かたつむり

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

 

 大きなあおいレンズのように

 静かな海がひろがっています

 南の海がひろがっています

 

 珊瑚礁さんごしょうの上にわずかな土を盛り、いくつかの森と砂糖黍畑さとうきびばたけ、そして、石垣で出来た村を置くと、小さな島がひとつできあがります。

 浜辺をみがく波の音と、木樹きぎの上をでてゆく季節風の音しかきこえません。雨がすこし降るので川はありますが、流れの音もきこえないほど小さなものです。

 気がつかないうちに、春から夏になっています。そして、いつのまにか、秋から冬になっています。一年中暖かいので、しばらくいると季節を忘れてしまうのです。

 そんな南の小島のひとつに、半年ばかり居たことがありました。

 物語をつくることが、僕の仕事でした。海の物語です。

 海には物語がたくさんあります。無人島の探検、沈没船の宝物、海賊との戦い、美しい人魚との恋……ワクワクするような楽しい物語も、やさしく心をいやしてくれる哀しい物語もあります。そんな物語や物語の材料を、世界中から集まった僕の仲間たちは海の中や浜辺から探しだしてくるのでした。

 浜辺で拾った物語の材料を、僕はもって帰りました。荷物にならないほど小さなものです。今でも部屋に置いてあります。二つの巻貝の貝殻です。

 それらの貝殻は薄く透き通っていて、朝日にあてるとミルク色になり、昼なかには石英せきえいのように輝いて見え、夕日をあびるとルビー色に染まるのです。実を言うと、それらは二つとも海にむ貝ではなく、かたつむりの殻なのです。

 息を吹きかけたガラス窓のように空がくもり、ち葉がみちの表面をあらく埋めてしまうころ、僕は、その殻を耳にあてます。すると、南の海を吹く暖かそうな風の音とともに誰もひろわなかったちっぽけな物語が聞こえてくるのです。

 僕は、その綺麗きれいな殻のひとつを、浜辺で出会ったヤドカリにもらいました。

 南の島の浜辺は、珊瑚のかけらと小さな貝殻で出来ています。ただ歩いているだけでは白い砂のようにしかみえません。しかし、目を近づけてよく見ると、砂のように見えるものは、実は、さまざまな色の細かい貝殻と珊瑚さんごの粒なのです。歩くと、サクサクと音がします。

「おい、そこの人間くん」

 夕暮れの少し前でした。下を向くと、一匹の小さなヤドカリが僕を見上げていました。ヤドカリは美しい貝殻を背負っていました。その貝殻は、セルロイド細工のように、ぼんやりと光ってみえるのでした。

「人間にも、ココロがあるのかい?」

 ココロ……心のことでしょうか。

「そりゃ、人間にもあるさ」

「ほう、それでは、君のは素直で美しいココロか、それとも、ひねくれたみにくいココロか?」

「何とも言えないね。素直な時もあれば、ひねくれている時もある」

 ヤドカリは、がっかりしたような素振そぶりをみせました。そして、海のほうへ帰ろうとしました。

 僕は、悪いことをしたなと思いました。このヤドカリは、何か相談したいことがあって、親切で優しくて素直な人をさがしていたのに違いない。そうだとすると、今の僕のことばは、すこし理屈りくつっぽかったんじゃないだろうか。

 僕はしゃがんで、去っていこうとするヤドカリに顔を近づけました。ヤドカリは、僕の気配けはいに気付いたらしく、立ち止まって振り向きました。

「人間くん、いまは、どっちだい? 素直なほうのココロかい? それとも……」

「こんな綺麗な浜辺にいるんだ。誰だって素直になるさ」

「それはそうだ。君は、たぶん、やさしい人間なんだね。でなきゃ、おいらと話が出来るわけがない」

 僕は、そのころ、本当はひねくれていたのかもしれません。少なくとも、素直ではなかったようなのです。仲間たちは皆、美しい物語や、楽しい物語をつくっているのに、僕ときたら、ひとつの物語もつくれないでいるのでした。

「素直で、やさしくて、たくさんのかなしさを知っているくせに、いつも笑顔でいる人間。そんな人間だけが、すばらしい物語を発見し、つくることができる」

 物語のつくり方を教える学校があります。そこの教授が、講義のなかで言っていたことです。僕は、その学校を、あと一年で卒業することになっていました。でも、まだ一つの物語もつくり出せずにいたのです。僕は、素直でもなく、やさしくもなく、ほんの少ししかかなしさを知らないくせに、いつもかなしげな顔をしていました。そして、自分が物語をつくれないのは、そんな心のせいだと思っていました。だから、ヤドカリが「やさしい人間」と言ってくれたことは、僕にはとてもうれしいことだったのです。

「頼みがあるんだ」

 僕は、どんな頼みでもきいてあげようと思いました。ただし、僕に出来ることなら。

「たいした用事じゃないんだよ。おいらが背負っている貝殻なんだが、こいつは、もう小さすぎて窮屈きゅうくつでしようがないんだ。頼みというのは、こいつを向こうの森まで届けて欲しいってことなんだ」

「森まで? おやすい御用だ。でも、誰のところへ届ければいいの?」

「陸にも貝の仲間がいるんだってね。君は聞いたことがあるか? マイマイとかカタツムリとかいうんだそうだ」

「カタツムリなら知っている」

「おいらが背負っているのは、そのカタツムリの殻なんだよ」

 僕はびっくりしました。ヤドカリの背負っている殻はカタツムリのものにしては白すぎるのです。

「この殻を、森に棲むカタツムリの娘に渡してほしいんだ」

 ヤドカリがカタツムリの殻を背負っている。それは不思議でした。何か事情がありそうです。

「何かわけがありそうだね。よかったら、きかせてくれないか」

「うん。でもその前に、少し時間をくれよ。おいら、新しい家をさがしてくるから」

 ヤドカリは、一旦いったん、波の中に消えました。僕はしばらくの間、海岸に座って待っていました。

 空の色は紅くなり始めていました。小さな波が無数に立っています。まるで、波が海を揺らして空の色を水に溶かそうとしているかのようでした。

 僕は、夕暮れ間近まぢかの海をながめるのが好きでした。それに、遠くの島から流れ着いた椰子やしの実とか、手のひらにあまるくらい大きい子安貝こやすがいとか、そんな物語の材料を拾えたらいいなという期待もあって、毎日、浜辺に来ていたのです。

 あと三十分もすると、海はすっかりくれないに染まるはずです。

 ヤドカリが新しい巻貝の殻を背負せおい、はさみの先でカタツムリの殻を押しながらもどってきました。「いままでの家にくらべると、ちょっと重いや。カタツムリの殻ってやつは、ずいぶんと軽かったんだね」

 僕は、早く話をききたいと思いました。

「さて……」

 ヤドカリは、話し始めました。

 

……からだが少し大きくなったので、おいらは新しい棲家すみかをさがしていた。

 海のなかで砂に埋まっている貝殻を堀り出そうとしていた時だ。ふと見上げると、天井から石ころみたいなものが降ってくる。そいつは、ぼんやりと輝いていた。そいつはただ、海の上の光を散らしながら降りてくるだけなのかもしれなかった。大粒の真珠かもしれないと思った。そいつは、ゆっくりと、おいらの目の前に落ちてきた。よくみると、巻貝のようだった。

『おまえは、貝の仲間かい? 何という貝だい?』

『カタツムリというんだ。貝の仲間かもしれない。陸にんでいる』

 そいつは、苦しそうに言うのだった。

『陸に棲む貝だって?』

『そうだ。僕らは、海の中では生きていけないらしい。塩水は重苦おもくるしくて、ぼくにはえられない』

 海で暮らせない貝がいるなんて、おいらには信じられなかった。

『ところで、ぼくの殻は、白くなっただろうか。何回も塩水で洗ったんだ。海の貝のように綺麗きれいになっているかな?』

『白と云うよりは、真珠の色だ』

『真珠って何?』

『海の宝物さ』

 おいらは、そいつの貝殻を見ながらこたえた。

『君は貝の仲間じゃないようだね。カニのような感じだ』

『そうだ、おいらはヤドカリという。背負っている貝殻は、おいらの棲家すみかに借りているだけさ。いま、新しいのをさがしているんだ』

『そうか、それなら、ぼくの殻を君にあげるよ』

『おまえの殻は軽そうだし綺麗だから、もらえるものならもらいたいけど、おまえはどうするんだ。殻がないと困るだろう』

『ぼくは、もうじき死ぬよ。海の中じゃ、食べるものもない。君にぼくの殻をあげるよ。そのかわり、お願いがある。君が次の家に引っ越す時に、いらなくなった僕の殻を浜辺の向こうにある森まで届けてほしい。そこに、僕の恋人が居るんだ。彼女に、僕の形見かたみだといって届けてほしい』

 そいつが、あんまり哀しそうに言うから、おいらはそいつの願いをきくことにした。

『おまえは、どうして海に入ったの?』

『自分の殻を洗っていて、波にさらわれたのさ。ぼくは、自分の殻を綺麗にしようと思った。あの浜辺の貝たちのように、真っ白か、細かい紅や碧をちりばめたような輝く色にしようと思った。海の水は殻をみがくんだろう。だから、浜辺の貝たちは、皆、美しくなるんだろうね。ぼくは海辺の貝たちと同じように海の水で殻を洗ったんだ』

『そうしているうちに、おまえは波にさらわれて陸に帰れなくなった』

『そうだ。僕はバカなことをした。あのにも二度と会えなくなってしまった』

 そう言って、カタツムリは目を閉じた。

 おいらはカタツムリとの約束をたしたいと思っている……


 ヤドカリの話は終わりました。

「じゃ、頼んだよ。むこうの森まで」

 ヤドカリは、海に向かいました。そして、波ぎわでふり向くと、はさみを大きく振りました。

「しっかり届けてやってくれ。やさしい人間君」

 僕は、カタツムリの殻を拾い上げました。目の前にかざすと、紅い陽の光がその中で、ほんの少しうずを巻いています。半分透きとおった薄い貝殻。それは、かぎりなくなつかしい色でした。たまらなく哀しいかたちでした。

 浜辺からちょっと歩くだけで、小さな森に入ることができます。

 なにか大きな動物が通ったあとのように、木々が荒れていました。

 僕はカタツムリの貝殻を握り、どんどんと森の奥へ行こうとしました。

「蛇に気をつけろよ。この島の蛇は強い毒をもっている」

 忠告してくれたのは、大きな芭蕉ばしょうの木でした。

「どこへ行くんだい?」

「この殻を届けに、カタツムリのところへ行くんです」

 僕は、殻を芭蕉の葉の上に載せて言いました。

「カタツムリだって? それなら無駄むだだ。この前、大きな風が吹いた。その時、カタツムリたちは、皆、飛ばされてしまった。この森には、もう、一匹のカタツムリもいない」

 僕は困りました。

 僕は、殻をカタツムリの娘に渡す約束をしてしまったことを、芭蕉の木に話しました。

「その娘なら、多分、わしの知っているだろう。わしの上にのっかって、いつも浜辺を眺めていたからね」

 芭蕉はカタツムリのことを語りはじめました。

「はじめは、二匹だった。仲が良かったな。いつからか、一匹になってしまった」

 途中からいなくなったカタツムリは、おそらく、波にさらわれたあのカタツムリでしょう。

「なぜ一匹だけいなくなったんでしょう?」

 僕は、きいてみました。

……一匹がいなくなる前の日だった。二匹はいつものように浜辺を見ていたんだが、娘の方が、『きれい』と言った。

『わたしたちも、あんなふうに白く輝いていたらいいわね。同じようなかたちをしているのに、どうして私たちだけ、こんなへんてこな色なのかしら』

 もう一匹は黙っていたが、しばらくしてから応えた。

『きみは、ぼくが、あんなふうに綺麗だったらいいと思うかい?』

 二人は浜辺の巻貝たちをみていたらしい。

『でも、あんなふうになるには、毎日、塩辛い水で殻を洗わなければならないんですって』

 二匹の話は、そこで途切とぎれた。次にここに来た時は一匹しかいなかったよ……

 芭蕉の木は、「もうカタツムリには会えない」ともう一度言いました。

「なにしろ、強い風だったんでね、さっきも言ったように、一匹のカタツムリも、この森には居ないんだ」

 台風が来たのでした。

「この殻は、どうしたらいいんでしょう?」

「きみが持っていたらいい」

 僕は、森を出ました。

 

 掌の上の薄く軽いカタツムリの殻を眺めながら、僕は歩いていました。そして、浜のはずれに借りてあった家に帰るまで、思い続けていました。

 僕は、きっと、ちっぽけな物語の材料を拾ったんだ。その材料からは、ちっぽけな物語しかつくれない。それは、いつまでも消えてほしくないような立派な物語ではなく、消えたほうがすっきりするような、ちっぽけな物語。

「今日、海の底で、妙なものを拾ったよ」

 海岸から少し陸に入ったところに、僕は家を借りていました。そこに帰ると、友人が待っていました。彼は海に潜るのが好きなのです。その日も一日、海に潜って遊んでいたのでしょう。

 彼が広げた掌を見て、僕は驚きました。

「カタツムリ?」

 それはカタツムリの殻だったのです。僕が持って帰ったものより、少し小さいのでした。その殻も、透き通るほど薄いのです。

「台風にとばされて、海に落ちたんだろう」

 

 友人はそう言いました。

 そうでしょうか? 風にとばされたのでしょうか?

 僕は、友人が拾ってきたもうひとつの殻が、あのカタツムリの娘のものではないかと思いました。

 彼女は、波にさらわれた恋人を追いかけて、自分で海に入って行ったのではないだろうか。そんなふうに思ったのです。

                           (おわり)

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