第3話
『十一月三日』
私は、父の言った言葉がすぐには理解できなかった。あまりに突拍子もないことで、信じたくない言葉だったから。
「え……。あはは、何、?それ?」
「悪い。俺だって長年暮らし続けたこの街を離れるのは心苦しいんだよ。だが、生計を立てるには会社は辞められない。急な話になるが、十五日には東京の本社まで行くしかないんだ。だから、出発は十四日になる。今のうちに、友達にはお別れを言っておいて欲しい」
笑顔は引きつったまま凍りついて、ひっつきっぱなしだ。嘘でしょ?そんな急に。咄嗟に真司のことが頭に浮かんだ。今が一番幸せで、それがいつまでも続けばって思ってて。東京なんて、そんなの、嫌だ。田舎でいい。都会じゃなくたって構わないから、ずっとここにいたい。
「ここを離れたくない!」
「そんなこと言ったってな。本当に済まないが、」
「……やっぱり、さ。そんなのって酷すぎるよ。……東京なんて。……東京なんて、お父さん一人で行けばいいじゃない!」
「おい、ちょっと待て、麻衣子!」
──バタン!
この家にいたくなかった私は、暗い外に飛び出した。
✩.*˚
私は神社の縁側に座って、ハァハァと荒くなっている息を整えた。心臓がうるさい。同じ場所にしても、あの告白の時とは違う、嫌な鼓動だ。鳴るな。何回も胸を叩いた。そんなことをしていても、息は荒れたままで、心臓のドクドクも止まない。なんでよ。ずっと好きだったのが、やっと叶って、なのに。
確かに、父には酷いことを言ってしまった。悪かったな。父なりに私の事を考えてくれたのだろう。完全にただの八つ当たりだし、こんな我儘が通るはずがない。そんなの気づいてる。
でも、それでも、どうしても、家に帰る気にはなれなかった。
✩.*˚
──いつの間にか私はうずくまっていた。少し落ち着いてみれば、ここは酷く寒かった。寝巻きのような姿で出てきてしまったのだから当然だ。
思えば、ここに一人で来ることなんて、今まであっただろうか。浮世から離れたような神秘的な雰囲気がある神社に一人でいると、急にぽつんと取り残されたように思える。寂しさが一気に涙になって込み上げた。
「真司ぃ」
今はただ真司に会いたかった。意味もなく呼んでいた。真司は、私がここにいるなんて知ってるはずないのに。でも、そうでもしないと堪えきれなかった。
「真司ぃ……!」
「お、おう」
「へ?」
きょとんとして顔を上げると、そこには来るはずのない真司がいた。一瞬だけ固まった後に、私は自分が酷い顔と格好をしていることに気がついた。恥ずかしくなって、慌てて袖で涙と鼻水を拭ったが、寝巻き姿である事だけは変えられない。
「これ貸そうか?」
「……あ、りがとう」
真司が差し出してくれた上着を受け取った。暖かい。真司の温もりを感じる。
──少し落ち着いてきた。私は、真司に気になっていたことを聞く。
「あの、どうしてここに?」
「麻衣子のお父さんが、そっちに麻衣子が行ってないかってうちに連絡してきてよ。家出したならここしかないと思ったんだ」
やっぱり心配しているだろうな。申し訳ない。
「そうなんだ。私の家出の理由って聞いたの?」
「いや、まだ」
「そっか。実はさ、私あと十日で東京に引っ越すらしいの」
「……へ?」
私は、今抱えている事情を全て真司に吐き出した。父が転勤するしかなくなったこと。母がもう死んでしまっているから、私はそれについて行くしかないこと。
そうして、狼狽えながらも、優しく頷いて聞いてくれる真司を見て、やっと私は自分が自分の事しか考えていないことに気づいた。私は真司といたい。真司の彼女でいたい。でも、私にずっと会えもせず待ち続ける真司は?
……真司とは、真司のために別れた方がいい。真司を縛り続けるなんて間違いだ。いつ帰ってくるかも知れない私になんて構わず、恋愛をしてほしい。
✩.*˚
「だからさ、つい一週間前によろしくって言ったばっかりなのに、ホントにごめんね。私と別れ──」
「いやぁ!!この時代に生まれてマジで良かった。電話があるんだからな。こういうの、文明の利器って言うんだっけ。俺らが離れてもいくらでも話せるんだぜ?よく考えたら魔法みたいだよな。毎日電話しよう。何時がいい?やっぱり夕飯のあとぐらいか」
絶対に言わせたくない。
「──いいの?だってずっと会えなくて、だったら私じゃなくて別の人の方が」
「馬鹿いうな。俺はずっと待ってる。いつかこっちに帰ってきてくれたらそれでいいからさ。土産話、楽しみにしてるから集めといてくれよ。──あっ。それとも、麻衣子がこのまま付き合うの、嫌だったのか……?」
やっと自分の話の欠陥に気がついた。その可能性を見落とすとは、自意識過剰だった。でも、それくらいにこの一週間は俺にとって楽しくて、麻衣子も楽しそうに見えたんだ。
「 そんなわけない!」
即座に返ってきたそれを聞いて、胸を撫で下ろ
した。俺がしたことは間違っちゃいなかったんだって思えたから。
それからしばらく、二人で東京は一体どんな所なんだろうと想像して、語り合った。話がデカくなっていって、麻衣子がついに五百メートルを余裕で超えるタワーがある、なんて言い出したときには、もうおかしくて仕方なかった。やっぱり俺たちに暗い話なんて似合わない。バカ話をしてふざけて笑いあってるくらいがちょうどいいんだ。
「ありがとう!たくさん話せて楽しかった。私、絶対帰って来るからね」
「そもそもまだ行くまで十日以上あるだろ。お別れ会じゃないけど、なんか思い出作りでもしたいよな」
「それいいね。あ、うちに夏買ったっきり使ってない花火あるし、それやらない?」
「もう秋なのに?……最高だな!それにしよう!」
✩.*˚
『十一月十二日』
青いバケツには、山のように手持ち花火の残骸が生けられていた。たった数十秒で枯れる手持ち花火は、夏でなくてもその儚さに変わりはなかった。この何とも言えない寂寥感が、花火の一番の魅力だと思う。そして、とりわけ線香花火は本当にそう感じることが多い。
「また私の勝ち!」
「なんで一回も勝てないんだよ。俺、手でも震えてんのか?」
といっても、俺たち二人に線香花火を持たせると一瞬で物悲しさなど吹き飛び、ただの勝負事になってしまうのだが。まあ、楽しければなんでもいいさ。それより次だ次。そう思って懐中電灯をつけ、花火の袋をまさぐる。
「あれ。あと一本しかないのか」
「ほんとだ。奇数だったんだね。最後の一個どうする?」
ジャンケンで勝った方がやるというのも浮かんだが、それでは面白くない。
「やっちゃってもいいけど、取っといてお守りみたいにしても良いかもな」
「じゃあ、真司が持ってていいよ、それ」
「マジか、ありがとう!」
普通に嬉しかった。これを見れば、今日のことがいつでも思い出せるだろうな。部屋でこれを見てニヤニヤしている俺の姿が目に浮かんだ。
「そのかわりなんだけどさ」
なんだろう。一体何を言われるのか、見当もつかない。
「……浮気、しないでね」
少し拍子抜けしてしまった。でも、そんなことは有り得ない。たとえ離ればなれになるとしても、この気持ちが薄れるなんて想像も出来ない。
「しねぇよそんなこと」
「今はそうかもしれないけど、時間が経って冷めちゃったりしない?」
「しないって」
「……ちょっとこっち来て」
「……?ああ。わかった」
俺は言われた通りに前に二歩くらい進んだ。
急にふわりといい匂いがして、柔らかい感触が唇に触れた。
多分、一秒もないくらいの、ほんの短いふれ合いだったと思う。脳みそが仕事を一時停止した。
「ふぁ?」
俺の口から出たのは、そんな素っ頓狂な声だけだった。大人たちが見たら、思わず微笑ましいとこぼしてしまいそうな程に軽い軽いキス。それだけで、俺の頭はショートしてしまいそうだった。もし周りが暗くなければ、麻衣子の目に映るのは、耳まで真っ赤な俺の顔であるはずだ。少し胸の奥がふわふわする。
「私のこと、ずっと好きでいてね」
「おう、麻衣子」
俺はここできっちり返答が出来ただけで、よくやった方だと思う。
……なんだか、喋ったときの唇の感覚までいつもと違う気がした。
✩.*˚
少しだけ不安だった。真司は、目移りしないだろうか。
ずっと私たちは、幼馴染で親友だった。今も正直に言えば、その感覚が消えない。きっと真司もそうだ。だからこそ、肩書きこそ変わっても、関係は今までと比べて言うほど変わらないままなのだ。結局、進展がない。
このまま、そんなまま東京に行っても大丈夫なのだろうか。誰かに真司を取られないだろうか。
いやダメだ。その前にどうしても、恋人になったという実感を残したい。
「……ちょっとこっち来て」
私は、指示通りに近づいてきた真司に自分も寄った。そのまま背伸びをして、お互いの口同士を触れ合わせる。心臓は爆発しそうだ。これが精一杯。暗がりに薄らと見えた真司の惚けた顔が、少しかわいくて、愛おしく感じられた。
「私のこと、ずっと好きでいてね」
正直私は、ファーストキスをここまでしっかりとやりきることが出来た自分を、褒めたたえたいと思う。
「おう、麻衣子」
真司が返してきた。
……急に名前を呼ばれてビクリと反応したのが、バレていなければいいな。
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