葉桜の君に~千本桜
澄田こころ(伊勢村朱音)
千本桜
朧月夜の下、夜を忘れたように咲くさかりを少し過ぎた山桜。黄色の若葉がしげり、降り積もる雪のごとく、白い花びらを散らしていた。
一人の少女が、白いセーラー服をまとい薄闇の中、舞をまっている。その優雅で静謐な所作に、葉太は心を奪われた。
目の奥に届く、ほっそりとした首の白さ。扇を持たぬのに、その形を想像させる手首のなまめかしい美しさ。足元から震えが全身を駆けのぼり、手に下げたコンビニのビニール袋がガサリと音をたてた。
「秋田先生」
その声に、遠い記憶の彼方をこらしていた葉太は、はっと我にかえる。
目の前の少女は舞をやめ、ぽつんと所在なげに立っていた。
「春川、こんな夜中に何をしているんだ」
見とれていたおのれを封印し、真っすぐ葉太をみる教え子の視線にひるみかけたが、威厳をなんとかたもつ。
いくらここが、高校の傍の公園だからといって、女子高生がうろついていい時間ではない。
春川桜子は目線を葉太から外し、桜を仰ぎ見る。ゆれる黒髪に月影がさした。
「夢を見たんです」
「夢?」
バカみたいに復唱する。
「何度も見る夢です。愛する人と別れる夢。とても胸がいたい」
「寝覚めが悪くて、ここで踊っていたのか?」
いくら悪夢を見ても、ここで踊る意味がわからない。普通の女子高生ならば。
「だめですか?」
それだけをいい、春川は身をひるがえし、公園の出口へ向かってかけていった。
その後ろ姿を目でおい、胸の内でつぶやいた。
「おまえなのか、静」
*
あれから、葉太は事あるごとに桜子を目のみで探すようになった。自分が担当する日本史の授業中、職員室の窓辺から見える、グラウンドに散る体操服の中。
探しているのは、自分だけではない。板書する背中にジワリとささる熱をおびた視線。廊下ですれ違いざまに、たった一秒交わった狂おしい視線。
自分だけの思いすごしではない。推測は確証にかわり、再び相まみえる時を夢想する。
また、朧月夜の晩がめぐってきた。
山桜はすっかり花を散らし、花びらの残骸が地面を白く輝かせていた。
その上に春川桜子は静かに立っていた。
葉太の気配に気づいたのか、声をかけぬともくるりと振り返った。制服のスカートがふわりと広がる。その揺れが収まりきらぬ間に、葉太の胸に飛び込んできた。
「お会いしとうございました。義経さま」
「我もじゃ、静」
朧月夜の曖昧な光に照らされる二人の姿は、白い水干姿の白拍子と
吉野山での別れより八百有余年。 涙ながらに分かれたのち、追手に追い詰められ命がつきる刹那、静御前との来世の出会いを誓った源義経。
この令和の世にめぐりあい、二人は涙にくれる。
「この吉野より移植された山桜の下で、お互いを見つけるとはなんという因果であろうか」
義経は、両の手を静のあごにそわせ、その愛しい
「はい、まことに。わたくしは夢の中の愛しい面影を胸に、この桜の下舞をまっていたのです。そこにあなた様があらわれるとは」
静の右手が義経の左手をおおう。
「こうなれば、一時もおしい。この世でも我ら未来永劫、共にあると誓い合おうぞ」
「ええ、そのように」
小ぶりな唇からもれる吐息のような応答とともに、静は義経の唇に誓いの刻印をおす。右手は愛し気に義経の左手をなぜる。その薬指にはめられた銀の輪をひっかきながら言った。
「では、奥様を殺してください」
快楽に沈みかけていた男の体は、無様なほどぎくりと硬直する。
「妻とは今別居状態だ。何も殺さずとも、すぐに離婚は成立するそれからでも……」
そう言い訳する声に、女はくらいつく。
「嫌でございます。前世でもあなた様にはご正室がいらっしゃった。現世でも私以外に愛する女が生きているなど、たえられません」
「しかし……」
言い淀む男を、女はさらに追い詰める。
「お約束を果たしていただけましたら、わたくしは再びあなた様の前に姿を現しましょう。それまではしばしのお暇を」
そういうと、男の腕の中にいた女は煙のように掻き消えた。後には、ちり落ちた花からたちのぼる、芳香のみ残る。
*
山桜が三度葉を落としたのち、葉太は桜子とわかれたこの場へやってきた。
見上げる枯れ枝は昼の陽光をあび、茶色い新芽と白い花が今にも咲きそうになっていた。
薄闇の山桜は妖艶であるが、昼にはその顔を包み隠す。その健全さに息苦しくなり、白いネクタイに指をかける。
「今日は卒業式でしたなあ」
葉太は、その声につられ横を向くと一人の老人がいつの間にか、そこにいた。
「はい、ここで失踪した生徒の卒業証書を持ってきたんです」
そういうと、手に持っていた黒い筒を老人の目の前でふった。その左手に指輪はなかった。
「ほう、ここで失踪されたんですか。それは偶然ではないかもしれませんよ」
老人の含みのある言い方がひっかかり、葉太は聞き返した。老人は山桜を見上げて言う。
「この山桜には妖狐が取りついていて、人を化かすと昔から言われているのです」
了
葉桜の君に~千本桜 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei
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