夜明け

aoiaoi

夜明け

 どんなに深い闇にも。

 少しずつ、光が射す。


 ——やがて、夜は必ず明ける。



 人々を隔てた憎むべき感染症は、人間の懸命な努力により抑え込まれつつある。


 あれから一年後の春。待ちわびたワクチンが完成した。



 僕は、街に飛び出した。

 これ以上、1秒も待ちきれずに。




 空が眩しかった。

 5月の明るい陽射しが降り注ぐ。

 街路樹の輝く若葉がさざめく街。

 すれ違うどの顔も、溢れるような笑顔に満ちている。



 こんな必死の形相をしているのは、きっと僕くらいだ。




 君に、会いたかった。

 愚かだった僕が、あの日ぞんざいに突き放した君に。



 この恐ろしい溝に隔てられ——

 孤独な時間の中、嫌という程教えられた。

 君が、僕にとってどれほど大切な存在だったか。



 思い出せる限りの場所を、ただ彷徨う。

 記憶の引き出しを、全部ひっくり返して。


 君と初めて出会ったカフェ。

 君と行った本屋。

 君がラベンダー色のスカートに見とれたショーウィンドウ。



 すぐに、見つかる気がしたんだ。

 そんなはずがないのに。




 強い陽射しが、次第にじりじりと僕を照りつける。



 あの日、激しい言い合いの末に背を向けた君が、まざまざと蘇る。

 君の住む場所も聞かぬまま、怒りに任せて君の連絡先を全部消したあの時の僕が、また軽薄に自分を嗤う。



 ——全部、お前がやったことだ。

 彼女は、お前に一度も連絡などしてこないじゃないか。

 今更何をやっている?


 気の済むまで、探せばいい。

 彼女はきっと、もうお前のことなど覚えてもいない。




 額に滲む汗を、手の甲で拭う。



 それでも——

 僕は、君を探す。


 君が、たとえ僕を覚えていなくても。

 君が、どんなに僕を嫌悪していても。



 僕を、許してほしい。


 そして。

 君に、伝えたい。


 君を、どれほど愛していたか。



 ——どれほど君を愛しているか。



 それだけでいいんだ。







 気づけば、今日は頭上から白いものが舞い落ちる。



 ——雪だ。



 嘘だろ?

 だって——一体何日経った?




 淡い灰色の空へ向け、僕は茫然と白い息を吐く。


 君の温かな笑顔が、無彩色の視界に不意に蘇る。




 ねえ。



 もう、君を諦めろ。

 これは、そういう意味なのかな。





 海へ行った。

 真冬の夕暮れの海。


 君が見たいと言った海。




 誰もいない砂浜。

 強い潮風の中に佇つ。



「ごめん」


 何度も、そう叫んだ。




 涙が溢れた。


 情けなく声が掠れて、風に吹き飛ばされる。





 さよなら。




 そう息を吸い込んだ瞬間。

 後ろから、声がした。




「——私ばっかりがあなたを好き過ぎたんだと思ったの」





 振り返ると——

 黒く華奢なコートのシルエットと、風に乱される栗色の長い髪。


 少しほっそりと大人びた君が、僕を見ていた。



「私も、ここへ叫びに来た。

 今日こそ、あなたをこの心から追い出したくて」





 伝えたい言葉が。

 全部喉に詰まって、一言も出てこない。




「————君を、抱きしめたい」




 ぐしょぐしょに泣いたまま、結局僕は馬鹿みたいにそう叫ぶ。

 へなへなと裏返るその声に、君はふっと微笑んだ。




 笑ったその瞳が、見る間にぶわりと膨らみ——

 大きく光る粒が、一気にぼろぼろと綺麗な頰を零れ落ちた。





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