駆除

マルシュ

第1話

「だからさ、そんな男は偽計業務妨害だなんてぬるい事言ってないで、殺人未遂、もしくは殺人罪で裁くべきなんだ。わざと、ウイルスを撒いてやるって人に向かって咳してたんだぜ。行く先々で。」

京都方面に向かう電車のホームで、鈴木は私に言い放った。私はフンと生返事を返した。鈴木は、それを私の相槌だと理解したらしい。

また続けて、「アメリカあたりじゃ、きっとそんな刑になるはずだよ。日本はぬる過ぎだ。俺がそんなところに居合わせたら、絶対相応の罰を下してやるのに、この手で。だって、俺だって殺されかけたって事だろ、そこに居合わせたら。」

その時世間は、新型の、未知の殺人ウイルスの話で持ちきりだった。私は口を挟んだ。「どんな罰?」

「もちろん、極刑だよ。事故のフリして階段や、例えば横断歩道で車の前に突き飛ばすってのもいいんじゃないかな。死刑が相当なはずだ。そんなヤツ。」いつも通り、人をバカにしたような口調で捲し立てる。

 鈴木と私は同僚だ。地方の小さな広告代理店の営業とコピーライター。そして、つい先日関係が終わってしまった元恋人同士。

「その男が本当にウイルス感染者であろうがなかろうが、周りにいた人たちにはわからないんだし、そこにいた人たちのその時の恐怖は察するにあまりある・・・っての?怖かっただろうな。」鈴木は一息入れて唇を軽くなめた。「そういうヤツは、捕まっても絶対反省なんかしないし、それどころか、またする。何度でもする。このウイルス以外でも、手を替え品を替え、色々なことで脅したりする。ようするに、そんなヤツは人間じゃない。害虫なんだ、害虫!」そう言いながら、鈴木は鼻の頭を左手の人差し指で擦った。それは鈴木の癖だ。自分の顔に向けて振り上げた鈴木の左手には、分不相応に高価なロレックスの限定品が輝いていた。

 

 電車はまだ来ない。出かけたクライアントが結構田舎にあって、電車の本数が少ないから仕方ない。

「でもさ、階段から突き落とすとかさ、ちょっと正義の味方のする事じゃないわね。横断歩道なんか、引いちゃった車に迷惑かけるし。」そう私は鈴木にたたみかけた。

 「お前らしいな。めんどくせー。」線路を見ていた鈴木の目が、チラと横に並んで立っている私を見た。相変わらずバカにしたような目。私はいったいコイツのどこが良くて5年も付き合っていたのだろうか。

 5年。そろそろ結婚の話も出ていい頃だった。ところが、私の不幸は不意にやってきた。

 小さな広告代理店での社内恋愛は、いろいろな人に気を使わすだろうから皆には秘密にしておこうと提案してきたのは鈴木からだった。私の方も、それに関しては異論なかった。会社と言うより大家族、そんな雰囲気の中、他の社員に気を使うのも使われるのも、お互いかなりキツいはずだから。だけど、それをいいことに、社内はおろか取引先、挙げ句は私の学生時代からの親友にまで、鈴木は手を出した。そして、間抜けなことに、私はそれに全然気づいていなかった。知ったのは、鈴木が社の朝礼の挨拶当番になった先週の金曜日。鈴木はおもむろに、「俺、結婚します。」と社員全員の前で切り出したのだ。えっ?結婚?口約束はこれまで何となくかわしてたけど、こんな場で私に相談もなく二人のことを発表するなんて・・・。私はその時そう思った。

「相手はみんなもご存知の〇〇銀行元頭取のお孫さんで・・。5ヶ月後にはベビちゃんも授かるんすよ。」そう鈴木が口にするまで。

 いきなり、私の脳の機能はショートした。

 訳がわからず昼になり、私はいつもの女性メンバーに誘われるまま、近くのおしゃれ定食屋にランチに出かけた。そして、そこでもっと衝撃的な話を耳にした。

「鈴木さん、驚いたわよね!」と佐藤先輩が切り出した。すると、急に横にいた後輩の田中さんが泣き出した。「どうしたの?田中さん!」驚いた山本ディレクターが田中さんに声をかけると、彼女は、「私、鈴木さんとお付き合いしてたんです。皆さんには内緒にしていたんですけど・・・。」それを聞いた途端、私はまた衝撃を受けてしまった。「それなのに、何で結婚?ベビちゃんって、意味わかんない・・・。私たち、もう3年も付き合ってるんですよ。彼のために私、営業先との宴会なんかにも会社に内緒で一緒に出てあげて・・・。そして、彼が必死に頼むから、クライアントの一人と寝てもあげた」田中さんが泣きながら衝撃的な一言をみんなに言い放ったその時、私は見逃さなかった。もう一人の先輩、経理の高橋さんの目がすうぅと泳いだのを。

 ランチタイムは田中さんを慰める時間と化した。慰めの言葉は、「ひどいわね。人間じゃない!」から始まり、「よかったわよ、そんな男と結婚しないで。きっとお相手はヤツの浮気に一生悩まされるに決まってる。」で終わった。その間、私と高橋先輩はただ相槌をうっていただけだった。

 ランチから社に戻る道で、私は高橋先輩を夕食に誘った。「私もちょうど誘おうと思ってたとこ。」と先輩は言った。

 その日1日の仕事を、どうやってこなしたのか覚えてはいない。気がついたら、先輩との約束の時間、7時の5分前だった。急ぎパソコンを終了させ、マグカップを洗い(鈴木に買ってもらったものだ)、上着を着込みマフラーをして会社の斜め前にあるチェーン店の居酒屋に入った。

 先輩はすでに奥の座敷風個室に陣取っていた。幸い、私たち以外に同僚はいない。力なく俯いた高橋先輩の横顔は、今日はいつもより10歳は老けて見えた。

 どちらからともなく、鈴木との付き合いの話をしだした。驚いたことに、先輩はヤツと7年半も付き合っていて、その間に、不幸なことに妊娠も経験したらしい。「今はまだちょっと・・・。」と言う鈴木の一言で、ヤツの言うベビちゃんの一人はこの世から消えた。「田中さんのことは薄々気がついてたんだけど、遊びだって言うのが見え見えだったんで許してたの。だけど、まさかあなたまで彼と・・・。」そう言って先輩は絶句してしまった。ランチ時の私の態度で、私と鈴木の間に何かあったと気がついたらしい。私は、「おバカなことに私、全く気が付きませんでした。彼が先輩や田中さん、結婚する元頭取のお孫さんにと手を出していたことに・・・。」そう言って先輩を慰めた。そんな時、私の携帯電話がなった。親友のミユキからだった。先輩に誤ってから店を出て電話に出ると、ミユキは電話の向こうで泣いていた。

「黙っていてごめん。まず謝る。だけど、誘ってきたのは彼の方だった。あんたに私を紹介された時、私に一目惚れしちゃったって・・・。」

 嘘!なんてこと・・・。アイツ、ミユキにまで・・・。

 ミユキは電話越しにひとしきりウォンウォンと泣いた。そしてその後、「私、彼にうちの店の空の領収書を一冊渡してたんだけど、あんたの会社で問題にならないかな。今更だけど、それも怖い・・・。」

 ミユキは学校を卒業してから家業を手伝っていた。彼女の実家は、田舎には珍しい高級料亭だ。この地方の国会議員の先生方や県会議員の面々、地元の名士などが利用する。アイツの金回りの良さの原因の一つはこれだったのか・・・。

 うちの会社の経理で、経費計上の担当者は高橋先輩だ。

 アイツ、だから高橋先輩を!


 世の中には、他人に対して自分のしたことの意味や善悪、結果を気にしない人種がいる。

 私は、先輩との食事を早々に切り上げ、自宅へと向かった。鈴木に連絡がとりたくて、帰宅途中、何度も何度も彼の携帯に電話した。

 だけど、鈴木は電話に出なかった。彼の携帯電話からはずっと、話し中の「プゥープゥー」という音が聞こえてくるだけ。仕事用に会社から持たされている携帯電話にかけても同じだった。キャッチホン機能が付加されているのだが、鈴木はその時それを利用しなかった。結局、私が鈴木と連絡を取れたのは、次の日の土曜日、それも深夜近くだった。

「お前はわかってくれるだろ?物わかりがいいから。俺は営業職だし、女からの誘いを断れない事情がある時もあったんだ。取引先の人の紹介なんかもあってさ。仕事上、むげにはできない。」

 言ってろ、バカ。

 コイツは一生こうだろう。更生なんてしやしない。私は、鈴木にとって都合の良い女だったのだ。そして私は、私の二十代の貴重な5年をドブに捨てたのだ。

 この電話で、あっさり鈴木と私の間には何もなかったことになった。少なくとも、鈴木の意識の中では。

 

 不意にホームに注意アナウンスが鳴り響いた。「特急列車がまいります。白線の内側までお下がりください。」

 そのアナウンスは神の啓示だった。

 経理の伝票を操作した高橋先輩も、ハニートラップに使われた田中さんも、お金や空伝票を貢いだミユキや都合よくあしらわれたセフレの私でさえ、静かに過ぎていく時間が傷ついた心の特効薬になってくれるだろう。きっと、こんな陳腐な失恋や裏切りの痛手なんて、すぐに忘れてしまうはずだ。そう、元頭取のお孫さんでさえ、裕福な家族に支えられ、これから生まれてくる子供を何不自由なく生み育てていくだろう。きっと。

 鈴木はまだ喋っていた。「だから、これは害虫駆除なんだ。何も悪いことはない。誰がやってもいいんだよ。」

 そうね。

 私は心の中で鈴木に賛成した。

 次の瞬間、「ドスッ」という鈍い音がして、同時に特急列車の急ブレーキ音があたりに鳴り響いた。その音は、神が啓示を下す時に鳴り響くラッパの音のように思えた。

「駆除完了。」

 ぼそっとそう呟きながら、私はホームを後にして、先ほど通ったばかりの改札を抜けた。

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駆除 マルシュ @ayumi_f

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