第26話 恵比寿さんとは、本当はどのようなご関係なのですか?

 駅前の繁華街。

 僕とみゆりは並んで歩く。人通りはそれなりにある。

「ついてきてます」

 みゆりが言うも、僕はわからない。他に横切っていく人とかがいるため、つけられている感覚がないからだろうか。または、みゆりの思い込みとか。

 と、色々と脳裏をよぎる僕はかぶりを振り、やろうとしたことを思い出す。

「みゆり、次のところで」

「わかりました」

 みゆりはうなずき、僕はとあるところへ目をやる。

 繁華街に建ち並ぶ雑居ビルの間にある舗道。車が通れるかどうかわからないぐらいの幅がある。

 僕とみゆりは、いるかもしれない相手に意表を突く形で、直角に折れ曲がった。

 で、すぐにビルの壁へ背中を寄せ、足を止める。

「これで、本当に現れるか疑問です」

「だけど、やらないよりはマシかなって」

「ダメだったら、どうするんですか?」

「それはその時に考えるよ」

「曖昧ですね」

 みゆりの小言に、僕は苦笑いをして応える。

 予想としては、相手は出てこないはず。

 だったんだけど。

「あっ……」

 間の抜けたような声に、僕はまさかと思いつつ、耳にしたところへ顔を移す。

 人が行き交う繁華街の通りを背景に、ひとりの人物が姿を現していた。

 みゆりは僕と同じ方へ視線を移し、「えっ?」と驚いたような反応を示す。

「市ヶ谷さん?」

 みゆりが呼びかけた苗字は、僕には聞き覚えがない苗字だ。

 彼女はみゆりと同じセーラー服に紫っぽいカーディガンを重ねて着ていた。身長は小柄なみゆりより高いものの、手足を見る限り、ほっそりとしている。黒髪は艶があるのか、後ろから当たる陽光に照らされ、そよ風に揺らされてか、時折輝く。メガネをかけているものの、外せば、大人びてそうな顔立ちがより際立ちそうだ。学校の鞄と傘は片手で併せて持っていた。

 相手、みゆりから市ヶ谷さんと呼ばれた彼女は、場から逃げるためか、背を向けようとする。

「市ヶ谷さん、ですよね?」

 みゆりの問いかけに、立ち去ろうとした彼女の足が止まる。ひとまずだが、相手はみゆりにとって、知らない人物ではないらしい。

「あのう、みゆり。この子は?」

「クラスメイトです」

 みゆりの短い答えは、僕をうなずかせるのに十分な内容だった。

「市ヶ谷さんですよね? わたしを前からずっとつけていたのは」

 問い詰めるみゆりに対して、彼女は黙ったままだ。

 もしかして、彼女は違うのではないか。たまたま、僕とみゆりが待ち伏せしていたところを偶然にも通ろうとしていて。

「そうです」

 聞こえてきた声は、今にも消え入りそうなほど、低かった。

「わたしは恵比寿さんをずっとつけていました。朝の登校から放課後の下校まで。休日もできるだけ、恵比寿さんのことを見ていようと、つけてたりしました」

「どうして、そんなことをするんですか?」

「どうしてって、わたしはただ、恵比寿さんのことを見ていないと、心が落ち着かないのです。何でしょう、胸が高鳴って、恵比寿さんを見ていないと、生きていけないというか……」

 彼女は言うなり、両手を胸のあたりに当て、横顔だけ、僕らの方へ移してきた。

「ですから、今まで、恵比寿さんのことをずっとつけていました」

 彼女の言葉はしんみりとしていながらも、ある種の恐怖を感じさせるものがあった。それって、つまりはストーカーですよねと指摘をしたくなるも、できないような雰囲気。

「透先輩」

「何?」

「わたし、市ヶ谷さんが言っている意味がわかりません」

「偶然だね。僕もわからない」

 珍しく意見が合うものの、僕は嬉しさを噛み締めたくなる余裕はなかった。

「あのう、市ヶ谷さん」

「あなたは、誰ですか?」

 彼女は正面を向き直してくる。

 気のせいだろうか。冷たい眼差しを僕に送ってくるような。みゆりとはまた違うものだ。

 ひとまず、自分の名前、みゆりの関係を伝えた。

「そうですか。恵比寿さんのお兄様の親友ですか」

 ぶっきらぼうな反応。初対面で僕は既に嫌われてしまったのだろうか。

「わたしは市ヶ谷瑞奈。みゆりのクラスメイトでストーカーです」

 市ヶ谷は堂々と名乗ると、先ほどより鋭い視線を僕の方へ向けてくる。

「それで、代々木先輩」

「はい」

「恵比寿さんとは、本当はどのようなご関係なのですか?」

「本当は?」

「わたしはウソは嫌いですので」

 市ヶ谷は口にすると、僕との距離を縮めてきた。

「恵比寿さんのお兄様の親友とは、今の状況から見て、わたしはとても信じることができません」

 市ヶ谷の言葉に、横にいたみゆりは察したのか、慌てたように口を開く。

「市ヶ谷さんは何か誤解してます」

「誤解?」

「今日はただ、透先輩にわたしの相談を乗ってもらっていただけです」

「相談、ですか。それは、とても曖昧で、怪しいものですね」

「相談内容は、市ヶ谷さん、あなたのことです」

 みゆりはきっぱりと言い切る。

「前からつけられてることに対して、今日、透先輩に相談していたんです。お兄ちゃんだと、心配かけたくないので」

「そうですか」

 市ヶ谷の反応はとてもじゃないけど、信じているようには感じられなかった。

 おそらくというより、確実だと思うけど、市ヶ谷はみゆりに異常な好意を寄せている。でなければ、ストーカーと名乗ったり、僕との関係を異様に疑うような素振りはしないはず。

「市ヶ谷さんは」

「はい」

「みゆりのことが好きなんですか?」

「ちょっと待ってください、透先輩」

 みゆりは僕の質問に驚いたのか、市ヶ谷から何歩か後ろに僕を連れ出す。

「何を言っているんですか。恵比寿さんがわたしのことを好きなのかどうかとか、変なこと言わないでください」

「いや、だって、あれは明らかに」

「そんなこと、わたしでもわかります」

「でも、本人の口からはっきり言ってもらった方がいいかなって」

「透先輩はバカですか」

 みゆりは言うなり、奥で待つ市ヶ谷の方を指差す。

「それで、『はい』とか言われたら、わたしはどうすればいいんですか」

「それなら、ここできっぱりと断って」

「市ヶ谷さんが傷ついてもですか」

「傷つく?」

「そうです。誰しも、好きな人に対して、フラれることは悲しいです。それは相手が異性だろうと、同性だろうと関係ありません。ましてや、市ヶ谷さんはわたしをストーキングしてきた子です。そんな子をわたしがフッたらどうなりますか?」

「それは、何が起こるかわからないような……」

「わからないですけど、よくないことが起こりそうな気がします。最悪、誰か死ぬかもしれません」

「そんな、まさかと思うけど……」

「そのまさかです」

 みゆりは切羽詰まったような表情を浮かべ、僕に詰め寄る。

「わたしは、市ヶ谷さんの気持ちに応えることができません」

「それは、まあ、うん」

「曖昧な反応ですね」

 みゆりの呆れたような調子に、僕は何も言うことができなかった。

「お二人とも、何を話されているんですか?」

 顔をやれば、市ヶ谷が目を合わせてきていた。

「先ほど、『みゆりのことが好きなんですか?』という質問がありましたね。それは、恋愛感情としての質問でしょうか。それとも、友情としての質問でしょうか」

「それは……」

「友情としての質問です」

 僕が途中で口ごもってしまう中、すかさず、みゆりが被せるように付け足す。

「市ヶ谷さんは、わたしと仲良くなりたいんですよね?」

「みゆり?」

「透先輩は黙っててください」

 言い放たれた僕は、ただ、黙るしかなかった。

 みゆりは市ヶ谷の方へ近づいていく。

「どうなんですか?」

「それは、否定はしません」

「そしたら、今日から友達になるってことでもいいですよね?」

「恵比寿さんはわたしと友達になりたいのですか?」

「なりたいも何も、今は学校に誰も友達はいません。だから、ひとりぐらい友達ができてもいいかなって思ってるだけです」

 みゆりの言葉は、誰でもいいから友達を作りたいと伝えてるかのようだ。って、市ヶ谷にとっては、失礼過ぎるような。とはいえ、「みゆりのことが好きなんですか?」と空気を読まずに尋ねた僕も問題だけど。

「やっぱり、恵比寿さんは真っすぐで素直ですね」

「それは褒めているんですか?」

「はい」

 市ヶ谷はうなずくと、表情を綻ばし、みゆりに手を差し伸べてきた。

「これは何ですか?」

「握手です」

「友達になった証とか言いたいんですか?」

「はい」

 市ヶ谷の答えに、みゆりはなぜか、僕の方へ顔をやる。「どうすればいいですか」と無言で尋ねるかのように。

 僕は悩んだ末、手のひらを前へ出し、「いいと思うけど」といった意思表示を示す。

 対して、みゆりはため息をつくと、市ヶ谷と軽く握手を交わした。

「代々木先輩」

 手を離した市ヶ谷はみゆりに声をかけるかと思いきや、相手は僕だった。

「何ですか?」

「というわけで、恵比寿さんとわたしは、明日から二人で学校に行こうかと思います。帰りも同じくです」

「えっ? 恵比寿さん?」

「だって、今から友達になったのだから、一緒に学校に行ったり帰ったりするのが普通ですよね?」

 市ヶ谷は戸惑ったような顔をするみゆりに対して、当然のごとく口にする。内容としては別におかしくはないのだけれど、先ほどまでストーキングしていた相手となると。

「みゆりはどうなの?」

 僕は自然とみゆりに問いかけていた。

「透先輩?」

「みゆりはどうしたい?」

 体を向けてきたみゆりは、怯えたような瞳をしている。

 気づけば、僕は無意識にみゆりの腕を引っ張り、自分の横にまで連れ出していた。

「何のマネですか?」

 市ヶ谷は冷たい眼差しを僕の方へ送ってくる。

「透先輩、何の、マネですか?」

 みゆりも同じような言葉をこぼすも、語気は弱かった。

「みゆりは下がってて」

「いつもの、透先輩らしくないです」

「無理に強がったこと言っても、今は何も意味ないから」

 僕は自分でも珍しく、みゆりに強気なことを言った。嫌われてもいいから、今は市ヶ谷からみゆりを遠ざけた方がいいという判断だ。ストーカーが友達になるというのは、普通に考えれば、迂闊な行為だった。僕は殴りたくなる。握手を勧めるような仕草をした自分を。

「代々木先輩はやはり、恵比寿さんとはお兄様の親友という関係だけではないようですね」

「いや、それは本当にそういう関係なだけなのはあってるよ。僕は今日、みゆりの相談に乗っていただけで」

「そうですか」

 ゆっくりとうなずく市ヶ谷に対して、僕は自然と身構えていた。もしかして、凶器でも取り出して、襲ってくるのではないかという不安がよぎったからだ。それぐらい、市ヶ谷の立ち振る舞いは不気味だった。

「それでは、こういうのはどうでしょう」

「こういうの?」

「明日からの学校の行き帰り、わたしと恵比寿さんだけでなく、代々木先輩や恵比寿さんのお兄様も一緒に」

「断ったら?」

「さあ、そこまではわたしは考えていませんでした」

「透先輩」

 見れば、みゆりが袖を引っ張ってくる。

「何?」

「市ヶ谷さんは何をするかわかりません」

「それぐらいは、わかってるつもりだけど」

「ここは今の話にオッケーしてもいいかと思います」

「いいの?」

「二人っきりになるよりはマシです」

 みゆりは言うと、僕の後ろに隠れてしまった。どうも、市ヶ谷とまともに目を合わせられなくなったらしい。

「恵比寿さんはわたしのことを怖がってるみたいですね」

「それはまあ、ストーキングをされていた相手だから、無理はないと思うけど」

「ストーキングといっても、わたしはただ、ずっと、恵比寿さんのことを離れて見ていただけなのに」

「それ、僕がそんなことされたら、怖くて夜道とかは歩けないんですけど」

「代々木先輩は子供なのね」

「透先輩、それはどうかと思います」

 双方から苦言を呈され、僕はつい、「そう、ですね」と肯定をしてしまう。

「ガッカリですね。わたしのことを強引に引っ張った人と同一人物とは思えません」

「みゆり、もう、それ以上、傷つくようなこと言わないでもらいたいんだけど……」

「どうも、代々木先輩は、恵比寿さんとはお兄様の親友という関係だけみたいですね」

 見れば、市ヶ谷は不気味そうな笑みを浮かべた。疑いは晴れたみたいだけど、自分としては納得がいかないような形にしか感じられない。とはいえ、変に抗っても、話がまた面倒になるだけなので、僕は黙ることにした。

「とりあえず、市ヶ谷さんが言ってることはわかりました。直人も別に、朝一緒に登下校する人が増えることに反対とか、そういうことはしないと思うので」

「受け入れてくれるのね」

「その代わり、みゆりに変なことはしないでください」

「したら?」

「警察に通報します」

 僕がきっぱり言い切ると、市ヶ谷は「そうなの」とぽつりと声を漏らす。

「ということは、わたしが今までしていたことは見逃してくれるということですね」

「今後何も変なことをしなければです」

「強気ですね、代々木先輩」

「それはまあ、みゆりが怖がってるし……」

「怖がってません」

 不意に、僕の後ろから、みゆりが不満げな調子で口にする。けど、前には出ようとしない。

「そもそも何ですけど、市ヶ谷さんは何で、こんな簡単な罠に引っかかってくれたんですか?」

「罠?」

「はい。こうやって、ビルの谷間に入って、後からやってくる人を見つけるというものです。ですけど、こんなの、ちょっと考えれば、バレバレな罠ですし」

「そもそも、わたしはこれが罠とは思っていませんでした」

「それは、だったら、市ヶ谷さんはこれを何と思っていたんですか?」

 僕の横から、みゆりが顔を覗かせて尋ねてくる。

 対して、市ヶ谷は表情を綻ばせた。

「てっきり、ドッキリか何かと」

「いや、それはその……」

「それはないです」

 口ごもる僕と、はっきりと言い、かぶりを振るみゆり。

「でも、市ヶ谷さん。見つかった時、さりげなく立ち去ろうとしましたよね?」

「そう、ですね。あれはちょっと驚いて、とりあえず、場から離れてから考えようとか思っていました」

「の割には、その後の立ち振る舞い方は堂々としていました」

「恵比寿さんはわたしのことをよく見ていてくれていたのね」

 市ヶ谷が視線を移してきたのか、みゆりはすぐに僕の後ろへ隠れてしまった。

「いや、その、もしかして、本当に引っかかったってことなのかなって……」

「それは、わたしがバカだと仰りたいみたいですね。代々木先輩は」

 市ヶ谷はみゆりから僕の方へ鋭い眼差しを送ってきた。さらに余計なことを言ったら、殺しますよという意思表示みたいに。

 僕は変な揉め事を起こさないよう、「すみません」と謝りの言葉を返すことにした。

「謝るということは、わたしのことをバカにしていたということですね」

「それは、その……」

「透先輩。今謝ったのはまずいです」

「でも」

「今までのそういう、謝ればいいという精神が裏目に出ています」

「それじゃあ、この場合はどうすれば……」

「それは自分で考えるしかないです。わたしはわかりません」

 僕の背中越しから冷たい調子で話すみゆりに、僕は困り果ててしまう。

 見れば、市ヶ谷はわざわざメガネをかけ直し、僕を睨み続けている。もしかして、僕は殺されるのだろうか。

「あのう、市ヶ谷さん」

「言い訳は不要です。代々木先輩」

「いや、その、言い訳じゃなくて」

「それじゃあ、何ですか?」

「その、何で、みゆりをストーキングし始めたのかなって」

「わたしはただ、恵比寿さんのことを見ていないと、心が落ち着かないのです。それははじめにも言いました」

「いや、それは聞いたけど、その」

「その、何ですか?」

「そういう風に、みゆりを見ていないと、心が落ち着かなくなったきっかけ的なものとか……」

「透先輩」

 再び、みゆりから声がかかる。

「透先輩は、市ヶ谷さんに何を聞こうとしてるんですか」

「何をって、その、みゆりのことをどうして好きになったのかってことだけど……」

「そういうことを聞いて、話を逸らそうとするのはわかります。けど、そんな質問に、市ヶ谷さんが答えてくれると思いますか?」

「それってどういう……」

「かえって、市ヶ谷さんをより怒らす効果しかないかと思います」

「えっ? それって、まずいってことじゃ……」

「後はどうにかしてください」

 みゆりは話を終えてしまい、僕の後ろに隠れたまま、じっとしてしまう。

 と、僕がみゆりとの話をしている間に。

「あれ?」

 気づけば、市ヶ谷が場から消えていた。

「どうしましたか?」

「市ヶ谷さんがいない……」

 僕の答えに、みゆりが横から出てくる。

「いなくなりましたね」

「これって、結果オーライってこと?」

「わかりません。ただ」

 みゆりは間を置くと、僕と目を合わせる。

「透先輩は夜道に気を付けた方がいいかもしれません」

 みゆりの口調からは冗談っぽさがなく、真面目さを帯びていた。

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