半透明になる
糸川まる
半透明になる
血を飲んでしばらくすると、半透明になる。胸というかみぞおちというか、体の真ん中あたりがぞわぞわと乱される。手先を見れば、ほら、今日の丸い月が
足が浮いている。
ちょっとだけ
最後に一枚、襖を抜けて、私は
夏。
なぜならそのとき、私と住職の感覚はまったく一つになっているので。
浅く息を吸って吐いて、住職は体の芯のあたりを震わせる。ほんのわずかに、うめき声をあげさえする。住職の体の中を泳ぐたび、私が
そうしてしばらく待って、快感が落ち着いた頃に、ずるん、と私は住職の体を脱ぐように這い出るのだ。
私の半透明だった体はしっかりと実体を取り戻している。以前、他の人間で試してみたことがあったが、混ざりあうところまではよかったものの、そのまま向こうを吸収してしまい、ただただ大きな半透明の私ができあがるだけで、うまく戻れなかった。たぶん、重さと体を取り戻すときに、相手方のなにかを取り込んでいるんだろうと思うのだけれど、たいがいの人間はその何かを取り込まれるときに、まるごと私に奪われてしまう。
その点、この住職は、啜っても啜っても
「どうも、ありがとうございました」
私は恍惚の表情のまま、指をついて御礼の口上を述べる。
「
住職は、私を
「お前、まさか生きた人間を食ろうたのか」
◇
我が村のご住職は
「へえ、お待ちを」
女はいつも、聞いているのかいないのかわからない、ぼやぼやした声で応じる。女は村の誰の顔も覚えていないから、いつでも不審げに眉を寄せている。陰で、きっと遅い子なのだろうと言われていた。しばらくして、住職がふらつく足取りでゆるゆると現れた。いつものように、顔のあたりを布で覆っている。ずいぶん昔に寺で大火があった際、ご本尊を守るために全身にやけどを負って、顔がずいぶん崩れてしまったから隠しているのだと、村の老人たちは言っていた。俺は住職の手を取って、ゆっくり、ゆっくりと坂道を下っていく。曲げ赤松の屋敷は門から玄関までがこれまた遠い。飛び石に躓かないよう、ゆっくり、ゆっくりと住職の手を引いて歩いていく。住職の手は、年に見合わずふっくらとして、白い。
葬式や通夜はなんともないが、葬列を見るのだけは怖い。
何か大切なものを持っていかれるような気持ちさえする。翌日、葬式を終えていざ出棺となった折、若い俺はお
隠れている間に、居眠りをしていた。目を覚ましたらすっかり日は暮れて、青いような夜闇が隠れ場の納戸を
―――我が村の和尚は鬼だ。あれは
ご隠居が言うことが正しければ、今夜、ご住職はご隠居の血を啜るんだろうか。俺の胸は興味でいっぱいになって、思わず家を飛び出す。隠れていたことに立腹中の母や父の相手もそこそこに、寺までの急な坂道を登る。
ご隠居の墓地の前には、果たして、淡い色の着物を着た人間が一人、空から縄でも引いて首を
あ、と俺が声を出す間に、女は俺の喉仏にかぶりついた。白くて、ふっくらとした女の頬が、一瞬、
◇
「生きた人間を食らうことだけはよしてくれと、何度も頼んでいるだろう。いったい、何が不満だったのだ。わたしの何が至らなかったのだ。どうしたらお前はそれを、
気づけば住職は、ほろほろと涙を流している。その涙さえ、つんと匂うような、人の血の気配を
「そうは言っても、和尚さま、畜生の生き血や死んだ人間の血だけでは、不十分ですもん」
私は困ってしまって、眉を下げる。
「和尚さまだって、死にたくないでしょう」
たまには生き血を啜らなければ、お腹がすいて死んでしまう。それはきっと、私と混ざりに混ざって同じになってしまった住職もそうだ。住職は、いかにも若々しくはりのある額にしわを寄せて、さめざめと涙を流している。その膚は涙さえもぴんと弾く。
「明日も忙しくなりますよ」
また死人が出ましたもんで。励ますように言ったものの、住職はいっそう、とめどなく涙を流す。あっ、と気づけば、顔を覆う住職の指先が、ほんの少し透けている。
「和尚さま」
私は思わず手を伸ばして、透けている住職の手に手を重ねた。ひんやりとして、ぷるりと柔らかく、水に溺れて死んだ人間のそれに似ていた。まだ泣いている。泣けば泣くほど、その体は透けていく。私は住職のからだを前から抱きすくめた。瞬間、住職のからだがぼこんと大きく膨れ、私を圧し潰した。息が吸えなくてもがく。腕をかけどもかけども、水のようにつかみどころがなく、そしてそれはもがくうち、私の胸のあたりからずるりと入ってきた。痛いほどの、破滅的な快感に、私は体が縦に裂けたかと思った。住職のすすり泣く声が腹のあたりで反響している。ぶるぶると震えている。いつの間にか私の体も部屋いっぱいに膨張して、着物や、仏具や、硯が、私の体の中を所在なげに泳いでいる。
「ああ、もう」
私はこらえきれずに、
人間は、失われてしまうから悲しい。私は、住職が永遠に失われてしまったことを、これ以上なく寂しく思った。一人ぼっちで永遠に生き続けるのは寂しく、味気なく、耐えるのに骨が折れる。かといって、みずから飢えて死を選ぶのもおそろしい。千年、一人で生きてきて
まだ不安定な体が、たぷたぷと音をたてている。
半透明になる 糸川まる @i_to_ka_wa_
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