もう一度彼女の隣に立つ為に
violet
もう一度彼女の隣に立つ為に
VTuberとは、某動画配信サービスで『アバター』と呼ばれる仮想キャラクターを表示し、そのアバターに声を当てて動画配信を行う人たちのことである。
配信者の表情や挙動を緻密に反映し、その上で声を当てる。だから視聴者はそのキャラクターが本当に実在し、意志を宿していると錯覚する。
仮想キャラクターは主にアニメ調のグラフィックであるから、視聴者は現実に存在しないような美男美女の配信を楽しめるのだ。
私と彼女は駆け出しのVTuberだった。
少ないファンからの応援にわずかな幸せを感じていた。
『いずれはファン100万人を超える大物VTuberになろうね』なんて言って私たちは励まし合っていた。
何度も彼女とコラボ配信をした。彼女には実際に会ったことはない。だからどんな容姿をしているのかも分からない。
でも画面上で私と彼女のアバターが並んで表示されているのを見ると、何だか本当に隣り合っているかのように錯覚した。
例えバーチャルであっても、彼女と私の距離は近いのだ。
やがて私たちは、それぞれのファンが10万人を超えた。その界隈に通ずる人たちからは、そこそこ知れ渡るほどに有名になった。
『あと10倍で100万人だね』なんて他愛もない冗談を言って笑い合う私たち。10倍という数値は途方もないけど、0をたった一つ追加するだけで目標の数値になる。そう考えると何だかあっという間な気がして、私たちのやる気を燃え上がらせた。
10万人に至るまで長い道のりだった。それだけの配信数をこなしたため、VTuberという仕事にもだいぶ慣れてきた。
今日も配信を行う。雑談のみの配信だ。
配信を開始すると、彼女からの応援チャットが流れた。特にルールを決めた訳でもなく、私と彼女はお互いの配信を必ず見ていた。そして必ず配信開始時にチャットを送信した。
私がVTuberに成り立ての頃は酷く緊張していた。でも彼女のチャットが流れると、多少は気が楽になった。勇気を分け与えてくれているのだと、私は思っている。私がチャットを行う時も『彼女の背中を少しでも押せたら』なんて考えながらチャットの送信ボタンを押していた。
そんな配信の最中、私は迂闊にも失言をしてしまった。その失言は、私が考えていたことよりもずっと致命的なものだった。
瞬く間に私の悪評がSNS全体に広がっていく。最早、私個人では収集を付けることが困難な状態となってしまった。
所謂、炎上というものだ。
私は謝罪動画を出した。しかしファンの数は見るみる減っていく。そしてその飛び火は、彼女にも降りかかっていた。
彼女に迷惑をかけてしまっている事実が、何よりも私を苦しめた。
私はVTuberを引退することになった。
VTuberから一般人となった私。
そんな私は今日も彼女の配信を見た。
『これからも頑張ってね』と私はチャットを送る。
チャットの横には、私のプライベート用アカウントのアイコンが表示されていた。VTuberを引退したから、そのアカウントは没収されていた。だから彼女はこのチャットを見ても、私だと気付くことはない。
引退後に彼女の配信へチャットを送るのは、これが初めてではなかった。彼女はすっかり人気のVTuberで、チャット欄は波の如く怒涛に流れていく。一般アカウントのチャットが私だと分かる筈もなく、当然のように彼女は反応しない。
彼女が私のチャットをスルーする度に、彼女との距離を実感した。もう私は彼女の隣に立つことはできない。彼女の背中を見守ることしかできないのだ。画面に映る彼女は近いようで遠い。
「うん、ありがとう。私、これからも頑張る! 目指せ100万人!」
今日は偶然にも、彼女が有象無象に紛れる私のチャットを見つけてくれた。
私は何だか、悲しいような嬉しいような、そんな気持ちになった。
もう一度彼女の隣に立ちたい。そんな気持ちが押し寄せてきた。
幸いにも私は、身元がバレるという最悪の事態は免れていた。だから私は全くの別人としてVTuberに復帰することにした。
異なるアバターを用意し、声色も変えた。私は過去の活動でも声色を変えていた。所謂、媚びた声色で視聴者を釣っていたのだ。だから別の声色を使うことには慣れていた。
今日、ようやく初配信となった。
私は配信前に彼女のアカウントを見た。登録者数は50万人を超えていた。私が所属している事務所の中では、トップレベルの数値だった。
着々と目標に向かって進んでいる彼女。一方で足踏みしてしまった私。彼女と私の差は大きく、隣に立つまでの道のりは険しい。
「皆さんこんにちは。初めまして」
配信が始まった。
私は思ったよりも緊張していた。昔はファンが10万人もいて、配信にも慣れていたのに。
私の新しいアバターは以前よりも見窄らしい。新しい声色も慣れてない感じが出てしまっている。
『以前の活動がバレてしまったら』なんて思うと、何を話せば良いか分からなくなる。
これでは彼女に追いつくことなんて出来ない。そんな焦りが緊張に繋がっているのだろう。
『頑張って!』
不意にそんなチャットが流れて、私は目で追った。初配信の私のチャット欄はやはり賑わっていない。だからそのチャットは目立っていた。
チャットの横のアイコンを見て、私は驚いた。
アイコンは彼女のものだった。彼女が私の配信を見ているのだ。
「うん」
私の発した声は、思いのほか軽かった。緊張が解れている。そう実感すると、自然と次の言葉が出てきた。
「私頑張る。目指せ100万人!」
そう言った私には、幻影が見えていた。
画面上には私と彼女のアバターが並んで映っている。
その彼女のアバターをそっと撫でた。
『私、本当に頑張るから』と心の中で呟く。
もう一度彼女の隣に立つ為に。
もう一度彼女の隣に立つ為に violet @violet_kk
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