第4話(本編最終話)

『十一月十四日』


「麻衣子。準備は大体出来てるか?」


「うん。ただ、最後にやりたいことがあるから、出かけてきてもいい?」


「ああ、もちろん。ただ、十時には絶対に出なきゃならんからな」


 時計は、ちょうど八時を指していた。用事を済ませるには充分な時間がある。


 父はとても不器用で、優しい。家出をした日も、ほとんど怒らなかった。心配したぞ、夜も遅いからもう寝るといい。父は、それだけ言って自分の部屋に行ってしまった。自分も長く暮らした街を捨てる辛さはあるというのに、私の気持ちを慮ってくれたのだ。


 今日だって何も言っては来ないけれども、東京までの距離を思えばかなりギリギリまで時間を取ってくれているはずだ。


「真司ん家だろ?時間になったら迎えに行ってやるよ」


「ありがとう、お父さん」


 いい父をもって良かったと思う。



✩.*˚



 昨日は全く眠れなかった。自分の部屋の壁にかけられた、白い時計を見た。八時を過ぎた頃だった。九時半くらいに麻衣子が家に来るという約束なので、まだまだ時間はある。手持ち無沙汰になった俺は、ついズボンのポケットに右手を突っ込んだ。当然何も無い。


 昨日履いてから何も入れてないのだから当然だ。でもそれが、何故かしっくりとこない。ふとした時にポケットに手を入れてしまうのが、最近はもうクセになってしまった。


 ……結局何度も読んだマンガ本を開いて暇をつぶすことにしたのだが、それすらも手にはつかない。少し経つと、もう考え事をしていた。判然としない、不安のような焦りのような感情が、心にもやをかけている。暗い気持ちを晴らしたくて、くしゃくしゃと頭を掻きむしった。


 今日でしばらく麻衣子と会えないのだと思うと、たまらなく苦しい。ただ、それだけじゃない。なんだか胸騒ぎがした。「しばらく」ではなく、今日を最後に「ずっと」会えなくなるんじゃないかと、全く意味のわからない予感がしてしまった。俺には何故かそれが本当だと思えてしまう。でも、そうなってしまうのは……。




 ──誰かと二度と会えなくなるのはもういやだ。




 人と会えなくなるのはどうしようもなく悲しいことなのだ。紗奈の時もそうだった。階段から転げ落ちた、俺よりずっと小さく華奢な体を、咄嗟に庇えなかったこと。伸ばされた手を握れなかったこと。それを一年近く後悔し続けていたくらいには、諦めがつかない事だった。



 ──俺は紗奈に、もう一度会いたい。









 紗奈……?


「──へ?いま、何考えて……」



 俺は真司、じゃない?




 ……ああ、全部思い出した!零斗。俺は零斗だ。なぜ俺は真司としてずっと暮らし続けていたのだろう。俺は、真司になる前のことを顧みる。墓の前でLAINが紗奈と繋がって、去年中途半端のままだった噂をまた調べたんだ。それで最後に行った神社で、オルゴールの音が聞こえ始めたのが、零斗としての最後の記憶だ。


 ただ、そんなのは今はどうだっていい。直感のようなものでしかないけれど、俺には分かった。真司が俺だったように、麻衣子もまた、紗奈だ。紗奈に、会って話がしたい。叶うはずの無い願いは、今俺の目の前にあった。



✩.*˚



 私は、神社の裏手にある井戸に来ていた。小さな頃にこの井戸を二人で見つけて、一緒に興奮していたのを思い出した。


 時計は八時半過ぎを指していた。感傷に浸る時間はあまり無さそうだ。私はバッグからスコップを取り出すと、それを地面に突き立てた。あまり地面が固くない所を選んだが、それでもサクサクと掘ることは出来ない。一回ごとに力を込めた。縦五センチに横十センチ、高さ五センチ。埋めるのはかなり大変だ。


 私は、このオルゴールが好きだ。真司が昔誕生日に贈ってくれたもので、私の密かな宝物でもある。これを地面に埋めるのは、おまじないのようなものだ。いつか絶対にここに戻ってきて、掘り返す。その時には私は、一体いくつになっているだろうか。ハタチまでに来られるかな。更に掘り進めていく。




 ……そういえば、前にもこんなことが、あった気がする。こうやって木の近くの地面を掘って、その穴の中に物を埋めたような。


 いや、ただの勘違いだろうな。そんな体験はそうそうしないし、した覚えもない。

 そんなことより急がないと。約束に間に合うように。



✩.*˚



 俺は麻衣子もとい紗奈を家で待つことにした。今、彼女がどこにいるのか焦って探すのは、すれ違いの可能性を考えれば悪手だろう。

 もどかしい時が流れる。


 ……そういえば、寝巻きのまま着替えるのをすっかり忘れていた。色々考えたり気づいたり、大変だったからな。俺は、部屋にあったタンスを開けて、良さそうな服を引っ張り出した。それを着て、洗面所の鏡で身だしなみを確認する。


「あれ?」


 いつの間にか、見た目が自分──零斗のものに戻っていた。自分の正体を自覚したからだろうか。


 そしてなんとも間の悪いことに、洗面所を出た俺はすぐに母と鉢合わせてしまった。


……これはまずくないか?何せ全く知らない人間が家にいるのだ。言い訳を考えなければ。やっぱり真司の友達とかが無難か?


 そんなことを考えているうちに、真司の母は口を開いた。


「──あ、真司。家にいたのね。てっきりもう麻衣子ちゃんとこに行ってるかと思ってたわ。ずっと仲良くしてたのに、寂しくなるわねぇ」


 バレていない、らしい。どうやら何故か俺のことは真司として認識しているようだ。俺は胸を撫で下ろした。


 と、その直後。


 ピーンポーン──。チャイムの音が鳴った。恐らく麻衣子だろう。


 俺は、深呼吸の後に家の扉を開けた。



✩.*˚



「久しぶり、紗奈」


「……へ?」


 俺の第一声を聞いた麻衣子は、フリーズした。そして「え」とか「あ」とかさらに声を上げて、それからいつの間にか、麻衣子は紗奈になった。


「あ、私……!」




 それから何分かして紗奈がおちつくと、俺たちは紗奈が死んだ後の出来事について話し始めた。死後の世界がどんなものなのかがとても気になったのだが、紗奈は聞いても教えてくれなかったので、少し、いやかなり残念だった。それが決まりだから言えない、だそうだ。


 でも、そういう決まりがあることが分かっただけでも素晴らしいことだ。これは考察のしがいがありそうだ。


 ……さておき、俺の一年間というのは、やはり相当に薄いものなのだと実感した。俺から話すこと全てが、自分ではなく世間やまわりのことなのだ。紗奈は、俺の中ではそれだけとても大きな存在だ。今だって、時間の感覚がおかしくなってしまう程に、楽しい。久しぶりの感覚。


 ──それは、真司になっていた時に麻衣子と会話している瞬間と、ぴったり重なった。

 つまりは、そういう事だ。


「そうだ、紗奈に聞いて欲しいことがあるんだ。……俺さ、紗奈のこと好きだったんだ」


 そして、俺は考えていたことを、紗奈に話した。


「なあ、このまま二人でどこかに逃げよう。このまま引っ越しについて行ったらダメだ。噂通りなら死ぬことになるだろ?」


「知ってるけど、逃げるのはやめとく。だって、じゃないと零斗は帰れないから。これは勘でしかないんだけど、噂を完遂しないと多分現実には戻れないの。さらに言えば、この世界はいつ崩壊するかも分からないんだよ。どうにしても、一緒にいられるのは長くても数年だと思うし」


 そうなのだ。この世界は恐らく噂から出来ているので、それを逸れた時点でいつ何がどうなるのか想像もつかない。更に、たとえ世界がこのまま続いても、俺は真司の運命を追って病死するだろう。事故と違って病気は避けようがない。


「俺もそれはわかる。それでも、だよ。そうすれば少しの間でも二人で暮らしていられるかも知れない。この世界で一緒にいよう。紗奈に、まだ死んで欲しくないんだ」


「……いやいや、私は階段から落ちて元々死んでるって」


 紗奈はそう冗談を言って笑った。

 内心では、自分だって辛いはずなのに。俺は、泣きたくて救われるような気持ちになった。


「私はさ、零斗にこんな虚構の世界じゃなくて、現実で生きて欲しいんだ。長生きして、たくさん色んなことを経験して、いつか死んだら私に教えて欲しいの」


「そんなの──んむぅ?!」


 反論しようと開いた口を、俺は紗奈に塞がれた。相手の口で。麻衣子の時と違って、繊細さもムードもない。それが、たまらなく心地よかった。


「死ぬ前にキスくらいはしときたかったんだよねー!満足満足」


「あ、そだ。元の世界に帰ったら、井戸の近くにもうひとつキズのついた木があると思うから探してみて」


 紗奈はそう言った。



✩.*˚



 こんなに幸せすぎる終わりは無いだろう。好きな人に好きだと、一人で生きる一生より私との数年が欲しいと言われたのだ。


 不意打ちでキスをして、惚けた零斗の顔を眺めた。


「──井戸の近くにもうひとつキズのついた木があると思うから探してみて」


 そういったすぐ後に、麻衣子の父が声をかけてきた。


「おお、時間なったし迎えにきたぞ」


「はーい!──じゃあね、零斗」


「本当に行くのか……?」


「うん、行く。笑って別れよう」


「…………そうか、分かった。ありがとう。──じゃあな、紗奈」


 私たちは、二人笑いあって手を振った。引き攣っているぎこちない笑み。でも、多分人のことは言えない。


 私は父の待つ軽トラックに向かった。死ぬとわかっていて乗り込むなんて、昔のカミカゼ特攻隊みたいだ。まあ、私は一度死んでるし、お国じゃなくて零斗のために殉ずるわけなんだけど。


 トラックがエンジンの音を響かせて走り出した。


 でも、零斗と話すのはさっきが最後なんだと思えば、せっかく我慢した涙が堪えきれなくなってしまう。まだ死ぬには間があるはずなのに、零斗との思い出が走馬灯みたいに、私の頭を浮かんでは消えていく。


 と、私は窓のそとに走る零斗がいるのを見つけた。何の映画だよとツッコミたくなる。顔を見てみれば、くしゃくしゃに歪んでいて、柄にもなく大号泣しているのがすぐに分かった。それを見た瞬間、何かが弾けた。


 私の頬を、堰を切ったように溢れる涙が伝っていく。泣くのを必死に我慢した努力を返して欲しい。最後は笑って別れようと思ったのに。



✩.*˚



 紗奈と別れたあと、俺の時間はとても早く進んだ。何日かを過ごして、数ヶ月飛ばす。その繰り返しだ。


 俺はいつしか大工になった。麻衣子からの電話がいつまでも来ないことを、真司の母は不思議に思っていた。きっと昔の真司もそうだっただろう。


 俺は噂のおかげで原因を知っていたからこそ、不思議ではないものの胸が痛かった。紗奈はもういないと告げられている気がした。大切な人が実は死んでたなんて、知らない方がマシかもしれないな。


 そしてついに、目を覚ますといつの間にかベッドにいた。入院が始まったのだ。とは言っても、そこまで苦しみはない。たまに咳が出るくらいだ。母も、きっと治ると笑っていた。


 またしばらくして、俺には人工呼吸器が着けられていた。意識がぼやけている。遠くで誰かが叫んでいるような気がした。きっとこのまま死ぬのだろうな。しばらく真司として生きてきたのもあって少し名残惜しい。


 真司の人生はお世辞にもいいとは言い難いものだったと思う。自分のために生きることはなく、しかし他人のために生きることも出来なかった。愛さえあれば、などと言っても事故と病には勝てなかったわけだ。彼は、病床で最期、何を思ったのか。


 まあ、それは、言うまでも無いことだろうな。


 俺の意識は、そう考えたが最後、混濁して暗闇に落ちていった。



✩.*˚



 俺は、目が覚めると、夏にしてはやけに冷えた土に右手が触れているのに気がついた。空は橙色だった。きっと方角的には朝焼けだ。


 ふと左手に、箱のようなものを持っていることに気がついて、そちらに目を向けた。


 ──薄汚れた木製のオルゴールだった。それを見た瞬間、今までのことが頭を駆け巡った。


「……真司」


 俺は確かめるようにボソリと呟いた。そして、紗奈が別れ際に言っていたことを思い出す。周りを見渡すと、すぐにそれは見つかった。木に、大きめのキズが刻まれている。


 落ちていた自分のスコップを拾い、その木の下に突き立てた。夢中で土を掬いだしていくと、少しして硬い感触があった。


 掘り出されたのは、不細工なつくりの木箱だった。木材はところどころ余分な所がはみ出ていて、蓋は役目こそ果たしているものの、下の部分とかなりズレていた。それが蓋になっているのは、大きめに作って寸法のズレを誤魔化してあるからというだけだ。


 しかし俺は、仮に探しても買い手など着くはずがないそれに、酷く見覚えがあった。


「零斗の、なんかひどいね。──あ、そうだ!交換こしようよ!」


 昔に聞いた、そんな言葉が脳裏をよぎった。


 俺は邪魔な土をはらった後、ゆっくりと蓋を持ち上げた。箱のそこそこの大きさに反して、中には四つ折りの紙が一枚だけ。少しくたびれたそれを広げてみると、ぼやけた女子っぽい丸文字が書かれていた。


「ずっと前から好きです!付き合ってください!」


 その後でひっくり返し今度は裏を見ると、今度は濃くてくっきりとした小さな字が、右下に記されているのが見つかった。


「刺激的な告白、楽しんでもらえたかな?最後に零斗が好きなオカルトで一本取れたなら嬉しいな。また、いつか。」


 俺は、その場で崩れ落ち、ただただ泣く事しか出来なかった。視界と手紙が滲んでいく。裏だけやけにくっきりしているという不自然さが、物語っていた。このメッセージが書かれたのは恐らく──。




✩.*˚



 大切な人がいた。しかし、彼女はまたいつか、とだけ残して死んでしまっている。


 ──そう考えると俺と真司は、なんだか少し似ているかもな。違いといえば、その彼女の死を知っているかどうか、というくらいだろうか。果たして、結局のところそれはどちらの方が幸せなのだろうか。


 俺は、自室でそんな物思いに耽っていた。


 俺は棚に目を向けてみる。そこには、オルゴールと木箱が並んでいた。ボロボロな二つ。どちらもキズはかなり多くて、深かった。俺達も同じだ。とりあえずそれでいいか。比べられるものでもあるまいし。


 セミの鳴き声もいつの間にか止んでしまって、もうじきクーラーも要らなくなるだろう。また、退屈な学校が始まろうとしている。


 ──ぺぺーん!


 俺は、スマホの通知音を聞くと、すぐにLAINを開いた。



「オカルト研究会」


 一年ぶりに入会し直した、俺のホーム。俺の再入会したいという我儘を聞いて、温かく迎えてくれたインターネット越しの同士たち。


 彼らが、俺の景色をまた染めてくれるだろう。一年間のモノクロは、もうすぐ終わりそうだ。

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