語部さんは論破したい。

笹煮色

不幸にも偶然だった悲劇

『語部南は銃口を睨み、澄んだ声でテロリストへとこう言い放った――』




 平凡な夏の日――強いて言うのであれば夏休みが2週間後に迫った、学生たちにとっては浮足立つ時期ではあるが――に似つかわしくない程荒れた教室には、36人の高校生と2人の大人が立っていた。

 正確には高校生の中に数名ほど腰が抜けて座っている生徒は居たものの、ほとんどの生徒が授業中にも拘らず立ち上がっているのには訳があった。


「全員おとなしく、教室の隅で固まって両手を頭の後ろに回してください」


 テロリストらしからぬ朗らかな指示に、生徒たちの強張った雰囲気が一瞬緩む。

 しかし続けて教室に響いたのは今時テレビでしか聞かないような破裂音と、それに少し遅れて大人が崩れ落ちる音だった。


「ほら、みんなもこの先生みたくなりたくないでしょ? ゆっくりでいいから指示を聞いてね?」


 目出し帽に隠された表情は読み取ることが出来ないが、それでも人一人殺して尚ヘラヘラとした軽薄な声を上げるテロリストに、誰一人として逆らう者はいない。


 いつだったか、昭和のドラマで似た情景を映していた事があった。一人の女性が金切り声を上げ、テロリストが怒りを露わにするシーンだ。

 しかしそんな記憶とは裏腹に、普段授業中ですら騒ぐ運動部員たちも静かなまま従うだけだった。


「一つだけ聞いてもいいですか?」


 教室に小さな、しかしそれでいて確かに聞き取れる不思議な強さを持った声が響く。

 誰もがその行動を一瞬理解出来ず、呆けたように口を開けて声の主を探した。


「何が目的なんでしょう。お金だったら銀行へ行けばいいし、人数が多く扱い辛いこの高校に来たのには理由があるのでしょうか」

「……あー、その前にこっちから一つ質問。お嬢さんは何者?」


 勝手に質問の内容を次々と話す女生徒に、遂にテロリストが反応を示す。


「初めまして、語部南と申します。このクラスの生徒で、図書委員を務めています」

「……なるほど、周りの皆に聞きたいんだけど、彼女っていつも”こう”なの?」


 テロリストが周囲へと問いかけると、教室の隅へと寄せられた生徒たちはブンブンと音が出るほど首を横に振った。

 その反応も無理からぬことで、中には初めて彼女の声を聞いたという者まで居たのだ。


「そっか……まぁ質問には答えてあげるけどさ」

「ありがとございます。それではどうしてこの高校を選んだのですか?」


 この質問には周りで見ているだけの生徒たちも耳を向けざるを得なかった。

 自分たちがどうしてこんな理不尽な状況に陥っているのか、そして何故先生は今日死ななくてはいけなかったのか。

 決して希望には成り得ないが、今この状況に陥った原因を知る事で、それならば仕方なかったという諦めを得たかったのだ。

 しかし悲劇は必ずしも原因によって成り立つ訳ではない。


「それはね、特に考えてないんだ。ただ毎日毎日会社に行って、コンビニ飯食って、家でダニだらけの布団に倒れこんで寝る。そんな毎日が変わればいいなって」


 再度ヘラヘラと軽薄そうな声で話す姿を見て、ただただ絶望だけが残った。

 学生である彼ら彼女らがたった今ここで死の危険と隣り合わせでいる事は、何らかの原因が起こした結果でも無ければ、何らかの大事の火種となる出来事でも無かったのだ。

 彼らは齢17にして悟らされることになった。人の命に価値があるかは、その命を奪う者だけが決められるという事を。

 そして自分たちの命に価値を決めるのは、目の前に居る狂った一般人であるのだろうと。


「というか、この状況で質問する子とか真っ先にこうしちゃいたいんだけど、一発どうだい?」


 そう言うとテロリストはその手に持った銃を語部南へと向ける。


「いいんですか? 刑法72条第1項、殺人罪は未遂でも人数によって処罰の重さが変わる……まさか知らずにこんな事してる訳じゃないですよね?」

「あー、丁度いい事にそういう頭良いこと言う奴、僕大っ嫌いなんだよね」

「そうですか、それは大変申し訳ありませんでした。ですがもう一度だけ聞きますね。本当に”いいんですか?”」

「……何がいいたいの?」


 明らかに立場が違うはずの二人の間に、不気味な気配が漂い始める。

 引き金を引けば生意気な一人の少女は為す術もなくこの世を去る事になるだろう。

 しかしここで話を聞かずに殺してしまってもいいものか、そんな凌巡が男の頭の中では巻き起こっていた。


「その銃、小型で大変持ち運びやすいですよね。現代日本でも合法であることにこだわらなければ簡単に手に入る型です」

「だからどうしたの? 威力はさっき君たちの先生が身をもって体感してたはずだけど?」

「まだ分からないんですか? その銃、GN70は2発までしか装填出来ない筈ですよね?」

「だからさっきの弾と君に撃つ弾で……!」


 そう、目の前にいる彼女を無力化するどころか、その命さえ奪えることに何も問題は無い。

 だがしかし、この教室に残っているのは銃を持つ自分と彼女だけではない。

 そしてそのことに彼自身が気付いたのと同様に、今の問答を聞いていた背後に集まる”彼ら”も知ってしまったのだ。

 語部南が放った言葉はテロリストである男を歯牙にも掛けず通り過ぎ、その後ろに居る体力自慢の運動部員たちを奮起させた。


「どうでしょう、あなたが望んだ非日常はこれで満足でしょうか? 最後に私の首も持って行ってください。それで満足できるのでしたら是非」


 嘲笑うでもなく、勝利を確信するでもなく、語部南はただ事実をあるがままに伝えるだけだった。

 しかし、だからこそ彼は撃つことが出来ない。油断も隙も見せない彼女の言葉が正しいと分かっているからこそ、ここで全てを終わらせる度胸など彼には無かった。

 毎日の残業と戦い、自分にはまだ隠された真の実力があるなどと毎日自分を慰め続けた彼は一人の女子高生に完敗し、その事実を受け止めるとともに銃口を傾け――自身の頭を最後に残った銃弾で撃ち抜いた。




「はい、論破……ですね」

「何が論破だ馬鹿野郎。授業中の落書き罪で連行だ。この後すぐに職員室な」


 授業の終わりを告げるチャイムと共に、語部南は妄想の世界から現実へと舞い戻ってきた。

 ”舞い”戻ってきたというには教師からの叱咤がほんの少しだけ邪魔だったが、それでも彼女はめげない。もはや習慣化されたこの流れに安心感すら感じている程だ。


「南、ほんとに懲りないよねー」

「懲りないというのは正確じゃないね。私は論破欲を満たしたいという行動理念のもとに動いているのだから、むしろ毎回ゴールインしているまであるよ」

「あーハイハイ、論破論破。論破されましたー」


 クラスメイトにとってはすっかり見慣れた日常であり、これが無ければ現代文の授業が終わった気すらしない。


「にしてもなんで現代文だけいつも”こう”な訳? 南は現代文むしろ大得意でしょーに」

「別に、たまたま現代文の時に多いってだけでしょ? それより私すぐ職員室行かなきゃだから」

「毎度毎度しっかりと呼び出しには応じるのがまた……ん? 南もしかして――」




 語部南には夢があった。


 幼い頃から読書に明け暮れ国語の成績では負けなし、語学力においては右に出るもの無しの文学少女であった南は、この高校に入り始めて”論破される”という経験をした。

 小論文。彼女が最も得意とする論理的な思考とその言語化能力を測られるその課題で、彼女はとある国語教師に大敗を喫した。


「どうでしょうか! 今回の論破には自信があるんですが!」

「全然ダメ。テロリストが馬鹿すぎるし、刑法72条の内容違うし、GN70は俺愛用の鼻毛カッターだ。あと俺セリフも無しで殺されてんじゃねーか」

「もー! 細かい事気にしてるから先生は結婚できないんですよ!」

「俺にはまだ結婚適齢期が来てないだけだ!」


 いつかあの日の大敗をひっくり返し、この国語教師が泣いて反省し、語部南を崇拝するようになり、彼女に結婚を申し込んでくるその日を迎える為にも――


 ――語部さんは論破したい。





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語部さんは論破したい。 笹煮色 @Sasanisiki0716

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