帝の求婚

 さて、哀れな求婚者たちの噂は京中に広がり、とうとう帝の耳に入ることとなる。今上の帝は歴代天皇の中でも抜きん出て無能なことで有名であり、毎日美女の尻ばかり追いかけまわして政には目もくれぬ。国が疲弊しているのも、七割方この帝が原因であった。


「何? 竹林に絶世の美女だと? それは是非とも宮廷に召し抱えて側室にしたい」


 曲がりなりにも帝であるから、まさか自分からかぐや姫に会いにいくわけにはいかない。まずは使いとして内侍ないし中臣房子なかとみのふさこを派遣した。


 彼女は翁に「かぐや姫をこちらへ来させろ」と迫ったが、翁は「かぐや姫は会いたがっていない。お引き取り願おう」の一点張りである。なだめてもすかしても翁の態度は変わらず、結局彼女はすごすごと引き返すことになる。


 説得失敗の報告を受けた帝は、「まあ美女なんて腐るほどいるし?」と一旦は諦めた。しかし、かぐや姫の美しさについての噂は広まる一方である。行幸のたびにどこかしらで「かぐや姫」の名が囁かれているのが聞こえるのだ。帝は、やはり会ってみたいという欲求を抑えきれなくなってきた。


 そこで、今度は使いを送るのではなく翁を直接呼びつけて官位で釣ることにした。再び房子を送り、今度は「今すぐ朝廷まで参上しないと屋敷ごと燃やす」と脅しつけた。さすがの翁も屋敷を燃やされるのは嫌だったので、おとなしく房子とともに京へと旅立ったのである。


讃岐造さぬきのみやつこ、ただいままかり越しました」


「ご苦労。さて、話というのは他でもない、お主が育てたとかいう美しい姫のことじゃ。姫を差し出せば官位をやろう。従七位ぐらいでどうじゃ? 破格の条件だと思うが」


 翁はカチンときた。手塩にかけて育てたかわいい娘をいきなり「差し出せ」と迫るその横暴。帝であるから偉そうなのは当然のことだが、それが我慢ならなかったのだ。首を振り、深々と頭を下げた。


「ありがたきお言葉ですが、謹んで辞退させていただきたく……」


 下々の者にとって官位を与えられるというのは無条件に嬉しいことだと思っていた(事実、これまでに官位を与えた人間は皆平伏して嬉しがっていた)ので、帝は非常に驚いた。このような平民に官位を与えるというだけでも異例の事態であるというのに、この老人はそれを断ろうとしているのだ。


(さては、もっと上の官位が欲しいのだな。欲張りさんめ)


 帝がそう勘違いするのも、無理からぬ話であった。


「なんと、足りぬとな? では正五位ほどがよいか。好きな官位を申してみよ、従二位以下ならば望むまま取りなしてやろう」


「いえいえ、官位の高い低いではございませぬ。なにぶん、老い先短い身でありますゆえ……身に余る官位をいただいたとて、棺には持ち込めませぬから」


 翁の決意は変わらない。なにしろ目の中に入れても痛くないほどかわいい我が子である。「一目会わせろ」ならば話は違ったかもしれないが、「差し出せ」と言われて「ハイそうですか」と差し出すことなどできるはずもなかった。


 帝はしばらくこの頑固者をどうしてやろうか考えていたが、やがて懐柔は無理だと悟った。ならば脅すしかない。


「では、兎にも角にも一度その姫の姿を我が目に入れよ。それさえもできぬというなら今ここで貴様の素っ首切り落としてやる」


 翁はしばらく考えていたが、やがて「会うだけなら……」と頷いた。


「ただし、かぐや姫は屋敷を離れたがりません。どうかそちらからお越しください。それから、あの子を召し抱えるのは彼女が承諾した場合のみにしていただきたい」


「よいよい、そうしてやろう」


 帝は内心ほくそ笑んでいた。宮廷に召し抱えてやると言われて断る女がいるものか。断られても牛車に連れ込んであんなことやこんなことしてしまえばなんとかなるだろう。


 そして翁を一足先に屋敷まで返し、帝は準備を整えた。少し遠くの竹林まで狩りに行くという名目でぞろぞろと従者を引き連れ、牛車に乗った帝は一路屋敷を目指す。従者たちは、普段の狩りとは様子が違うことから「さては、とうとう噂のかぐや姫に会いに行くのだ」と囁き合った。


 竹林の中の屋敷に到着した帝はずかずかと室内に土足で踏み込んで、混乱している従者たちを見渡して尋ねた。


「かぐや姫は何処か」


「一番奥の座敷にいらっしゃいます」それが今上の帝であると知った女房の一人が、慌てて平伏しながら言う。それを聞くなり、帝は女房には目もくれずにまっすぐ突き進んだ。


 もっとも奥の座敷の前では、翁と嫗が平伏して帝を待っていた。


「かぐや姫はこの先です。どうか乱暴などはなさらぬよう……」


「わかっておるわ」


 帝は障子をスパァンッッッと開け放った。


 その瞬間、座敷から目も眩むような光が放射された。もちろんこれは比喩である。かぐや姫の姿を目にした帝の脳が、あまりにいっぺんに入ってきた情報に対して処理を拒否したのだ。


 思わず下を向いた帝がもう一度顔を上げたとき、そこにいたのは適切な形容詞さえ見つからぬ絶世の美女であった。その美しさたるや、帝が以前目にした「みろのびいなす」がただの石塊に思えるほどである。焚きしめた香の馥郁ふくいくたる香気も、十二単の春めいた配色も、すべてがかぐや姫の美しさの前では引き立て役として心許ない。


「Wow, what a beautiful girl......」


 思わずネイティブになってしまった帝は、はっと我に返ってかぐや姫へとにじり寄った。


「そなたがかぐや姫で間違いないな」


「ええ。帝様でございますね」


 その鈴を転がすような声! 帝の耳からとろけるような幸福が脳内に流れ込み、全身を駆け巡った。(目の前にいるのはきっとこの世の者ではない)帝はそう直感した。すべてが人間には成し得ぬ完璧な調和、まさしく美のイデアである。


「そなたの美しさは京に轟いておる。そなたを宮廷で召し抱えたい。側室、いや、今の后なんぞ側室にしてそなたを正室にしてもよいと思っている」


 帝はかぐや姫の後ろに回り、そっと抱きかかえて牛車に乗せてしまおうとした。


(私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった)


 しかし、どうしたことだろうか。帝がかぐや姫に触れようとしたその瞬間、かぐや姫の身体は眩い光と化して実体をなくしてしまったのだ。触れようとしても触れられぬ。帝の手は光り輝く空中を虚しく掴むばかりである。


「申し訳ありませんが、お仕えするつもりはございません。どうかお引き取りください」


 帝がかぐや姫の側を離れると、かぐや姫の身体はふっと実体を取り戻した。悔しくなってにじり寄れば、また光となる。これでは連れていくことさえ叶わぬ。


 帝は部屋を出て、翁を問い詰めた。


「貴様、どうしてかぐや姫があのような光になると私に言わなかった。まるでピカピカの実の能力者ではないか。あれでは召し抱えることができぬ、どうにかせい」


「はて、何のことやら。どうにかと言われましても、あれを見たということはあなた様が乱暴を働こうとした証ではありませんか。我々は、たとえ打ち首になろうとも、かぐや姫の意に沿わぬことを強要はいたしませぬ。あれは大切な我が子でございます」翁と嫗は揃って頭を下げた。


 その場で二人を斬り捨ててやろうかとも思ったが、そんなことをしてしまってはかぐや姫を手にいれる望みが絶たれてしまう。まだチャンスはあるはずだ。帝は自分に言い聞かせ、その場は一旦退くことにした。


 そして京から屋敷へ様々な物品、手紙、金、その他諸々を贈りまくってかぐや姫の気を惹く作戦に出た。しかし翁たちは特にお金には困ってはおらず、したがってかぐや姫は一切なびかなかった。


 送れども送れども返事が来ないので、業を煮やした帝は


  君からの返事がこない

  どうしよう

  屋敷を燃やしてしまおうかなあ


と思いを込めた和歌を送った。すると


  マジやめて

  ほんとにやめて

  ふざけんな

  冗談は顔だけにしてよね 


と流麗な平安仮名文字で書かれた返歌が送られてきた。帝は「返事が来た」と狂喜乱舞し、また


  次からも返事ください

  来なければ竹林全部燃やしちゃうから


と書き送った。こうしてかぐや姫と帝の文通が始まったが、かぐや姫からの返事が一行を超えることはなかった。


「かわいいね」

「ありがとうございます」

「どこ住み?」

「竹林の中の屋敷です」

「てか『らゐん』やってる?」

「やってないです(嘘)」


 そんなことをしているうちに、いつしか三年の月日が流れていた。帝をあしらいながら優雅に暮らすかぐや姫に、とある変化が起きたのもこの頃であった。

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