第2話 別れの言葉

 その時点で、もう僕に勝ち目はないのかなと感じていた。僕に出来ることは戦略的撤退をよりよい形で行うことくらいなのだ、と思った。


「ええと、み…山瀬さん」


 見つめ合ったままの二人を正視できずに少し斜めを見ながら声をかけた。


「え?そうちゃ…?」

「父さんたちが近くのファミレスで待っているって。行けるかな?」

「え、あ、うん…大丈夫」


 みはるは一度僕の方を見てから、プリントの端と端をみはると持ち合った男子を名残惜しそうに見つめる。


「それじゃ、ええと」

「天ヶ谷、天ヶ谷徹。これからこのクラスで一年間、よろしくね」

「うん、私、山瀬みはる。よろしくお願いします。家族が待ってるので行くね」

「ああ、また明日」

「うん、また明日」


 その様子を平静に見ていられる訳もない僕は彼らの挨拶が終わるのを待たずに踵を返す。


「あ、待って」

「父さんたちを待たせるのも悪いし、急ぐよ」

「うん…」


 学校とマンションの中間くらいに位置するチェーン店のファミレスまでの五分ほど、普段ならみはるが話しかけてくるのを僕が茶化したり突っ込んだりしてあっという間に過ぎるような時間。でも今のみはるは押し黙ったままだった。


 何を考えているか、僕に判らないわけはない。彼女が言うべきことを彼女がいつ話すべきか、それを考えているはずだ。そして彼女は僕がそのことを察していることも判っているはずだ。


「そうちゃ…」

「このファミレスだな」

「え?あ、…いるねお父さんたち」

「入ろうか」

「…うん…」


 ドアを押して店内に入って、声をかけてくる店員に待ち合わせていることを伝えて両親たちのテーブルに合流する。店員が四人掛けのテーブルを2つ繋げてくれたので、僕とみはるで隅に向かい合わせて座った。


 店員が注文を取りにきたので、僕はブレンドを、みはるはオレンジジュースを注文した。


「お待たせ、父さん母さん。山瀬のおじさんおばさんも、わざわざありがとうございます」

「せっかくの入学式だしね。ちゃんとビデオカメラで撮っておいたよ」

「これからは離ればなれだからなかなか撮影出来ないもんね」

「もうこの歳なんだから、撮影とか勘弁してよ?」


 相変わらずの両親に、そろそろそういうのは勘弁して欲しいと伝える。まあどうせ母親の言うとおりもう撮影される機会はあまりないのだけど。もしくは、これが最後なのかもしれないけれど。


「二人とも制服は似合ってるわね。ピカピカの状態なのを撮れてよかったわ」

「ありがとうございます。でもうちの母も山瀬のおばさんも、撮ってたのはみはるなんじゃないですか?」

「颯太くんもちゃんと撮ってあるから安心していいよ」

「おじさんまで…」

「結婚式に流すビデオの素材として使えるかもしれないからね〜」

「勘弁してくださいよー」


 うち(高野家)と山瀬家の両親たち四人の認識はこんな感じで、僕たちがこのまま結婚することを疑っていない。それはまあそうだろう。僕たち自体もつい今朝まではそう振る舞っていたのだから。


 注文した飲み物が来たので、みはるの前に彼女が頼んだジュースを置く。


「………」

「みはる?顔色悪いんじゃない?」

「だ、大丈夫、だよ?」

「引っ越しと入学式で忙しくて疲れたのかな?」

「そうじゃないかと思いますよ。僕もちょっと疲れ気味ですし」

「あら、明日からも普通に学校なんだから、体休めておかないとね…」

「じゃあ、あまり長居せずに僕等は家に帰ろうかな?母さん。山瀬もね」

「そうだねえ。僕等も明日は仕事だし、早めに戻ろうか」


 うちの父親がテーブルに置かれた注文票を手に取り立ち上がると、三人もそれぞれ店を出る用意をし始めた。


「すみません、来てもらったのに」

「いいよ、ちょっとでも二人の顔を見られてよかったよ。また落ち着いた頃に顔を見に来るよ」

「はい。あ、おじさん、あれの件でもまた相談させてください」

「ああ、そうだね。それはぜひ」

「颯太は親の僕たちよりも山瀬と仲良しなのがなんだかねえ」

「趣味が共通なんだからしかたないだろ?」


 みはるは俯いて押し黙ったままだった。この場ではとても言うことは出来なかったのだろう。


「僕らはちょっとここでひと休みして行きます。まだ飲み終えてないですし。ね、みはる」

「う、うん…」

「それがいいよ。でもあまり遅くならないようにね。みはるの事、頼んだよ颯太くん」

「…そうですね。はい」


 両親たち四人が乗った山瀬家のワゴン車が駐車場から出て行くのが見える。うちの母と山瀬のおばさんが手を振っているのが見えたので、僕も軽く右手を上げておく。


「みはる、母さんたち帰っちゃうよ」

「…うん」

「そういう気分でもないか」

「!」

「じゃあ、話してくれないかな。帰り道からずっと僕に言いたかったこと」

「………」

「それとも部屋に帰ってからにするかい?僕の部屋に入る気があるのなら」

「…ここでいいよ」

「だろうね」


 僕はブレンドをすする。普段からブラックで飲んでいるのに今日のコーヒーはやけに苦い。


「そうちゃん」

「うん」

「今日で、別れてください」


 判っていたはずの言葉なのに、その言葉は僕の胸を強烈に抉る。


「理由を聞かせてくれるかい」

「…好きな人が出来た、の」

「誰だい」

「同じクラスの…『あまがやとおる』くん…」

「それは、さっき教室にいた人だよね。前から知っていて、好きだったってことかい?」

「違っ……さっき、初めて会った人…」


 そうなんだろうな。前から知っていて好きでいて、今朝まで僕と恋人の振りをしていたのだとしたらそれはそれできつい。


 大きくため息をつくと、みはるは怯えるように肩をすくませる。いや、ため息くらいつかせてくれよ。


「つまり、さっき初めて会った人を好きになったので、僕と別れたいって事なんだね」

「…そう。だって、そうちゃんと付き合ったままで、あの人に好きだなんて言えないから…」

「まあ、そりゃそうだな」

「ひと目見て、好きになったの。もう、止められない」

「彼の方がみはるの事をどう思っているかわからないよ?」


 まあ、見てたからわかるけどね…


「それでも、わたし…」

「僕との15年は、彼とのほんの数秒に負けたってことだね」

「…!」


 なんでそんな嫌味を言うの?と言いたい顔で睨まれる。これまでケンカして怒った顔とは違う、他人へ見せるような顔で。


「わかったよ、別れようか」


 こういう時に泣いて取り乱したり取り縋って翻意を求めるのは、僕のささやかな自尊心が許さなかった。


 ポーカーフェースを続ける僕は、がんばってるよね。

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