ついてくる女

月浦影ノ介

ついてくる女



 読者は『赤い傘の女』で、自らの体験談を語ってくれた由美さんを覚えておられるだろうか。

 福祉関係の会社に勤める若い女性で、いわゆる「視える」体質の持ち主であり、今から一年と少し前、筆者はとある喫茶店で彼女に取材をさせて頂いたことがある。

 あれからときどき連絡は取り合うものの、再びお目に掛かる機会に恵まれず、そうこうするうちに一年以上が過ぎてしまった。

 年明けには再びお会いして怪異体験を取材させて欲しいと申し込んでいたが、折り悪く今回の新型コロナの影響でそれもままならない状況である。

 なので今回は由美さんに、自身の体験談をメールに書いて送って頂いた。

 以下はその由美さんが短大を卒業し、勤め始めて間もない頃に遭遇した出来事である。

 




 ───あれは六年ほど前、確か五月の終わり頃の事だったと思います。当時、私は今の会社に入社して間もない頃で、初めての一人暮らしに若干の寂しさを抱きつつも、早く一人前になろうと毎日気を張っていました。


 その夜、私は買い物ついでに公共料金の支払いをしようと、近所のコンビニへ向かいました。時間は確か深夜一時ぐらいだったと思います。

 普段はそんな遅くに出歩いたりなんてしないんですが、翌日は土曜で仕事も休みだったし、何となく深夜の街を歩いて、非日常的な気分を楽しんでみたかったんですね。

 その当時、私が住んでいた単身者用のマンションは、JR駅に近い住宅街にありました。駅周辺は人通りの多い繁華街でしたが、治安の良い所だったので、夜中に女性一人で出歩いても別に怖いこともありません。

 普段なら原付バイクに乗って行ってしまうのですが、その日は運動不足解消の為にも歩いて向かいました。

 

 真夜中の住宅街はしんと静まり返って、いつもの見慣れた景色とはまるで違う世界のよう。

 夜空に星は見えません。たぶん曇っていたのでしょう。空気は湿り気を帯びて、五月とは思えない少し生暖かい風が吹いています。

 当然といえば当然ですが、深夜の住宅街に私以外の人影は見当たりません。街灯が照らす真っ暗なアスファルトの上、スニーカーを履いた私の足音だけがやけに大きく響いて聞こえます。

 

 やがて前方に十字路が見えて来ました。黄色い信号が規則正しく点滅しています。

 その光景をぼんやり眺めながら歩くうちに、私はふとあることに気付いてギョッとしました。

 

 交差点の真ん中に、誰かが立っている。

 

 ───女性でした。明滅を繰り返す信号の黄色い光に照らされて、女性はこちらに背中を向け、交差点の真ん中にポツンと一人きりで佇んでいます。

 

 鳥肌が立つと同時に、嫌な予感がしました。

 残念ながら、こんなときの私の嫌な予感はたいてい当たります。

 たぶんあれは生きている人ではないのだろうと思いました。仮に生きている人だとしても、こんな深夜に交差点の真ん中に一人で立ち尽くしているなんて、とてもまともじゃありません。

 一瞬、引き返そうかとも思いましたが、しかしここで引き返せば、私が勘付いたことをあちらに悟られてしまうかも知れない。

 こんなときに大切なのは「気付かないフリ」をすることです。決して相手に、こちらが気付いていることを気付かせてはいけない。

 私は立ち止まることなく、そのまま歩き続けました。

 しかし十字路に差し掛かったとき、視界の端で彼女がゆっくりと私の方を振り向くのが分かりました。

 ほんの一瞬でしたが、もの凄い形相で私を睨み付けているのが目に入ります。

 思わず悲鳴をあげそうになるのを堪え、私は素知らぬ顔で歩き続けました。しかし彼女はそのまま見逃してはくれず、あろう事かスタスタと足早に近付いて来て、私の横に並んで歩き始めたのです。

 彼女はずっと私を睨んでいる。私は彼女を見ないよう正面を向ている。

 私が早足になってもゆっくりになっても、ピタリと横に着いて来ます。

 不思議と彼女の足音も息遣いも聞こえません。それだけで、私は彼女が生きている人間ではないのだと確信しました。

 コンビニまで約十分ほどの時間だったと思いますが、まるで悪夢の中を必死で泳ぐような心持ちでした。

 

 やがて道の向こうにコンビニの明るい光が見えて来て、私は思わず小走りになって店の中に飛び込みました。

 振り向くと、先刻まで私にピタリとくっ付いて来た彼女の姿は、どこへ行ったのか影も形もありません。さすがに店の中までは入って来なかったようです。

 レジに立つ若い男性店員が、怪訝そうに私を見ています。

 

 私は雑誌コーナーで立ち読みをする振りをしながら、しばらく外の様子を伺いました。しかし、あの女性の姿はどこにもありません。

 やっと解放された・・・・・。そう安堵の溜め息と共に胸を撫で下ろすと、私は飲み物や雑誌と一緒に公共料金を払い、自動ドアを潜り抜けました。

 音楽が流れる明るく賑やかな店内から一歩外へ出ると、真夜中の静けさが押し寄せて来て、蝋燭の炎が消える寸前みたいに、急に心が寂しくなりました。

 自宅までの僅かな道のりが、ひどく遠くに感じられます。やっぱりこんな夜更けに外出などするのではなかったと後悔しました。


 辺りをキョロキョロと伺いながら、私は足早に家路を辿りました。幸い先ほどの女性の姿はどこにも見当たりません。

 少し安心して歩く速さを緩めた、そのとき。


 「───わたしを、探してるの?」


 と、ふいに背中から声がしました。

 心臓をギュッと乱暴に掴まれた思いでした。おそるおそる後ろを振り返ると、さっきの女性がすぐ二メートルもない場所に立っています。

 「ひぃっ」という短い悲鳴が、私の喉の奥から漏れました。いったいどこに隠れていたのか、女性は私が戻って来るのを執念深く待ち伏せていたのです。

 顔を少し俯かせ、上目遣いの眼差しで私を睨み、口元は人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべています。


 驚いてその場に立ち尽くしていると、やがて女性がゆっくりと近付いて来て、私の傍らを音もなく通り過ぎ、それから先に立って歩き出しました。ときどきこちらをチラリと振り返るのは、付いて来いという合図なのでしょう。

 私は仕方なく、女性の後を追うような形で歩き出しました。マンションに帰るにはこの道しかなく、仮にここで逃げ出したとしても、相手が生きた人間でないのなら、どうせ先回りされるのが見えていました。

 

 私は別に度胸が良い訳ではありませんが、腹を括ると気持ちが妙に落ち着くものです。

 二、三メートルほど先を歩く女性の後ろ姿を、しげしげと観察する余裕が出て来ました。

 髪はセミロングくらいの長さでしょうか。軽いくせ毛かポイントパーマのように、所々ふわっとカールしている毛先が妙に目に付きます。

 服装はロングカーディガンのような、ベージュ色のニット。今考えると暑くも寒くもない時期だったと思うので、少し季節感がズレてますね。

 

 女性はもう私を振り返りません。先に立ってスタスタと歩き、やがて私のマンションの敷地内へと入って行きます。

 私は軽いパニックになりました。ひょっとして私の部屋に入るつもりかも知れないと思い、全身から一気に血の気が引きました。


 思った通り、女性はマンションの外階段を一歩ずつ登って行きます。そして何故そこだと分かったのか、五階建ての三階の渡り廊下を歩き、やがて私の部屋の前でピタリと立ち止まったのです。

 女性がゆっくりと私に顔を向けます。そのとき私はもう半分開き直ったような、焼けっぱちみたいな気持ちになっていて、人を小馬鹿にしたように笑う女性の顔をグッと睨み付けました。

 女性は濁ったような目で、私をジロジロと眺め回していましたが、やがて小さな囁く声で「・・・・・もうおしまい」と一言呟くと、再び私の傍らを音もなく通り過ぎ、階段の向こうへと姿を消しました。

 

 私は震える手で財布から鍵を取り出すと、急いでドアを開け、部屋の中に入りました。

 鍵を閉め、ドアチェーンを掛けて、電気を点けて室内がパッと明るくなると、全身から力が抜けたようにその場に座り込みました。

 

 しかしホッとしたのも束の間、いきなりベランダの窓をドンッと叩く音がしました。思わずビクリとする私の耳に「またね」という、あの女性の声が聞こえました。

 慌てて立ち上がってカーテンを開けましたが、しかしベランダに人の姿はありません。

 幻聴だったのでしょうか? ここは五階建てマンションの三階です。急いで階段を下りて建物の正面に回り、それから三階によじ登ってベランダを乗り越え、窓を叩いてわずか数秒の間にまた姿を隠す・・・・・。生きている人間に、そんな芸当が出来るはずがありません。

 やはりさっきの女性の霊の仕業だったのでしょうか。しかしそれなら一体何故、こんな真似をするのか皆目見当が付きません。


 その夜、私は電気とテレビを点けっぱなしにして、御守りを両手に握り締め、朝が来るのを震えながら待ち続けました。


 

 あの女性はいったい何だったのでしょう?

 「またね」とは言われたものの、それから引っ越すまでの二年間、あの女性が私の前にに再び姿を現すことはありませんでした。

 また、その出来事があって以降、私は深夜に一人で外出することはなくなりました。


 ちなみに、私が女性と遭遇した交差点やマンション周辺で、人が亡くなる事故や事件があったり、幽霊が出るなどの噂は聞いた事がありません。

 ただ、私がいつも利用していたコンビニは、それから間もなく潰れてしまいました。

 その後、別のお店が出来たのですが、それも半年も経たずに閉店しています。現在はどうか知りませんが、私が引っ越すまでの間、ずっと空き店舗のままだったと記憶しています。

 近所の方の話によると、立地条件は良いにも関わらず、なぜかそこにオープンするお店は短い期間でなくなってしまうのだとか。

 もちろん、それがあの女性の霊に関係しているかどうかなんて、私に分かるはずもありませんが。




 ・・・・・以上が今回、由美さんから送って頂いた体験談である。

 なお、これは由美さんの最初のメールに対し、筆者が幾つか質問して返って来た答えを付け加え、改めて再構成した文章であることを申し添えておく。


 ちなみに由美さんからは他にも幾つか体験談を伺っているので、近いうちにそれもまとめて公開したいと考えている。



               (了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ついてくる女 月浦影ノ介 @tukinokage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ