第5章
第16話 後日談
あの後は、大変だったと聞いている。
聞いているというのは、ヘンリーもルーヴィックも気を失ってしまったせいで、残されたレイとユリアが来た道(つまり下水道)を引き返して地上へ戻ってくれたのだから。
しばらくはレイが身を潜めていた部屋で過ごし、動けるようになってからヘンリーの部屋へと戻った。あれだけ派手に暴れたが、元々隠されていた場所での出来事だ。表立っての騒ぎにはならなかった。これからどうなるかは分からないとヘンリーは言っていたが、門を開けられる可能性があった事を考えれば、防ぐためには仕方が無かったと言い訳も立つように思えた。
大学の校内でレイとヘンリーが行き交う人を眺めている。レイは設けられたベンチに腰を下ろし、ヘンリーはその隣で車いすに座る。
天使の翼を切った時、着地に失敗して足を折っていたらしい。
「これからどうされるのですか?」
ヘンリーはレイに尋ねる。
「しばらくはゆっくりしてから、親父の研究してきたことを少しずつ勉強しようと思ってます」
レイはヘンリーへ視線を向けた。大学には父親の荷物を片付け引き取るために来ていた。と言っても、ルーヴィック達が暴れたせいで、大学としてはそれどころでもないらしい。
ただルーヴィックが部屋中に守護の印を刻んでいたおかげで、教授の本や資料自体は残った物も多いらしい。ステファニーがいる物といらない物を分け、中身を見ても分からないレイが荷物を運ぶ。
「俺は何も知りませんでした。親父が何について研究してきたのか、何をしたかったのか。分かってやれたら、もっと別の関係の築き方もあったのかもしれません」
「どうでしょうね。彼は強情なお人でしたからね」
ヘンリーの言葉に「確かに」とレイは笑った。
悪魔の存在を知った彼がこれから取る道は二つだ。悪魔の存在に目をつむり、世界の片隅でひっそりと暮らす。もう一つは、父親のように悪魔に対抗する存在となる。彼の性格上、後者だろうとヘンリーは思った。
「ヘンリーさん。しばらくはロンドンを離れますが、またここに戻ってくるつもりです」
その力強い言葉に、ヘンリーは自分の予想が当たっていると確信した。
「またお会いできることを楽しみにしていますよ」
優しく微笑むヘンリーは懐中時計を取り出す。
「そろそろ私は行きます。ルーヴィックの見送りがありますので」
「ルーヴィックさんにはお礼を言っておいてください」
「そう言えば、ものすごく怒っていましたよ。道具箱の中身がめちゃくちゃになってるって」
笑って言うヘンリーに、バツが悪そうに返した。身に覚えはある。
ではまた、そう言ってヘンリーは車いすを動かして去って行く。
それを見送ってかた、レイは作業の続きをするために教授の部屋へと戻っていった。
ウィンスマリア教会の跡地で、残骸処理が続いていた。
ユリアはその様子を眺める。幼い頃から孤児としてこの場所で育てられた。思い出がたくさんある。そしてアントニー神父にも。
アントニー神父の遺体は、不思議と燃えずに綺麗な状態で見つかったという。
あまり実感がなかったが、埋葬される光景を見てようやく涙が溢れて止まらなかった。
今もまだ目元が赤いが、ようやく落ち着いた。そして、瓦礫の中から出てくる焼け残った物を集め、仕分けしていた。
「おお、頑張ってるな」
聞き慣れた声に思わず顔がほころぶ。
まだ傷が痛々しいが動けるようになったルーヴィックの姿があった。
駆け寄ってくる彼女は、彼が大きな荷物を持っていることに気付く。
「どこか遠くへ行かれるんですか?」
「あぁ、祖国へ帰るんだ」
そう言えばとルーヴィックはアメリカから来たことを説明する。少し寂しそうな顔をしたユリアに、ルーヴィックは傘を差し出した。
「帰る前に返しとこうと思ってな」
それは彼女がルーヴィックに貸した物とは別の傘だ。あの傘は大学での騒動でどこかへ行ってしまった。だから、ヘンリーの部屋にあった傘(サーベルじゃない普通の奴)を選んで無断で持ってきたのだという。
ユリアはカラカラ笑いながら傘を受け取った。
「世話になったな。お前がいなきゃ、門は消せなかっただろう」
慣れていないように、ぎこちなくお礼を言うルーヴィックに、少し笑ってしまった。
「また来てくださいね」
「どうだろうな。世界は狭くなったと言っても、やっぱり遠いからな。それにあの船って奴はダメだ。人が乗るもんじゃねぇ」
船の乗り心地を思い出して身震いする。
「・・・・・・まぁ、機会があればな。元気でな。あまりいろんなことに首を突っ込むなよ」
「それはあなたの方ではないですか?」
「俺みたいな人間は一生懸命、神様に媚びを売らなきゃいけないから、やるしかないんだ」
自虐的に笑い、手を差し出す。ユリアもその手を取って握手する。
「じゃぁ、また」
「あぁ、またな」
「そうだ! ブルーさんのこれからのために、護符を授けましょう!」
「いや、それだけはいい。お前の護符を持ってるとロクな目に合わない気がする」
逃げるルーヴィックに「絶対に御利益がある」とユリアは追いかけた。
ルーヴィックとヘンリーはロンドン駅のホームにいた。対面ではなく、横に並んでだ。だからお互い顔を見ることなく正面の機関車に向いている。
ルーヴィックは手に持つ護符を眺めながらため息をついた。
「何ですか? やはりロンドンを離れるのが恋しいのですか?」
「言ってろ、ようやく離れられて清々してるぜ」
護符をポケットにしまい、隣のヘンリーを鼻で笑う。
「しかし、あなたは来る前よりも元気そうですよね」
寝不足が続いて死人のような顔をしてたが、久々にしっかり寝られたおかげで、あれだけ傷つけられたのに事件前よりも顔色がいい。体調もいい。
「もう少し、ゆっくりしていけばよろしいのに」
車いすに乗ったヘンリーは、おかしそうに笑いながらも、どこか名残惜しそうに話す。
「これ以上、ジメジメしたロンドンにいたらカビが生えちまう。それに、早くまともなメシにありつきたい」
「やはり野蛮人には文明と言う物が分かりませんでしたか」
しばしの沈黙。顔を向けることなく、ルーヴィックが無愛想に手を差し伸べ、それを苦笑しながらヘンリーが握手した。
「片付けなきゃならん仕事が山積みなんでな」
「無理をなさらず・・・・・・と言っても、無理をされるんでしょうね。手を貸して欲しいときは、言ってくださいね」
「お前にか? それはないな」
「何を仰るんですか。私たちはいいコンビでしたよ」
「冗談やめてくれ。お前は俺に災厄をもたらす疫病神だぜ」
「疫病神も神は神ですからね。頼ってもらって結構ですよ」
ヘラヘラするヘンリーを一瞥し、呆れながら首を振る。
「お前と会うのは、もうごめんだ」
「手紙書いてくださいね。私もたくさん送りますよ!」
列車に乗り込むルーヴィックにヘンリーは手を振りながら言う。それにルーヴィックは振り返ることなく中指を立て、車中へと消えた。
「面白い奴」「面白いお人だ」
図らずも二人は同時に呟いた。
白い水蒸気を上げ進む機関車。
ルーヴィックはヘンリーに見送られロンドンを出ると、窓の外を流れる風景を眺めながら、買ってあった酒の瓶から直接口を付けて一口飲んだ。
余韻を楽しむように大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと息を吐く。事件を片付けたときの至福の時間だった。この時だけは、これから取り組むことになるだろう事件のことは忘れられる。
ルーヴィックはもう一口飲んでから蓋を閉め、まぶたを閉じる。列車の振動と音を聞きながら、静かに眠りについた。
(終わり)
トリニティ~地獄編~ 檻墓戊辰 @orihaka-mogura
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