最終話 その、よろしくお願いします

 翌日の朝は、僕の心情を表すかのように、灰色の雲が立ち込め、外はどんよりとしていた。昨日みたいに雨は降っていないものの、中途半端な天気だなと感じずにはいられない。

「元気ないな、透。昨日、何かあったか?」

 心配をしたのか、横で歩く直人が声をかけてくる。

「いや、特に何でもないよ」

「本当か?」

「気のせいだって」

「昨日の用事と何か関係あるのか?」

 尋ねてくる直人に対して、戸惑ってしまう僕。思わずうなずきたくなるけど、それはさすがにできない。

 僕は不意に、直人の隣りにいるみゆりへ視線を投げかける。

 一方でみゆりも、会話を聞いていたらしい。目が合ってしまった。

 みゆりはすぐに瞳を逸らすと、おもむろに口を動かす。

「お兄ちゃん。透先輩は慣れない小説を書くのに疲れてるのかもしれません」

「ああ、小説か。もしかしてだけどさ、昨日の用事もそれ絡みか?」

「まあ、うん」

 詳しい内容は何も思いつかなかったので、僕はぼかした形で答えた。みゆりはかぶりを振る仕草をする。多分、「もっといい答え方はないんですか」と文句をぶつけたいのかもしれない。

 と、僕のスマホが震えたので、手に取ってみれば、SNSアプリの通知だった。

「あっ……」

「どうしたんだ?」

「いや、別に、何でもないよ」

 僕は誤魔化した返事をすると、スマホの画面に映るメッセージを見続ける。

「学校前の信号から現れますので、よろしくお願いします」

 市ヶ谷からのご丁寧な予告だった。問題の場所はもうすぐで、僕は上手く立ち回らないといけないのかもしれない。

 といっても、変に市ヶ谷が現れることを気にし過ぎると、直人やみゆりに不審がられる。

 不意に、僕の袖を引っ張られる感触があったので、振り返れば、みゆりがいた。いつの間にか、後ろに回り込んでいたらしい。

「昨日は何かありましたか?」

「いや、特に何もないよ」

 僕は小声で問いかけてくるみゆりに対して、ウソを重ね続けた。市ヶ谷が家にやってきたなんて話せば、みゆりは僕を忌み嫌うに違いない。ストーキングしていた相手と会ったことに対して、納得をしてくれないはずで。

「おはようございます」

 斜め前から、聞き覚えがある声が聞こえ、僕が顔を移せば。

 僕らの方へ歩み寄り、お辞儀をする市ヶ谷の姿が視界に映った。

 みゆりは目をやるなり、すかさず、僕に疑わしげな瞳を動かしてくる。

 僕はすかさず、何回も首を横に振る。焦ってやったせいか、みゆりの眼差しは先ほどより厳しくなる。

 一方で直人は、首を傾げつつも、「お、おう」と戸惑いを滲ませつつも、挨拶を返す。

「恵比寿さん、いつもお兄様とそのご親友と登校しているのですね」

「なあ、みゆり。この子は?」

 直人が妹に問いかける。

 対してみゆりは、黙りこくったまま。というか、さりげなく、僕の後ろに隠れている。

「クラスメイトの友達、らしいけど」

「そうなのか?」

 直人は驚いたような表情で、僕の後ろにいるみゆりを覗き込み、尋ねる。

 瞬間、僕は背中を思いっきり強くつねられた。

「痛い!」

「どうしたんだ?」

「いや、その何も……」

 僕は大丈夫そうな素振りを示しつつ、頬を膨らませ、顔を逸らすみゆりを見る。

 やっぱりというより、いきなり、「クラスメイトの友達」と紹介をするのはまずかったのか。

 だが、市ヶ谷は僕の苦労を気にしないといった感じで、みゆりの前まで近づく。

「恵比寿さん。わたしたち友達なんですから、これからも学校の行き帰りは一緒にしてもいいと思いますよ」

「わたしは、別に、友達だからといって、そこまでする必要はないと思っています」

「それじゃあ、友達は学校の中だけでしか話さないという仲になるんですか?」

「それは……」

 市ヶ谷の質問に、みゆりは答えを窮してしまう。

「あのう、すみません」

「あなたは、恵比寿さんのお兄様のご親友でしたよね?」

 いかにも初対面といったような対応に、僕はその演技力で、昨日は夢かと感じそうになった。

「まあ、そうですけど」

「そういえば、申し遅れました。わたし、恵比寿さんのクラスメイトで友達の市ヶ谷瑞奈と言います」

 再びお辞儀をする市ヶ谷に、僕と直人は自分の苗字をそれぞれ名乗る。僕の方はもう、知られてるけど。

「わたしはただ、お友達の恵比寿さんと一緒に登下校したいだけなんです」

「それはまあ、うん」

 歯切れが悪い僕の傍らで、直人はみゆりに声をかける。

「みゆり、友達がいるんだなんて、初耳だな」

「それは、そうです。その、今まで言ってなかったから……」

 みゆりは僕の背中から顔を覗かせて、返事をする。ストーキングされていたことを打ち明けようとはしなかった。

「まあ、みゆりの友達なら、俺は別に一緒でもいいけどさ」

「ありがとうございます」

「それに、こんな律儀に接してくれる子なら、安心するしな」

 直人の言葉に、僕はみゆりのストーカーだったことを教えたくなる衝動に駆られる。でも、みゆりは兄に迷惑をかけたくないとかで嫌がるだろう。まあ、市ヶ谷自体も、単にみゆりと仲良くなりたいだけのようだけど。

「みゆりは、どうしたいの?」

 僕は後ろに隠れているみゆりへ質問をする。

 みゆりは間を置くと、僕の後ろから姿を現し、意を決したかのように、市ヶ谷と向かい合う。

「その、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 綻ばした表情で応じた市ヶ谷は片手を差し出すと、みゆりは躊躇せずに握手を交わす。

「よかったな」

 気づけば、直人がみゆりのそばに歩み寄り、肩を軽く叩いていた。

 みゆりは見れば、笑みを浮かべていた。

 ストーカーとはいえ、友達ができたという実感が湧いて嬉しくなったのだろう。

「これなら、小説は書かなくて済むかな……」

「そこはちゃんと書いてください」

 僕のひとり言を聞いていたのか、みゆりは強い語気で言い放つ。

 市ヶ谷は、「代々木先輩は小説を書いているんですね」と面白げな反応。

 僕はため息をつき、曇りがちな天気が晴れないのかと、内心で祈った。

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透先輩、小説見せてください 青見銀縁 @aomi_ginbuchi

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