第6話 新たなる道


 慧思、続ける。

 「そもそも、この子の人生だ。

 『到る』というのは、到達点まで行くということだ。

 つまりたどり着かないと意味がないってことで、プレッシャーになりかねない。

 そうまでして、到って欲しい先は安住地なんだろ?

 矛盾しているよ。

 まぁ、だからさ、そこまで縛らなくてもいいだろうさ」

 なるほどなぁ。


 「その安住地だって、単に生き方についての願いなんだろ?

 生き方という行程の話ならば、『悠』だろうしなぁ。

 それしかないならともかく、他にも名前の良い候補があるならば、それで良いじゃないか」

 相変わらず、言うことに説得力があるな、慧思。


 「私も、そう思うよ」

 とこれは和美なごみちゃん。

 「『到』で『ゆき』だと、読みが難しいかも。

 私も、何度、『かずみ』と呼ばれたことか……。

 そしてイギリスで、漢字の読めるイギリス人に、何回もなんで『かずみ』じゃないんだと問い詰められた……」

 ああ、そういう苦労もあるのか。

 ま、たしかに『悠』なら、そうは間違えて呼ばれないだろう。


 そこで、姉も口を開いた。

 「『到』だと、双海到だね。

 双海に到るわけじゃないからねぇ。

 双海悠かな。

 春の海みたいな感じになるね」

 そか、苗字の漢字との組み合わせという視点もあるのか。


 「美岬はどう思う?」

 「男の子で『ゆき』だと、ねずみ年みたいだよね。

 とても好きではあるけど」

 ……それって、なんかの漫画じゃなかったっけ?

 妊娠中、さらに乱読が進んだらしいな。


 わかったよ。

 『悠』にしようか。


 名前が決まると、もう一度抱っこしたくなるものらしいね。

 『悠』って呼びかけながら、みんなまた一回ずつ悠を抱っこした。

 最後に俺が受けとり、眠っている子の顔を見る。


 世の中には当然のように、不幸な状況で生まれる子もいるだろう。

 でも、それはきっと少数派だ。

 大部分の子は、こんなにも愛されて産まれてくるんだね。



 そう思ったとき、俺は自分の人生の運の良さに気がついた。

 こんな仕事をして、こんな人生を送っていて。

 この平和な日本で、高校生の時から実弾で撃たれるような生き方をしていてさえ、だ。

 俺はまだ、人を殺したことはない。

 誕生を祝福されてきた人間、そのだれかの命を断ってはいないし、その経験からの後悔というくびきにも縛られていない。


 そして、美岬にもその経験をさせずに済んだ。

 おそらく悠は、その葛藤を知らないで済む人生を歩むことができるだろう。

 なんて俺は、運がいいのだろう。


 俺は、普通の人生から、暗い夜道を歩くような危険に満ちた人生に生き方を変えた。

 それなのに、今や前から夜道を歩いていた人たちごと、明るい道に向かって歩を進めている。



 不意に、こみあげてくるものがあった。

 耐えきれず、赤ん坊のおくるみに涙が落ちた。

 昔聞いた、石田佐の言葉がありありと脳内に浮かぶ。


 「これから、一番大切なことを言うよ。

 私もね、君たちほど危険な任務はないけれど、次の食事は食べられないかもしれないとはいつも思っている。妻が毎日、一期一会の弁当を作ってくれているのも、同じことを思っているからだ。

 そういうと、話が重くなるけれどね、それがもう三十年続いているんだ。

 明日は絶対ではないけれど、一つ一つ積み重ねれば四十年でも五十年でも続けるのは可能なはずだ」

 と。


 そうだ。

 そうやって、俺たちはここまで来た。

 決して平坦ではなかったけれど、奪われずにここまで来れたんだ。

 たくさんの人たちに助けられながら、そして共に歩きながら、ここまで。


 加藤景悟郎けいごろう美緒みおが紡ぎ始めた物語は、連綿と受け継がれ続け、義両親から俺と美岬へと続いてきた。

 その物語の中には、命を奪われた人たちもいる。

 それでも、その意志を受け継ぎここまで来て、さらに次のステージとなる道に俺たちは踏み出している。

 俺たちのあとは、悠が色を変え、さらに紡いでいってくれるだろう。


 俺たちは、降りかかる運命の試練に勝ち続けてきた。

 そして、これからも勝ち続けよう。


 それが、俺たちの作る歴史なんだ。

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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました 林海 @komirin

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