第18話 魔王

「……俺が、魔王……なんだ」


 アルーフの決死の告白の後に流れるのはたっぷりとした沈黙。

 沈黙が流れていても執務室内が無音になることはなかった。中央広場から風に乗って流れてくる喧騒は、割れた窓から入り込んで静寂を掻き消す。


「は?」

「ほらも-! ほら! やっぱりこうなるじゃんか、もー!」


 開口一番出たのは冷たい疑問符。ソウキのものだった。格好が格好なだけに、これ以上ない角度で見下ろされ、アルーフは穴があったら入りたいと、床に額を擦り付ける。

 やはり言わなければ良かった。などと後悔しても遅い。いくら空いた方の手で顔を覆ったところで、羞恥からは逃れられなかった。


「……いったん聞きましょうか。説明聞くって言っちゃったわけだし」


 増した頭痛にスイコまでもが同じように顔を覆う。

 アルーフにとっては悪いことに続きを促しながらだ。こんな状況下で思い切りすべった話を続けなくてはならないなんて、鋼鉄製の剛毛な心臓でも持っていなければやっていられないだろう。

 しかしアルーフには黙秘するという選択肢は与えられていなかった。たとえ桃の表面みたいな心臓だったとしても、突撃するしかないのだ。


「自分は魔王です! 殺されるために聖剣と勇者を探しに来ました!」


 こうなったら自棄だ。と、アルーフは声を張り上げた。耳の先まで真っ赤に染めつつも、すっかり振り切れている。

 仮に主張していることが本当ならば、いったい何から聞けば良いのやら。と、スイコが増しに増した頭痛に頭を悩ませ始めたそのとき、外の喧噪が変わった。

 それまでの音がぎゃあぎゃあと喚く鳥の群れだとすれば、今のものは明白に恐怖と痛みを伴った叫び声。助けを求めるような痛々しい声の合唱に変わっていた。スイコは背伸びをして部屋の奥から窓の外を見る。


「ちょっと、外、あれ……!」


 中央広場に集まった人影は色とりどりの装束を纏って、遠目には鮮やかなモザイク状になっているはずだった。だが、スイコの目に入ったのは濁ったさざ波。百の色彩は急速に黒へと書き換えられていっていた。

 見覚えのある黒と赤。あの影の化け物に相違ない。


 スイコが見たものはそれだけではなかった。中央広場よりも更に遠く。外壁が赤く染まり、赤雷が時折はじけては消える。それは中心街と外周区域を分ける貧弱な石垣も同様だった。

 中央広場から始まった悲鳴は同心円状に広がっていく。広がって広がって、既に中心街の半分が黒に染まっていた。空は黒を強調するかのようにすっかり赤い。スイコは言い知れぬ不安にクロを手元に引き寄せた。


「いったい、何が」

「おや、ご興味をお持ちですかな」


 皆が外の様子に気を取られているその間に、見覚えのある骨男が顔を覗かせていた。


「ド、ロス……」


 開け放たれたままの部屋の外。幽鬼のようにおぼろげな姿で立っていたのはドロスだった。

 その存在に驚いて目を大きく開いたのは名を呟いたソウキだけではない。扉のすぐ側にいた領主もまた同様だ。


「どういうことだ。貴様は牢に繋がれているはず」

「はひひ……いえ、なに。我らと理想を共にする仲間が無数にいるというだけでしてな。なにも不思議なことはございませんな」

「……協力者か。その協力者も憐れだな。手引きした者がわざわざ脱獄したことを報告するために、自ら火に入るとは思いもよらなかったであろう」


 領主は言い終わらぬうちに手にしていた剣を構えた。開ききった戸を挟むようにして隊長の衛士も構える。


「いえいえいえ。我が同胞は皆優秀でございますよ。祭殿のものだけでは不十分であった血も手渡してくれましてな。……ええまあ、欲を言えば目の一つや二つも手に入ると捗ったのですが、今となっては些細な問題。こうしてお迎えに上がったわけですからな。これも全て導きの女神の加護あってのこと……!」

「勝手に加護受けた気になってるんじゃないわよ。あんたみたいなクソ野郎に女神が加護を授けるわけがないでしょうが!」


 憤るスイコの声などドロスの耳には届いていなかった。その血走った目は、床に倒されたままのアルーフから逸らされることはない。目の前に立つ領主の姿さえ目に入っていないようだった。

 一歩。ドロスの枯れ枝の足が前に出る。だがそれ以上は許されない。領主の刃が心臓の手前に突き出された。


「動くな。貴様、皆に何をした。何をするつもりだ」


 殺してはならない。殺してしまいたい。聞き出さねばならない。妙な動きをさせるわけにもいかない。

 皆、同じ迷いを抱えていた。ドロスの言い様からして、今起きている事態は十中八九この男のせいだ。どうすればこの事態を収められるのか、少しでも多く手がかりを掴まねばならない。だがあまり長引けば何かをしでかすことも予想できる。


 葛藤を知ってか知らずかドロスは高笑いをした。

 スイコはクロをかばうようにドロスから距離を取る。

 肩は床に軽く押さえつけたまま、ソウキはアルーフの背からは降りた。この部屋にいる誰しもがドロスの一挙手一投足を見逃さぬように警戒を高めた。


「何をしたとはご挨拶ですな。当然、魔動機械を動かすための動力を得ようとしただけでございますよ。貴方様との契約通りに。あくまでも我らが大願のついでではございますが、これで約束は果たしましたので報酬のほうはあの商人に……ああいえ、研究に最大限協力していただきましたので受け取れませぬか。ですがきっと本望でしょうな。それにしても誠に僥倖な──」

「砂都の者達に何をしたかと問うている!」


 聞いてもいないことをしゃべり立てるドロスの言葉を領主が遮った。その怒号は雷鳴のごとく。窓の外で何度も爆ぜる赤雷にも負けずとも劣らず部屋中に反響する。


「ですから申し上げた通りで。旧世界の再現、彼方へと続く途の顕現のついでに高純度の魔素を得たまでのことですな。いやはやまったく素晴らしい! 我が寿命では辿り着けぬと悟りを得ようかというところで運命に巡り会おうとは! ……ああ、ああそういうことですかな。魔動機械をどう動かせばよいかと? 簡単でございますな。魔力の収束しきったあの方をお連れすればよろしいだけですからな」


 長々と支離滅裂な事を語るドロスに苛立ちを覚えたソウキの手に力がこもる。その手の中に収まっていたアルーフの肩がみしみしと嫌な音を立て始める。

 尋常では無い握力。もうひと押しで骨を握りつぶされるんじゃないかという痛みに耐えきれず、アルーフは声を上げた。


「痛い痛い痛い痛い! ソウキ痛い!」

「あっ、悪い!」

「貴様なにをしているのですかな!? それは既にわたくしのもの! 勝手をされては困るというもの!」

「お前のもんじゃねえだろが!」

「そうですな。正確には、我々のものと。そういうことですかな」


 やはり話が噛み合わない。と、眉間に力を入れるソウキ。一方でアルーフは、やけに恍惚とした表情を浮かべるドロスに寒気を覚えていた。

 純粋に目の前の男が気味悪すぎるせいかと、耳の裏がぞわぞわと不快な気配を気に留めないようにしていたが、背筋の寒さは痛いほどだった。

 ふっ、と、腹の底に感じる浮遊感。

 確信はなかったが、アルーフはソウキを押しのけようと身体に力を込める。


「ソウキ離せ!」

「なにしやがっ──!」


 暴れるアルーフとソウキの視界が暗くなった。二人だけではない。この部屋にいる全ての者のだ。明かりを採っているはずの窓が一面真っ黒に塗りつぶされていた。

 驚く余裕があったのもほんの一瞬のこと。

 もつれながらもソウキを突き飛ばしたアルーフの右腕。二人の身体は離れるはずだった。が、次の瞬間にはそれをソウキの右手が掴んでいた。重心が後ろに傾きながらも、ソウキは思い切り引っ張る。

 窓の側から引き離そうと勢いのまま投げ飛ばそうとしたが、既に遅し。ソウキとアルーフの身体は黒い霧に呑まれた。否、呑んだ。

 蛇の似姿。無数のそれに貫かれた身体は固まり痙攣を起こす。倒れ込む二人の周りには黒い霧が薄く漂う。


 先に動き出したのはアルーフの方だった。痛み苦しみに見開かれる目。瞳孔が収縮を繰り返す。胸の中に燃えさかる炭を目一杯詰め込まれた心地に意識が白むが、右腕に爪を立てて堪える。

 地下で魔術を使った時の比ではない。竜にとっては十分に、そしてアルーフにとっては過分に高純度の魔素が注がれていた。意識を手放せば、竜の毒はあるがままに流れ出す。そんな感覚があった。


「あ゛、ああ゛……!」


 魔力暴走を起こした時と同様に血泥が辺りを汚す。目から口から耳から。全身から滴るのは汗ではなく、黒く赤の混じったものだった。背が裂け、腕が裂け、足が裂け。鍍金メッキが剥がれるようにヒビが入っていく。

 一番最初に限界が来たのは指先だった。一度割れてしまった爪の先からばらばらと皮膚が剥がれるようにして、影の化け物と同じ黒に。輪郭はぼやけて、人の身には釣り合わない大きな爪へと変貌していく。全て、ソウキがいなかった左半身で起きていた。


 ソウキは動かない。アルーフの右腕を掴んだままの形で床に転がっていた。黒い蛇に噛まれた瞬間に時が止まったようにして固まっている。目は見開いたままだ。

 ソウキのすぐそばに置かれていた観賞用の植物はぐにゃりと曲がりくねりながら異常成長を始め、止まり木の鷹は嘴から血を流し見る見る間に膨れ上がる。竜の毒が溢れ出している証左に違いなかった。


「谿コ縺呎ョコ縺呎ョコ縺吶! 闍ヲ縺励s縺ァ豁サ縺ュ!」

「お、ぐお……」


 開け放たれたままの扉目がけて暴走した影の化け物達が殺到する。爪はドロスの胸を貫いていた。骨を砕き、臓を突く音。皆がそれに気付いた時にはすでにドロスは血の泡を吹いていた。

 飢えた影はすぐさま次の獲物に襲いかかろうとしたが、それは能わず領主の剣の錆となる。二体三体と続けざまに侵入してくる者共も隊長の手にかかり同じ運命を辿りゆく。

 床に肉がぶつかる。命が尽きることは明白だったが、ドロスの顔から笑みが消えることはなかった。


「……我らが大願……叶え、り……」


 おぼろげだった姿にふさわしく、死体となるはずの身体はかき消え、その奥からは影の群れが廊下から雪崩れ込む。相変わらず金属をこすり合わせたような不快な雄叫び。

 いくら腕が立つとはいっても領主と衛士一人では捌ける数には限度があった。


「あわ、あわわわわ」


 目の前の光景にクロはスイコにすがりつく他なかった。見ていることしかできないのはスイコも同じだ。武器はひとつも手元にはない。

 なにか使えるものはないかと部屋を見回すが、ろくなものがない。辛うじて使えるとしたら馬鹿でかい花瓶か、よくわからない魔物の角くらいのものだ。


 必死に視線を巡らすスイコの動きが止まった。

 小さな身体を巨大な猛禽の目が睨む。天井の低さが不快だと言わんばかりにクルルと鳴き、鉱石でできた翼を不機嫌そうにバタつかせる。首を下げていても人の倍以上はあろうかという巨軀。魔物の姿に他ならなかった。


「魔、王って……そういう……」


 目の前で魔物と成り果てた鷹。人の姿に似た不気味な実を生らせる植物。それに、腕が花と化した外周区域の男。その全てが、アルーフの魔力に触れる前は何の変哲も無いものたちに違いなかったはずだ。


「ソウキは!?」

「待てスイコ! 我がゆく!」

「でもクロひとりじゃ……」

「我は誇り高き上級魔族じゃぞ? 泥船に乗ったつもりで待っているがよいのじゃ!」


 すぐさま駆け寄ろうとしたスイコを止め、クロが走る。領主達が切り捨てた影達の残骸が黒い霧を色濃くし、その視界は悪かった。鷹の魔物は不気味な実に気を取られているのか、股の間をくぐった小さな影を気にも留めない。

 硬い尾羽のその向こう。またしても巨大な目が眼前に飛び込んで来る。


「ひょわっ!? ア、アルーフか……びっくりさせるでないわ!」

「……ク ロ、」


 クロが目だと勘違いしたのは渦巻く魔素の塊だった。身体には到底収まりきらない魔素を外に出してしまうことで、なんとか踏みとどまっている状態だ。だがその半身は異形そのもの。結膜が黒く染まり、血の色をした瞳に射竦められてクロは硬直してしまう。

 足元にはぴくりともしないソウキが転がっており、不安は加速する。


「のう、ソウキは無事なのか……?」

「死 んでは、いないと……思う。無事でも、ないけど。……式を、壊さないと……たぶん、どうにも」


 アルーフは浅い息を繰り返しながら言葉を形にした。耳を側に近付けてようやく聞こえる程度だ。


「式を壊す?」

「……壊さな い、限り、流れてくる魔素も、止まらないから……。具合、悪いままなんだ……」

「う、ううむ……よくわからんが、スイコならばなんとかしてくれよう! ソウキの事は頼んだのじゃ!」


 再びクロは元気よく跳ねる。黒い霧の中、スイコの下へと戻っていく。いたはずの鷹の魔物はスイコの前からは姿を消していた。


「スイコー! やることができたぞい!」

「よかった無事で……! ソウキとアルーフは?」

「無事でもなかったが死んでもおらん。じゃが、それも我らの手にかかっているのじゃ。えー……式を壊さないとずっと具合が悪いままらしいからの?」

「式か……。確かに、それを壊さなきゃ化け物にされる人は増え続けるわけだものね」


 何をどうすれば良いのか不安げに服を握っていたスイコはどこにも居なかった。

 状況は悪いが最悪ではない。やれることはある。と、頭が再び回転していく。

 黒い霧の中、領主と衛士が居るであろう方向に向かって声を張り上げた。


「外周区域の北西部に行きたいの! わたしたちの武器はどこ!」

「行ってどうするというのだ!」

「盾門と外壁を使って街の人達を化け物にしてるなら、クロの旧家から内部に入り込めるかもしれないの。そこから式に干渉……最悪、物理的に吹っ飛ばせば、これ以上犠牲者を増やさずにすむかもしれないわ!」

「ならば手がある! ……風斬!」


 領主の声と同時に暴風が吹き荒れた。部屋中の紙切れや小物が散乱するが、黒い霧も晴れゆく。扉近くには大きく羽根を広げた鷹の魔物の姿。不気味な実を啄むのは止め、領主の側に控えていた。

 羽根を畳めば、鉱石でできた一枚一枚の羽根が擦れ涼やかな音を立てる。


「魔物となった今でも、こやつは道理を理解している。入り込んできた影共もほとんどがこやつ──風斬の腹の中だ」

「魔物が、人を……?」

「外周区域までは遠い。風斬の背に乗れば早かろう。我々は戦況を把握する必要がある。そちらは任せるとしよう」

「嘘。乗る? いま乗るって言ったの? 魔物の背中に?」


 戸惑うスイコとクロをよそに、なぜか乗り気の風斬は脚を折って領主の指示を待っていた。

 だが言うまでもなく、風斬は人を乗せて飛んだことなどなく、また誰一人として魔物の背に乗って飛ぼうなどという無茶なことをした者はいないのである。


「乗れそうな大きさじゃが、それとこれとは別もんだ──のわっ!?」

「きゃあっ!?」

「一刻でも惜しかろう。……よし、ゆけ!」


 いくら金を積まれても遠慮したい事態に尻込みしていた二人だが、簡単に持ち上げられ、あれよあれよという間に風斬の背に乗せられてしまった。しかも降りる暇も無く出される合図。

 既に風斬は砕けて大きく開いた窓の方へと助走を始めていた。


「まってまってまってまってまってまって、まーってー!」


 輝く翼は広がり、風を切る。

 二人の重なる絶叫は赤い空へと吸い込まれていった。


※※※※※※※※※※※

【追記】

次回更新予定は9月29日となります


【追々記】

ストックがなくなってしまったため、2020年末~2021年始(2月目処)から更新再開します


【追々々記】

プロットから逸れて以降分のプロットを練り直していたら到底2月から始められる長さではなくなってしまったので、2022年内に再開できたらなと……!

もう少し短いお話で訓練してきます……

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死にたがり魔王は覚悟を決めない(連載版) 雪原いさご @yukihara135

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