


 そんなに苦しそうな顔をしながら何故みんな必死に生きることにしがみついているのだろうか。

 きっとみんな僕と同じく、生きていることに理由なんてないだろう。いつからかこの日本からは十人十色という言葉は消え失せ、少ない人口でありながら日本人はどんどん大量生産型の無個性なものに構成されていった。


 僕が胸を躍らせる瞬間は、排気ガスをたくさん出している工場のそばに行って深呼吸する時だ。

 鼻から吸った有害物質は肺を通って全身に廻り、そして僕の細胞を侵し壊して蝕む。鼻腔を通り嫌悪感を抱かせるこの匂いを感じることで、より一層死が近づいて来ていると実感し不思議と僕の目の前は煌々と光りだす。その眩い光を感じ僕は目を閉じて、また有害物質が体に染み渡るのを感じる。


――あぁ、僕はなんて穏やかな自殺をしているのだろう。


 一思いに死んでしまえばきっと楽だ。だけどなぜか僕は自ら命を絶つことができない。いつもは存在しているか定かでない僕の理性が、死を恐怖と捉え自殺しようとする時だけ精一杯僕を制御する。

 自分を殺すことが出来ない僕はいつ訪れるかわからない死を待ちわびて、すぐには死ななくて、尚且つ僕の理性が働かない程度の自殺をひっそりと計っている。僕に生きるという忌々しい呪いをかけた神様とやらは、きっと人間が生きようと必死にもがき苦しんでいるのを見て楽しんでいるのだろう。


 神様に馬鹿にされるのなんてまっぴらだ。だから僕は必死になんて生きない。

 

 そもそもどうしてこんな汚い世の中で「自殺してはいけない」なんて綺麗なフレーズが、まるで正しい言葉のように扱われているのだろうか。


 所詮人間は欲望にのまれたこの世の中で一番汚い動物であり、地球の大半を占める生き物なのだから、一つや二つそれどころか何百体死んだってこの地球は何も変わらない。むしろ環境を破壊し続ける人間は滅んでしまった方が、この地球にとっていいのではないか?


 僕の中で「自殺」や「死」が美化されてゆく。


 この淀んだ空も汚れた川の水も、鳥も雲も何もかも、僕が死んだって何にも変わらない。


 だったら僕は死んでもいいのではないか?

 そもそも、人を一人殺しても罪に問われず生きることを絶望と捉えさせるこの世界に、自殺をしてはいけない理由なんて存在しているのだろうか?


 僕はどうして生きながら死を待ちわびているのだろうか?


 死を待ちわびて生きる、この言葉はひどく矛盾している様に感じる。


 生きることと死ぬことは真逆なことであるはずなのに、生きることは死への常軌だ。この矛盾は僕が生きている限り影のように僕についてくる。


 僕が消えれば影も消える、僕がいても光さえなくなれば影も消える。

 だったら僕が生きていても、光さえなくなればこの影は消えてくれるのかな?


  僕はこの影を消すために光のないところを探し続けているけれど、いつも結論づけられる場所は「死」という僕にとってはビーナス寝床のようなところだった。


 なぜこんなにも僕にとってこんなにも「死」が魅力的なのか。

 

 それは、僕が「死」よりも苦しい地獄のなかで幼少期を過ごしたからだ。僕には父も母もいた。普通の家庭を装っていたけれど、夜になれば父が母を殴り、母が僕を殴った。いつから暴力を受けていたのか、覚えていないぐらい僕にとって暴力は身近にあった。


「お前なんて生きる価値もない」

「恥さらし」

「死んだほうがましだ」


 そんな風に罵倒される日々の中、僕は何度も死を望んだ。けれど死のうとするたびに、僕の心の根底にある、生きたいと思う気持ちが暴れだして結局死ぬことが出来なかった。


 自室の窓辺に座り綺麗な月明かりを浴びて、微量な血を流している手首を眺めながら僕はよく涙を流した。


 「死」を救済だと思っている僕は父も母も殺す気にはなれなかった。


 だから僕は、ある時児童相談所の人が家に来て僕を引き取るまで父と母の元に居た。


「穀潰し」


  父と母が最期に僕に言った言葉だ。僕はもう、涙も出なかった。

 それから僕は施設で育った。今はその施設も抜け出し、ただぼんやりと国から支給された家で暮らしている。

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