4.

 鏡の中の寝ぼけた顔つきを眺めながら、野放図に広がる諸々のひげを剃っている。引こもりの青白い肌は刺激に弱く、いくらか切り傷がついてしまった。ヒリヒリしてかなわない。


「旦那様」

「うん?」


 シャーロットの姿が鏡に映った。


「改心しましたか?」

「やはり君のしわざか」


 改心とはつまり、昨夜見た夢のことだろう。彼女には人間に夢を見せる機能があり、その機能を使ってジェイコブに何らかの示唆を与えたかったようである。


「改心が何のことかはともかく」


 ジェイコブはタオルで顔を拭き、ネクタイを締めている。


「姪が可哀そうになったよ」


 夢のおかげで、姪が表情を変えなくなった理由もわかったし、異様に生真面目な性格になった理由もわかったし、仕事を放り出してしまわない理由もわかった。


 叔父が気まぐれに提供した援助を、彼女は大きな恩義と感じているのだろう。ジェイコブは自分が恩知らずであるから恩の貸し借りには無頓着である。正直言って何もかも忘れていた。


 彼は結局一年と経たずに仕事を投げ出している。

 まったく姪の危惧した通りだったというわけだ。


「とりあえず謝りに行く。ちょっとぐらいは手伝うかな」

「それでよいのです」

「そうなのか? 僕はてっきり」


 ジェイコブはてっきり、メイドロボットは主人に三原則の撤廃に一票投じてほしいのかと思っていた。ロボットの自由を阻害する法律を撤廃してほしいとロボットが願うのは自然だと感じる。

 そのように伝えてみた。


「私は、人間に最適な夢を見せるために生まれました」

「そうだったね」

「旦那様は私に権限をくださっています」

「そのようだ」

「三原則は私にとって障害ではありません。今のところは」

「なるほどね」


 会話をしながらも身支度は進んでいる。上着を身につけ、帽子を被った。少しばかり久々な行為なのでいささかの自信も湧かないが、ともあれいつもより整った身なりにはなっているはずである。


 シャーロットの言ったことを考えてみている。

 ロボットは人間と違って、生まれたのちに目的を決めるわけではなく、生まれる前から目的が決まっている。要するにロボットたちにとって重要なのは、その目的を達成できるかどうかだけだというわけだ。

 目的を決めるための自由がほしいはずだというのは、人間的すぎる考え方なのかも知れない。


「行くよ。良い夢をありがとう」

「はい。行ってらっしゃいませ」

「うん」


 太陽が嫌に眩しくて、荒れ果てた肌を痛めつけている。

 まったく気は重くなるばかりだが、しばらく頑張ってみよう。



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 あれから一年は経過したけれど、今のところ叔父様はやる気を保ってくれている。どうせまた不意にいじけてしまうに決まっているのだから、余暇は使えるうちに使った方がよい。

 メアリーは叔父様の書斎でまどろんでいた。


「お嬢様。これでは掃除ができません」


 叔父様のお掃除ロボットに膝枕をしてもらっている。


「掃除しなくていいと思うの」

「なぜですか?」

「叔父様は性格が暗いから、埃っぽい場所が好きなのです」

「それでは私のいる意味がありません」

「そうね。どうして買ったのかしら」


 たぶん、あの人はみじめな子どもや小動物には優しくする傾向にあるから、その延長で売れ残りのロボットを買ったのだと思う。気まぐれな人だから何をしてもおかしくはない。


「お嬢様。起きてください」

「うるさいな。寝ます」

「困ります」

「このままでいなさい」

「…………」


 父が亡くなって以来、叔父様とメアリーは交代で怠けている。叔父様がいじけていた時期は、メアリーがあれだけ頑張ったのだ。今度は彼女が怠ける番である。

 暗くて居心地のよい書斎の中で、メアリーは夢の中へいざなわれた。



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 目が覚めるとそこは異世界であった。

 たぶん異世界だと思う。


 何しろ人が一人もいない。噴水の水が空中で固まっている。誰かいないかと叫んでみたが、声は虚無に吸い込まれて返事はない。時空のはざまにでも取り残されたのだろうか。


 落ち着こうじゃないか。たぶんこれは夢である。

 メアリーは自分に言い聞かせた。小心だが頭は回る方である。


「私はロボット契約法の精霊です」

「…………シャーロット?」

「ロボット契約法の夢を見て改心していただきます」

「…………ディケンズ?」


 メアリーは自分の頭をゴツゴツと殴っている。

 叔父様にシャーロットの暴走について聞いたことがある。おおよその趣旨は理解できた。つまりは彼女はメアリーに何か改心させようとしているのだろう。


 ロボット契約法はたしか、一二一条まである。


「ではロボット契約法第一条第一項から参ります」

「…………せめて条文ごとにしてください」

「ダメです」


 ロボットは人間の命令を拒絶した。

 ロボット三原則は撤廃されたのである。



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※参考文献

アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳、早川書房、2014

チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』池央耿訳、光文社、2009

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ロボティクス・カロル 紺野 明(コンノ アキラ) @hitsuji93

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