第27話 今日は色々ありすぎて、何だか疲れた……

「お久しぶりです。代々木先輩」

 突然いなくなった市ヶ谷は、どういうわけか、僕の家にあるリビングでお茶を飲んでいた。

 みゆりを家まで送った後、何事もなく帰れたと思ったのだが。玄関に入るなり、「お客さんが来てるわよ」と伝えてくる母親。嫌な予感に覗いてみれば、予想通りというわけだ。夜道どころではなかった。

「何で、市ヶ谷さんが……」

「先ほどはどうも」

 市ヶ谷は僕に正面を向けるなり、テーブルの前にある椅子に座ったまま、お辞儀をする。セーラー服に黒っぽいカーディガンを重ねて着る、先ほどと同じ格好だ。湯呑みを持ち、近くには急須まで置いてある。

「直人。わたし、買い物に行ってくるから、後はよろしくね」

 一方で、母親は言うなり、玄関の戸を開けて、外へ出ていってしまった。お茶が足りなければ、僕が注ぐということなのか。

「代々木先輩は、兄妹や姉妹とかいらっしゃるんですか?」

「いないけど」

「そうですか。ご両親は?」

「母さんが今出ていって、父さんは仕事だけど」

「ということは、家にはわたしと代々木先輩以外は」

「誰もいないですね」

「それは好都合です」

 市ヶ谷は湯呑みを置くと、手を軽く重ね合わせた。

「それにしても、このお茶は美味しいですね。お母様には後でそのようにお伝えください」

「いや、そんなことより」

 僕は市ヶ谷へ視線を動かした。

「僕に何の用ですか?」

「その前に、わたしが何で代々木先輩の家に入れたのかは聞かないのですか?」

「それは、みゆりの友達とか何とかで入ったとか」

「当たりです。すごいですね」

「いや、そんなこと褒められても、別に何も嬉しくないんだけど……」

「そうですか。それは残念です」

 悲しげな表情を浮かべる市ヶ谷だが、僕は慰める気持ちにならなかった。

「恵比寿さんを見ていないと、心が落ち着かなくなったきっかけ、ですよね?」

「その質問、答える前にいなくなりましたよね?」

「そうですね。あの場ですと、答えるのは恥ずかしいですからね」

「恥ずかしい?」

「はい」

 うなずく市ヶ谷は頬を火照らせた。

「本人の前で、好きになったきっかけを話するなんて、それこそ、一種罰ゲームみたいなものです」

「それで、何で僕の家に?」

「そうですね。代々木先輩には、恵比寿さんを好きになったきっかけを教えておこうと思いまして」

「それを聞かせてどうするわけ?」

「そうですね。わたしと恵比寿さんが仲良くなる手助けをお願いできればと思ってます」

「手助けね……」

 僕はため息をつきたくなった。

 なぜ、僕が今日初対面となる後輩の面倒を見ないといけないのか。ましてや、彼女はみゆりをずっとストーキングしていた。むしろ、きっぱりと断るべきではないのか。まあ、友達くらいまではいいのだけれど。

「そういうことは、自分の力だけでやる方がいいと思うけど」

「そうですか。そしたら、これからも、恵比寿さんを離れたところで見守っています」

「いや、それは……。それにさっき、一緒に学校へ行く約束とかしてたし……」

「あの約束は有効なんですね」

「まあ、市ヶ谷さんが変なことをしなければだけど……」

 僕は市ヶ谷に気圧される形で答える。

「それで、わたしが恵比寿さんを好きになったきっかけですけど、聞きますか?」

「そこは、よければ」

「そうですか。では、お話します。でも、まずは座ったら、いかがですか?」

 市ヶ谷は言うなり、テーブルを挟んで反対側にある椅子の方へ手のひらを示す。ここ、僕の家なのだけれどと突っ込みたくなる。というより、帰ってから、学校の鞄を提げたまま、ずっと立っていた。ということにようやく気づく。

 僕は促されるまま、市ヶ谷に向かい合う形で腰を降ろす。学校の鞄はもうひとつの空いてる椅子に置いた。

「恵比寿さんは素直過ぎるあまり、学校でも浮いた存在になっています」

「違う話かと思ったけど、やっぱりそうなんですね」

「知っていましたか?」

「いや、それは知らなかったけど、早退したり、授業中のはずなのに、保健室にいたりするところから、学校で上手くいってないのかなとは思ったりした」

「そこまで知ってるなんて、まるでストーカーですね」

「市ヶ谷さんには言われたくないんですけど」

 僕は口にするも、市ヶ谷は受け流す感じで、「それでですけど」と話を続ける。

「実は、恵比寿さんとは、今日初めてまともに会話をしました」

「初めてって、さっきので?」

「はい」

「ということは、今までは……」

「そうですね。遠くからずっと見ているだけでした」

 どうやら、市ヶ谷はみゆりとただのクラスメイトという関係だけだったらしい。

「それはその、何となく納得がいくというか……」

「さりげなく、わたしに対して、ひどいことを言うんですね、代々木先輩は」

「あはは……。その、すみません」

「いえいえ。謝られても、言ったことは取り消せないですから」

「さっきの発言は撤回ってことで……」

「大丈夫です。実際はそんなに気にしてないですから」

 市ヶ谷が口にするも、僕は本当だとは思えなかった。今度こそ、夜道には気を付けよう。

「それでですけど」

 市ヶ谷は急須を持つと、湯呑みにお茶を注ぐ。

「あっ、すみません」

「いいです。それに、勝手に上がり込んだのはわたしなんですから」

 市ヶ谷は湯呑みに口をつけると、おもむろにため息をつく。

「恵比寿さんは真っすぐで素直ですよね」

「どういうこと?」

「高校入学当初は、何人かのクラスメイトに声をかけたりしていました。ですけど、恵比寿さんのストレートな物言いに、皆、避けるようになってしまいました」

「そうだったんだ……」

「それをわたしはずっと見ていました」

「声はかけなかったの?」

「わたしにはとてもそんな勇気はありませんでした」

 市ヶ谷はゆっくりと首を横に振る。

 入学時は友達を作ろうと積極的に話しかけてた時期もあったと直人が前に話していた。それが僕に冷たく当たるような感じだということも。

「今は恵比寿さん、学校では静かですね」

「人見知りとか?」

「そんな感じですね。ちなみに、それは恵比寿さんのお兄様から聞いたのですか?」

「まあ、そんなところです」

「恵比寿さんのお兄様と親友というのは本当みたいですね」

「まだ、疑ってるんですか」

「いえいえ。ちょっとした確証を得ましたので、それで」

「まあ、いいですけど」

 僕は言うなり、市ヶ谷と目を合わせる。

「で、その、みゆりを好きになったきっかけっていうのは」

「今話しました」

「えっ?」

 耳を傾けていた僕は、どこにみゆりを好きになる箇所があったのか、わからなかった。単に、みゆりの暗い過去が明かされただけで。

「すみません、市ヶ谷さん」

「はい」

「どうも、聞きそびれたのかもしれないけど、そんなこと、話してないような気が……」

「いえいえ。話しましたよ。高校入学の話からです」

「えっ?」

 市ヶ谷の答えに、僕は驚いて、間の抜けた声をこぼしてしまった。

「いや、でも、それって、みゆりがクラスメイトから避けられるようになるって話で……」

「鈍感ですね」

 市ヶ谷は呆れたような調子で声をこぼす。

「わたしはそういう恵比寿さんが好きになったんです」

「それはその、クラスメイトに対して、冷たく話しかけて、それで段々と孤立していくみゆりがってこと?」

「はい」

「そのう、市ヶ谷さん」

「何でしょう?」

「僕には理解ができないんですけど」

「別に人様に理解してもらうつもりは毛頭もありません」

「それはそうだけど……」

 そもそも、みゆりをずっとストーキングしていた子だ。常人にはわからない感覚があるのかもしれない。

「その恵比寿さんが」

 市ヶ谷は急に、僕の方へ真剣そうな眼差しを送ってきた。

「お兄様は元より、そのお兄様の親友と学校の行き帰りを共にするのは気になって仕方ありません」

「それって、僕のこと?」

「はい」

 市ヶ谷は躊躇せずにうなずいた。

「いや、僕は直人と親友、いや、腐れ縁って言うのかな。そういう長い付き合いの中で一緒にいて、その中で、みゆりと一緒にいる時間も長くなっただけで」

「でも、恵比寿さんは代々木先輩に対して、当たりが強かったりしましたよね?」

「それ、陰から見てたってこと?」

「当たり前です」

「そんな自信満々に言うことじゃないと思うけど」

「そんなことはどうでもいいです。代々木先輩はそれでも、恵比寿さんとある程度の付き合いをしていて、それで今日に至っては、恵比寿さんのお兄様を差し置いて、二人で会うなんて……」

「ちょっと、待って。その、市ヶ谷さん、落ち着いて」

「こんな状況、わたしは落ち着いて見ることなんて、できません」

 口にした市ヶ谷は湯呑みを手にすると、テーブルの上で叩きつけるようにして置き直す。中身は飲んで減っていたおかげか、零れることはなかった。

「あの、市ヶ谷さん。もしかして、僕にですけど」

「嫉妬してます。代々木先輩はずるいです」

「いや、今日は本当にみゆりの相談に乗っていただけだし。そもそも、その相談って、市ヶ谷さんのストーキングの件だし……」

「そんなことはどうでもいいです。そもそも、『みゆり』って、下の名前で馴れ馴れしく呼んでいるのは何でなんですか? 代々木先輩から見れば、恵比寿さんは単なる親友の妹さんでしかないですよね?」

「いや、下の名前で呼んでるのは直人からそうすればって……。本人も『別にいいですけど』って言っていたから……」

「それ、恵比寿さんはお兄様に言われて渋々OKしたということですよね?」

「それは確かにそうかもしれないけど……」

「代々木先輩は、恵比寿さんとはお兄様の親友という関係だけのはずですよね?」

「それはもちろんだけど」

「それでしたら、わたしはこれから、恵比寿さんの友達という関係だけになるのですが、それでも、わたしが『みゆり』と呼んでもおかしくないということですよね?」

「まあ、それは別に、いいかなとは思うけど」

「そしたら、明日、恵比寿さんにそうしてもらえるよう、フォローしてください」

「はい?」

「わたしから言うのは図々しい女と思われます」

「いや、みゆりは多分、あっ、そう思うかもしれない」

 僕は言葉を返しつつ、ありそうなみゆりのセリフが脳裏によぎった。「下の名前で呼ぶ必要はないかと思います」とか。考えれば、僕が初めて下の名前で読んだ時も似たようなことを言われた気がする。

「下の名前で呼んでくれるようになりましたら、わたしと恵比寿さんが仲良くなるという目的は達成したといっても、過言ではありません」

「だけど、下の名前で呼んでるけど、あまり仲がいいような悪いようなっていう関係だけど」

「代々木先輩は特殊ですから、参考になりません」

「特殊って……」

 まるで、奇異な存在扱いされたことに、僕は肩を落としたくなった。同じ中学二年のみゆりといい、周りの後輩女子は先輩の僕に対する接し方がひどいような。とはいえ、どちらも、相談といったような形で顔を合わせてるのであれば、別にいいかもしれないけど。

 市ヶ谷は湯呑みに残っていたお茶を飲み干すと、おもむろに立ち上がった。

「ということで、代々木先輩。明日はよろしくお願いします」

「よろしくって、僕はまだ何も」

「恵比寿さんを好きになったきっかけ、打ち明けましたよね?」

「それはまあ……」

「勇気を出して、好きな人の話をしたというのに、代々木先輩はそれを無下にして、後輩の子の依頼を断るんですね」

「その言い方、何かずるいような」

「ずるくないです」

 きっぱりと言い切る市ヶ谷は、おもむろにスマホを取り出してきた。

「アカウント交換してください」

「情報交換ってこと?」

「そういう堅苦しい言い方は好きではありません。単に、恵比寿さんと仲良くなるための手助けの一環として、協力してほしいだけです」

「それもまあ、似たような言い方かもしれないけど」

 僕は言うなり、自分のスマホを出し、SNSアカウントの交換を行う。

 市ヶ谷はスマホをしまうと、リビングにある丸時計の方へ視線を移した。

「もう、こんな時間なのですね。長居し過ぎました」

「明日の朝、どこで待ち合わせすればいいのか、連絡すればいいってこと?」

「それは必要ないです。いつも見ていて、どこで現れればいいかわかってますから」

 淡々と答える市ヶ谷に、僕は改めて、ストーカーだったことを思い出す。

 市ヶ谷はリビングを抜け、玄関先で靴を履き替える。そばにある自分の傘であろうものを手に取ると、後ろにいた僕の方へ振り返った。

「それでは、代々木先輩。今日ここでわたしと会ったことは恵比寿さんには内緒にしておいてください」

「それは言われなくても」

「ですね。言ったら、普通に嫌われると思います」

「だよな」

 僕は頭を掻きつつ、冷たい眼差しを送ってくるみゆりの姿を頭に浮かべる。

「ストーカーに会っていたなんて、何を言われるかわからないし」

「それもありますけど、恵比寿さんはそれ以外の理由で怒ると思いますよ」

「どういうこと?」

「そこは代々木先輩自身で気づいた方がいいと思います」

 市ヶ谷は笑みをこぼすと、手を軽く振りつつ、玄関の戸を開けて、家から出ていった。

 戸が閉まり、ひとり玄関に取り残された僕はふうとため息をついた。

「今日は色々ありすぎて、何だか疲れた……」

 僕はつぶやくなり、制服姿のままだったことを今さらながらに気づく。

 とりあえず、着替えて、ゆっくりしよう。

 学校の鞄を提げ、僕は自分の部屋がある家の二階へ階段を昇っていった。

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