第20話 ひ孫よ、スピカを探して
台風一過の小松は晴天も晴天。
曇天が売りじゃなかったのかと空をにらみつけたくなる。
航空自衛隊の基地はその性質上、都市部にはあるわけがないので、どこの基地も僻地にある。交通の便が良い方だとは思うが、それでも不便な交通手段にほとほと疲れる。
こぢんまりとした小松空港と隣り合わせで、滑走路を共有している小松基地。
多くの戦闘機を有するため基地自体は相当でかく、当然といえば当然なのだが基地正門から駐機場まではなかなかの距離だ。
90を超えた老人に、9月と思い難い暑さの残る航空祭はさらに過酷の極みだ。
泰子は弱っている身体のくせに意気揚々と駐機場を目指して歩くのだが、すぐ隣で俺は日光の照り返しに目がやられそうになり、もう隊舎の屋上でみたらよいのにとうそぶいた。
「まずはエプロンでしょうが!」
エプロンとは駐機場をさす言葉だ。
可愛いひ孫殿は一歩間違えば軍事オタクと評価されてもおかしくない知識量を保有している。我ながら英才教育を施してしまったことに懺悔だ。
「お辛くないですか?」
元空将補として扱われているらしく、若い自衛官がかいがいしくお世話係としてついてくれていた。階級は空士長のようで、実に接待に適任というかわいらしい笑顔の女性だった。
俺の苦笑いに世話役さんもまた苦笑いするが、泰子はそれを徹底無視だ。
「じじい、格納庫にて待機するから行ってこい。」
「いいの? じゃ、後でね!」
久しぶりにみた泰子の底抜けに明るい笑顔だった。
招待者用に準備された格納庫へ俺だけが移動して、泰子はお目当てのイーグルを愛でに駆け出した。
航空自衛隊小松基地は泰子がイーグルランドというだけあってF15だらけだ。
あいかわらず殺風景なグレー一色のエプロン地区。
これをディズニーランドのように評価する我がひ孫。
体調もかんがみてはしゃぎ過ぎないように泰子にはきつく言って聞かせたが、もう目のキラキラが止まらないようで、展示されている303飛行隊の特別塗装されたF15の前から動かない。
「飽きもしないでようもあんだけみていられるもんだな。」
泰子の姿を目で確認しながら、ゆっくりと車椅子の背にもたれて休憩してみる。
さすがにこたえる。なんせ齢90歳。
「ようこそ、小松基地へ。」
振り返るとそこにいたのは空将補の階級のロマンスグレーを目指していそうな壮年期にかかる男が立っていた。
その胸には主催者の証の花が付けてある。どうやら基地司令殿らしい。
「いかがですか? 元基地司令からみた小松は?」
そうきかれて、俺は唸るしかない。
そう、俺は恥ずかしながら小松の基地司令を拝命したことがある。
ただし、俺が自由気まま、放し飼いにしすぎた結果、小松には猛者ばかりが集い、いぶし銀の戦闘機乗りばかりの飛行隊となって、時の空幕長から『少しは大人しくさせるように。』という通達まで出る始末だった。
「小松もかわりましたな。 品行方正にみえる。」
「そうですか?」
「私が基地司令の頃はもっとこう……ま、時代ですわな。」
「中身はたいしてかわっていませんよ。 諸先輩方のあっての小松です。」
「なるほど。 なんせ小松ですからな。」
「ええ、小松は小松です。」
現基地司令殿が同意の笑顔を浮かべるということは、この小松も時代の変遷はあろうともカラーはそうそう変わっていない様子だ。
「責任を感じますなぁ。」
「小松ですから、ありがたく役目を拝命させていただきました。」
「お気の毒ですな。」
「そうでもないですよ。 それはそうと、あの娘さんが、防大が泣く泣く手放した噂のひ孫様ですか?」
現基地司令殿が含み笑いで指さして笑っているのに、『ええそうです。』と苦笑いを浮かべるしかない。
「あの頃の女の子は、きっと普通はこうじゃないでしょうが、うちのは仕方がないもので。」
「仕方がない?」
「空の女神が空を返す予定なので。」
「女神ですか……。」
基地司令殿はなかなかにハンサムガイだがこういう類の会話にはうまく返せないようだ。
「ジョークですよ、ジョーク。」
「あぁ、そうでしたか……。」
わかりやすいほどに焦っている現役空将補殿をみて、内心、『君がかつての海軍航空隊にいたとしたら生きていけないぞ、そんなんでは。』なんて思っていたことは内緒だ。
「今日は、昨年の戦競で優勝したイーグルドライバー達が機動飛行しますよ。」
「ほう、小松が勝ったんですか?」
「303飛行隊が勝ちましてね。」
嬉しそうに笑っているあたり、この基地司令、さては303飛行隊出身か。
「あなたは303出なのですか?」
「ええ、そうです! わかりますか?」
「愛着具合は今も昔もかわらんもんですなぁ。 私は今でも横須賀海軍航空隊を愛してしまうものですからね。」
「川村さんは343をおつくりになった一角におられたんですよね?」
「そんな話しをどこで?」
これにはさすがに驚いた。
この世代が知っているとは思いにくい話題だったのだ。
「元幕僚長がいらっしゃっているんですよ。 川村さんにお会いしたいとそういえば探していらっしゃいましたよ。」
「あいつか……。 まだ生きていたか。」
俺の脳裏に浮かんだ顔はたった一つだ。
「あぁ、ほら、いらっしゃいましたよ。」
基地司令の肩の向こうから、杖を突いた男がにこやかな笑顔をたたえてやってくる。
白髪になり老いぼれてはいるがすぐに誰かわかってしまう。
「まぁ、長生きだこと!」
俺を見つけるや否や、そいつはおかしそうに肩を小突いてきた。
「やめてください、幕長。」
「そう言わず、受け止めなさいよ、空将補。」
「まだ生きていやがったか、小泉。」
「そりゃお互い様でしょうが?」
かっかっかと笑う小泉をみると、ため息がこぼれる。
そう、小泉は大出世を果たし、めでたく航空幕僚長まで上り詰めた天才だ。
現場主義にこだわった俺を踏みつけて、空将となったのだから驚きだ。
そして、この小泉の嫁はかの寺脇登紀子嬢なのだからさらなる驚きだ。
「お宅の鬼嫁はまだ健在で?」
「まだ健在ですよ、うちの鬼嫁。」
「まぁ、恐ろしい。」
「川村さんは寂しいのでは?」
「ま、そうだな。 そろそろ独り身の自由も飽きてきたからね。 そうだ、お前だろう? うちのひ孫の出来が良すぎるから真偽を確かめて来いだなんて、現役そそのかしてうちに送ってきたの。」
片方だけ口角を釣り上げて、小泉は笑った。この笑い方は本当に昔から変わらない。
「だって、川村さんのひ孫がそんなに優秀なはずがないですからねぇ。」
「出世して偉大におなりになってもその性格は曲がったままだな。」
「それはお互い様でしょう? 互いに雛の時代にみた親が悪い。」
「……それはそうだな。」
「尾上組だから仕方がない。」
「そりゃそうだ。」
俺達と言えば尾上組という縛りが付いて回った戦後。
何をしたって、あの尾上組だから仕方がないだなんて言われ、亡き尾上さんも満足なほどに自由気ままにやりたいことをやっていた気がする。
小泉との会話の最中に、格納庫前まで戻ってきていた泰子の姿を目の端にとらえた。
だからというわけではないけれど、俺は泰子を紹介してみることにした。
「泰子! 戻りなさい。 泰子!」
泰子にはなかなか声が届いていないようだ。
その上、303の機動飛行が始まり、完全にエンジン音に声がかき消された。
泰子がはじけるような笑顔で空を見上げている。
303飛行隊は泰子の贔屓だ。
泰子曰く、『低空でせまる感じとハイレートもえぐっていく感じが抜群で、とにかく巧い!』らしい。本当に何者なんだと突っ込みたくなる感想を述べる泰子。
百里、いや今は新田原の305飛行隊も贔屓なのだそうだが、『闘龍と梅なら闘龍!』というマニアックぶりだ。
闘龍というのは303飛行隊のエンブレムが龍であり、『Fighting Dragon』というのが飛行隊のチーム名だからだ。そして、305飛行隊には『梅組』という名称がある。
お気に入りの2強を比較したところ、泰子の評価は『闘龍』に軍配が上がるらしい。
数年前から誰がパイロットかわかってはいないようだが、1人お気に入りの飛び方をしてくれるイーグルドライバーがどうにも303飛行隊にいるらしかった。
「ひいじいちゃん!」
見てと言わんばかりに一機のイーグルを指さして、こっちを振り返った。
どうやらたった今、ハイレートをド派手に決めた機体の操縦桿を握っている奴が泰子のお気に入りのようだ。
確かに、えらく目立つ飛び方をする。
癖があるというか、華があるというか、どうにも目につく飛び方だ。
「楽しんどる。」
泰子のお気に入りのイーグルドライバーはおそらく空を飛ぶのが大好きな飛行機馬鹿で間違いない。それを目ざとく見つけるあたりが我がひ孫というか。
「ちょっと……川村さん、ひ孫ってあの子ですか?」
珍しく真剣な声色の小泉の額にうっすらと汗が浮かび上がっている。
「誰かさんにそっくりだろう?」
俺は小泉のその様子に苦笑いするしかない。
「似ているなんてもんじゃない!」
「そうだよなぁ。 やっぱり、そう思うか? それにな、何と燈子さんと同じ病気、同じ好み、同じ発言連発するオプション付き。 極めつけは夢で尾上さんに逢っているときた。」
「もう決まりじゃないですか!」
「なんだ、疑いもしないのか?」
「疑うも何も! いつから尾上夫妻の来世とやらがはじまるのかって心配していたくらいですよ。 それにね、尾上馨そっくりのイーグルドライバーをこの小松でちらりとみつけちゃったもんですからね。」
「へ? そっくりのイーグルドライバー?」
「容姿にまず目を疑いましたからね。 あまりに似ているので元幕僚長だと偉そうに話しかけてみたら、信念もそう、考え方や行動のとり方、発言もそのままで笑っちゃいましたわ。」
小泉は息をするように冗談を口にするが、こればかりはどうにも冗談とは思えなかった。
俺達の頭上で爆音を響かせて飛んでいくイーグル。
これに目を細めてみる女子なんて希少価値だろうが、泰子は嬉しそうだ。
「それ、303の奴か?」
「え? 303の奴ですよ。」
「なんで……気がつかなかった……。」
俺は車椅子から立ち上がった。
さっき、ハイレートを決めた奴のフライトをみたくなったのだ。
イーグルだからわからなかったのか。
思い切りの良いラダーの切り方、癖のあるブレイク。おそらくスロットルレバーの操作も自由気まま、ピッチの決め方も大胆そのものだ。
これがエレメントに居たとして一緒に飛ぼうものなら傍迷惑。
だが、こいつと飛ぶのはきっと楽しいに違いない。
「似ていると思わんか?」
俺はにやけてくる顔を隠すこともせず、見上げた。
「え? どういうことですか?」
俺につられて小泉も見上げる。
「俺たちが嫌というほど叩き込まれた普通じゃない操縦の癖だ。」
なるほどそういうことかというように、小泉も破顔した。
「傍迷惑な飛び方だけど、僕達以上の機動力はなかなか見当たらなかったですもんね。」
「そうだな。 なんだか嬉しくなるな。」
「機体がでかいから余計に悪目立ち。」
「急上昇も下降も観客から歓声が上がるほどに近い。 そもそもが派手過ぎる。」
「心行くまで好き放題な飛び方ですこと。 まったく品のないこと……。」
すぐ横で小泉が言葉を詰まらせた。
その頬をゆっくりと一筋の涙がこぼれおちていく。
「泣くなよ、齢84。」
「うるさいですよ、齢90。」
あの時、尾上を見送るしかなかった俺たちがもう一度みたいと願ってやまなかったものが今目の前にあるような気がした。
「泰子がイーグルにこだわって生きてきた意味はこれかもしれんなぁ……。」
何の根拠もない。でも、正解なのだと勝手に思うことにした。
「……なるほど。 あの子にとってイーグルは目印というわけですか?」
「ないと死んでしまうくらい怖くなるらしいぞ。」
「こりゃ、今回も尾上さんは逃げられんらしい。」
「俺もそう思う。」
「もしもこれが始まりの一歩となるのなら、あのイーグルドライバーとひ孫殿は出逢っちゃうかも。」
90歳と84歳が二人でこそこそと話しては笑っている様に、所在をなくしていたらしい基地司令は静かに一礼した後に去っていった。
「なかなか降参しなかったらどうします?」
小泉は誰がとは言わないがそれが何を指すかは俺もよくわかっていた。
俺たちの脳裏に浮かんでいる顔は一つだ。
「あの時のまんまだったら職権乱用で一言申し上げるかな? どう考えても、まだきっと若造だろうから。」
「僕も乗った! 元幕僚長として命令してやろうかしら。」
「どんな顔するんだろうな。」
「一人だけわけわからん顔をするんでしょうね。」
そんなバカげた話ばかりしているうちに303飛行隊の機動飛行が終了し、そのイーグルドライバー達が隊舎へ次々と戻ってきていた。
泰子と言えば次に舞い上がった306飛行隊の機動飛行に目を輝かせて見上げてばかりで、その一団に全く気が付いていない。
低空で背後に向かって飛んだイーグルを必死に目で追おうとした泰子がふらりとその場に倒れかけた。
「泰子! 危ない!」
俺は座りなおしたばかりの車椅子から立ち上がろうとしたが、大丈夫と、そっと小泉にそのまま座らされた。
「ほら、安全確保は完了されているようですから。」
たまたま横を通りかけた一人のイーグルドライバーが泰子の腕をつかんで、何とか踏みとどまらせてくれたのだ。
慌てて礼を言っているらしい泰子の目がその男にゆっくりと向けられる。
そして、泰子が完全にフリーズした。
毎度の光景だなと思った瞬間だった。この光景を見たのは人生で2回だ。
燈子が尾上をみて恋に落ちた瞬間とたった今だ。
「……やっぱり来ちゃいましたね。」
「お前が話していた303の奴ってあいつか? なるほどね……。」
俺と小泉は顔を見合わせて笑うしかなかった。
「相変わらずの仏頂面でしょう? もっと可愛く笑えるのにね。」
「確かに。 そして、やっぱりパイロットなんだな、あの人は。」
「空の女神が空を返す。 これに尽きますね。」
「燈子さんにとっての空は尾上さんだからな。 次こそはもっと早く幸せになってもらわんとなと思うが難儀だろうな。」
「難儀でしょうね。 彼は典型的な自衛官、それに飛行機馬鹿ですから。」
俺たちが『尾上』と称したクマのようなパイロットは、あっさりと泰子に別れを告げ、隊舎へ駆け込んでしまう。
それがものすごくショックだったらしい泰子が救いを求めるような目でこちらをみた。
「じじいは90。 自力で解決してください。」
横で小泉が腹を抱えて笑い出した。
「じじい90じゃ、あの苦労をもう一度はしたくはないかな?」
「そうだろう?」
俺はお手上げだというようにサインを出してみる。
「助けてほしそうな顔までそっくりとは。 川村さんはいつも大変なポジションだこと。」
「嫌になるよ、本当に。」
じじい二人は言葉とは裏腹に実は楽観的にとらえていた。
どれだけ時間がかかろうと苦労しようと、二人の根っこは同じだからきっと大丈夫なはずだ。
「すごい動揺しとるな、あれは。」
絶望的な顔をして首を横に振りながら、こちらへ帰ってくる泰子が大混乱しているのが手に取るように分かった。
「で、いましたか?」
質問の答えは泰子の顔を見れば十分わかった。
「こんなことってある!?」
声は完全にひっくりかえり、その頬はうっすらとピンク色だ。
恋をした瞬間の燈子とまったく同じだ。
「だから、魔法だって言っただろう? でも、ご存知の通り苦労するぞ。 粘るか?」
「粘る? でも、粘るしかない気がする。 やっぱり変かな?」
泰子が意を決したように大きくうなずいた。
「変じゃない!」
いきなり横から小泉が口をはさんで、泰子が誰だこの人と言うような目で一歩だけ身を引いた。
「あぁ、泰子。 ほら、小泉少尉だよ。 話しただろう?」
俺がそう説明してやると、目をみはってから、すぐに小泉に大きくお辞儀をした。
「あら、知らない所でご存じなわけで?」
今度は小泉がびっくりしているようだ。
「話したんだよ。 尾上馨と高野燈子、俺達尾上組の話を。」
「よく話せましたね、自分の大失恋話。 女々しくなかった?」
小泉はにやにやしながら俺をからかってみたいようだ。
だから、その手にはのるかと舌打ちして、俺は背を向けることにした。
「嘘ですよ、嘘!」
「小泉、お前、そういう所、治せよな。」
「あ~はいはい。 君のひいじいちゃんは頑固で困る! でも、もっと頑固な相手と戦う君に一言プレゼントしておくとすると、幸せになれる秘訣はね。 度胸そのままぶつければ絶対に勝てる!」
小泉は根拠などない癖に自信満々だ。84の爺さんがふいにあの頃のように若く見える。
「そうだろうな。」
「そうそう!」
俺たち二人に大きくうなずかれて泰子はさらに混乱しているようで苦笑いだ。
「言えることは一つ! Definitely yesだ!」
「あら良い言葉! 君の気持は絶対にイエスってことね。 そして、諦めないこと。」
俺達がそろうと、年月がどこへやらだ。
そして、泰子の物語はここからはじまるのだと俺たちは知った。
難攻不落の飛行機馬鹿を世界で一番幸せな夫にしてやらねばならないのだから。
「二人そろって良いじいさんが運命とか輪廻とか迷いなく語ってるあたり、尾上馨の恋物語はもう一度叶えてやりたい恋物語なんだってことなんだろうな。」
俺はもう降参だと笑うしかない。
「この細長い島国に居て、ひどく現実的な世界で生きてきたはずなんですけどね。 でも、どうあっても信じたくなる恋物語ってやつですよ。」
小泉も同じく、降参だと笑った。
その様子に泰子だけが困惑していたのはこの際もうみないことにした。
「第二幕開演かな。」
俺の独り言はイーグルの爆音にかきけされた。
あの敗戦から日本は不死鳥のように蘇った。
海鷲だってもう蘇って良い頃だと思うのだ。
早く逝ってしまった海鷲だから、今度は長く生きて、生きることの醍醐味をかみしめて欲しい。
尾上の魂は死しても尚、日本の空を護りたくて仕方がない飛行機馬鹿として蘇ったと思いたいじじい二人組は空を見上げて笑った。
「終戦かな。」
「ようやく終戦かもしれませんね。」
じじい同士にしかわからない言葉だ。
託されたものを、次に託すことがようやくできたように思ったからだ。
そして、あの時、あの人に置いて行かれたというどうにもならなかった黒い塊のような気持ちから二人とも救われたような気がした。
戦争は愛しい者を奪う。残していく者と残された者の心も奪う。
だから戦争はしちゃいけない。こんな当たり前のことを皆がわかっているのに、それが綺麗事でしかないのが現実。
この日本という国に生きる皆に戦の火の粉が降りかからないように盾となって戦う人間がいる。
専守防衛なんて世迷言だと他国から揶揄されようと、それに真っ向勝負で『国を護るための戦しかしない』と堂々と言い切る人間が日本にはいる。
今更ながらに泰子の言葉が胸に響く。
「暢気に人が生きられる姿ってさ、ある意味でこの国の勝利だよ。 暢気に暮らしていいよ、護るからって頑張ってくれる存在が鉄壁のガードをしている成果だと思う。 そこんところはじいちゃんたちの矜持でしょうが!」
戦争が身近に感じられない日本人がいたって良い。
それだけ暢気に暮らしていけるだけの日本を護ることができているのなら、確かに価値があるってものだ。
「なぁ、小泉。 護りたい者が護りたい方法で国を護れるならそれで良いんだよな?」
「やりたいようにやれば良い。 強制ではなくて、個々の意思で国を護れる力となってくれる若者がいてくれるのはうれしいですね」
「軍人なのに、軍人らしからぬだとしてもな」
「良いんですよ。 僕たちみたいな痛みを国民全体が食らうわけじゃないから」
「本当に心意気でしかないな」
「心意気で国が護れる時代なら僕は大歓迎ですよ」
戦時中は心意気があっても何一つ護ることができなかった。
どれだけ優れた軍人や国民をたやすく失ってしまったことか。
「繰り返さないための力の源ってなんだろうな」
「恋や愛って言ってみたいですね。 誰かのもとへ戻ることが当たり前の世界が本当はどれだけありがたいことかを知ってほしい」
「逢いたい人間にいつでも逢えることが実はとんでもなく奇跡の連続なんだけれどな。 それがわかるのはあの戦争を知っているからこそなんだろうがな」
「いつか逢える、また逢えるが、叶わないこともありましたからね。 本当に無駄にして良い時間はない」
「小泉航空幕僚長、さすがの名言ですな」
「僕、結構有能でしたからね。 尾上さんより間違いなく有能でしたからね!」
「戦後にあの人が生きていたらどうなっていたことか」
「後に追い抜いて、僕が顎で使ってやりましたけどね」
「幕僚長って柄ではないからな、あの人は」
小泉とこんな風に笑える日がくるとは思わなかった。
互いの古傷は心の奥底で不治の病となっていたからだ。
俺たちは時間がかかった。
ここまで来るのにおそろしく時間がかかった。
こんな想いを今を生きる日本人には誰一人味わって欲しくないものだ。
「さて、尾上さん。 ちゃんと上手にスピカを探してくださいよ? 今度は俺も小泉もなしで、自分たちだけで幸せ掴んでくださいね。」
ただまっすぐに好きだと言える世界になったのだから、頑張ってほしい。
それに、理子を待たせすぎると後々が怖い目に合うから、今回は自分たちだけで引き寄せてくれ。
尾上さん、燈子さん、ようやくもう一度がきたんだよ。
俺は約束通り、手紙を護りぬいたよ。
初めて一緒に飛んだあの日のように褒めてくれますか?
尾上さん、ほどほどのところで、早めの降参を。
燈子さん、もう一度、粘ってあげて欲しい。
あんたたちには俺と理子が過ごせたように穏やかな時間を今度こそ手にして欲しいんだ。
これが思い込みであるはずがないんだ。
あなたたちの約束は絶対のはず。
さぁ、もう一度、互いのスピカを探して。
スピカって何かって?
理屈なんていちいち考えなくても、無条件でお気に入りってこと。
そんな物が空にあったら、思わず魅入ってしまうでしょう?
うまくは言えないけれど、北極星とはまた違うんだよね。
知っている人だけがわかっている、そんな感覚のものがSpica。
そうだな、天邪鬼な人間が欲しくなるもの。
それが一番近いかな。
好きになるには理由はない。
他の誰か何てどうでもよくなるくらい欲しくなるもの。
だって、それがたった一人(Spica)なのだから。
If you know that you cannot cope without him, then he is your one and only, your love of your life, your Spica.
No matter what fate awaits, as long as you follow your heart, Spica will return to you.
Soichiro Kawamura(川村宗一郎)
【この人じゃないとだめだとわかったのなら、それが君のたった一人、迷うことなきスピカ(愛しい人)なのだよ。 どんな運命が待っていようとも、想いに忠実に生きていれば、スピカは必ず君のもとへ還ってくるから。】
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スピカを探してー海鷲の初恋ー ちい @chienosuke727
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