ミライ
柳なつき
固有番号2020
「時空警察です。未来から来ました。あなたを殺しに」
引き出しにつくった四次元空間から、私はその部屋に降り立った。
いかにも2020年という時代らしい部屋。布でできたベッド、質素な木でできたフロア、ふすまと呼ばれる伝統的なドア。
ターゲットはベッドに横たわって、驚いた顔で私を見ている。
私はその頭に、存在抹殺用の拳銃を突きつけた。
「うそっ、やだっ」
「抵抗しても無駄です。あなたの遺伝子は、後世――」
「えっ、待って待って、なにその宇宙服みたいな格好。しかもいま、引き出しから出てきた、よね。もしかして……未来人?」
「そうですが」
「ってことは……未来から来て、わたしを殺そうとしているってこと? よかったあ。わたしも、わたしが、いますぐ死んだほうがいいと思うもん!」
ターゲットはなぜだか、顔いっぱいに笑う。
……不合理な言動だ。理解、しがたい。
「もうわたし、一ヶ月もここに監禁されてるんだ」
……よく見てみると、この部屋は。
ベッドは血で濡れ、ふすまと呼ばれるドアは分厚く補強され、木でできたフロアには埃が積もりすぎている。それに、やけに薄暗いし、蒸している。
「どういう、……ことですか」
「学校から帰ってるときにね、変態女に捕まって、さらわれちゃったの。ほら、見てよ、これ」
彼女は、拳銃を突きつけられたまま、かけぶとんをめくってみせた。その両足は――2020年の技術で、たしかに、拘束されていたのだった。……物理的に至極シンプルな理屈の、足かせ。
「もう、どこにも行けない。待っても待っても、警察も来ないし。わたしは……あの女から、いいようにされて」
その、歪んだ表情に。
私はふと、今朝も見てきた最新ニュースを思い出した。
殺意異常集団の、弱者に対する大虐殺。時空警察はすぐさま、異常集団のメンバーの遺伝情報を抹殺することを決定した。原因となる遺伝情報の持ち主のなかから、とくに決定的な者をピックアップし、迅速な抹殺対象とする。
私は今回それで、この人間の抹殺を任された。指定は、2020年の夏。いちばん、対象を殺しやすいタイミングなのだと説明された。
急に、耳にうるさく感じるものがあった。
ああ。これが、蝉の大合唱というものか。夏を象徴していたという――。
「あーあ。夏にやりたいこと、いーっぱいあったのになあ――」
殺さなければ。
そう、殺すんだ。教科書でなんども予習した。
それなのに――私の指は、私の言うことを聞いてくれない。
「ねえ、せっかくだから、わたしたち友達にならない?」
「友達?」
「おしゃべりしようよ。もうすこししたら、変態女が帰ってくるから、それまででいいから、そのときに殺して。ねえ、名前はなんていうの?」
「名前、……名前?」
私は、戸惑った。会話など、している場合ではない。でも――あまりにもイメージと違う、まるでふつうの人間みたいなターゲットに、私はどこか圧倒されていたのかも、しれない。
「……固有番号
「えっ、わたしたちの西暦とおんなじだね」
「時空警察で2020年を担当するから、2020と呼ばれている」
「私はね、
「言語による名前はもたない。言語による名前をもつのは、私たちの時代では、特別と認められた人間のみだ」
「へえ……」
ターゲットは、目を細めた。
「ほんと、SFみたい。そういう社会になっちゃうのかあ。……ねえ、もっと、話を聞かせてよ。どうせ殺すんだから、いいでしょ? 未来って、いったい何年後? 何者なの? 未来ってみんなそういうふうにSFっぽいスーツを着ているの――」
殺さねば、殺さねばいけないのに。
……私は、拳銃をゆっくりと、下ろした。
どうせ、存在ごと抹殺する。そう自分自身に言いわけして、……私はいつしか、この少女と、おしゃべりをしていたのだった。
ターゲット――サヤネは、しばらく私たちの時代の話を聞くと、こんなことを言った。
「なんか、ヤバいね。正直うちらの2020年も、さんざんだって思ってたけどさ。いろいろ起こるし、いろいろ詰んでるし、……おとなは子どもをさらって監禁しておもちゃにするしさ。でも、そっちの時代も、ひどいと思うよ。未来に希望、もてなくなる……」
「……そうか?」
「うん。だって、思想の自由がない、言論の自由がない、個人の自由がない……すべて政府の決定に従うんでしょう?」
「政府の決定は正しい」
「そうねえ、そっちはさあ、そう思ってるんだろうけど……でもやっぱ、おかしいと思うよ? 今回だって私を抹殺しなければ、政府に殺されちゃうんでしょ」
でも、それは、当然だ――そう言おうとしたとき、階下でガタッと音がした。いまのいままで饒舌だったサヤネが口をつぐみ、一気に青ざめる。
「隠れて!」
「……えっ、……でも」
「そうか、わたしを殺さないと、そっちが未来に帰って殺されてしまうのか。じゃあいますぐわたしを殺して、なんでもいいから、――とにかく早くここから去って、逃げて!」
トン、トン、……ドン。階段を、……のぼってくる音。
私は、引き出しに飛び込んだ。腕に巻いた次元装置で、すぐに疑似四次元空間を作成し、机の下にしゃがみ込む。次元的には私はここに存在していないわけだから、サヤネにも変態女にも見ることはできない。
「……よかった。帰ってくれた」
サヤネが、ちょっと笑って、そんなことを言ったそのとき――ふすまと呼ばれるドアが開いて、そこには、女が影のようにして、立っていた。
サヤネの笑顔は、泣き笑いみたいになる。女を見上げると、ベッドの上に両手をついて、……惨めに頭を下げているのだ。
「おかえりなさい、ご主人さま。鞘音、今日もいい子にしてました。だからサヤネにごほうびください……」
女は、むふっと笑った。
ふすまを閉めると、ずんずんベッドに近づいて、サヤネの上に、のしかかる。サヤネは泣いていた。笑ってたんだけど、やっぱり泣いていたんだ。
「ねえだから鞘音を殺さないでね」
サヤネは、女に懇願している。女は、サヤネが怖がれば怖がるほど、獣のようにむふふと笑う。
「今日も鞘音を殺さないでください……お願いします……」
ぎゅっと、拳銃を握った。
……抹殺装置は、ひとつしかない。
でも。
でも――。
「時空警察だ!」
私は、疑似四次元を解除して、女の額に向かって抹殺装置を、撃ち込んだ。
一瞬で――女の存在は、消えた。私が、……抹殺したのだ。
サヤネは、またしても、呆然として私を見ていた。
耳もとで、サイレンが大きく鳴り出す。特殊周波数だから、サヤネには聞こえない音だ。
時空警察からの、緊急呼び出し。
「……ああ」
やってしまった、と。私は、……薄汚れた天井を見上げた。
かたい木のフロアに、膝をつく。
サヤネがベッドから落ちるようにして降りてきて、私の肩を持ってくれた。
「どうして? 抹殺対象は、わたしだったんでしょ!」
「そう、私は独断で違反した。だからたぶん、……政府に殺されちゃうね」
「――ばか、ばか、ばかばかばかっ!」
「いいの。私ね、じつは、出生前から劣等って、わかってて。自分の限界も、よく知ってる。だから、正直死ねるなら早く死にたかった――」
「未来って、ばかみたい!」
サヤネは私の顔を覗き込んでいた。どうして、どうしてそんな顔をするの、あなたは、……助かったんだよ。
「未来の時代に、私は言いたい! 人間の限界、勝手に決めてんじゃねえよ! もっと個性をだいじにしろよ! おかしな時代になってんだって、気づけ!」
私の身体、……透けていく、粒子として溶けていく。時空警察の、強制送還だ。
「おかしいでしょ。私を助けて、あなたが殺されなくっちゃいけないなんて。どうにかならないの――」
「……あはは」
すべての価値観が。……2020年の価値観でしか、なくて。
「古臭い、ね」
そして――現代人の私にとっては、眩しすぎる、よ。
「あなたは、逃げてね。……この時代の警察って、私たちの時代の警察よりすこしマシだったって、風の噂で聞いたし」
「わかんない、わたし、未来の警察知らないし――」
私は、全身、存在ごと。
現代に、呼び戻された――任務失敗、そしてサヤネとは、もう会うこともないだろう。
粒子が安定して、私は真っ白な会議室にいた。
目の前には、時空警察の上層部の人間。ああ。私は見せしめとしてひどく苦しく殺される――そう思った瞬間、彼は、一気に帽子を脱いだ。なんで。それは。――敬意を示す、しるしだ。
「2020番に感謝する。未曾有の大虐殺は、期待以上に、防がれた」
「そんな! だって、私は――」
「社会におけるカシワザキサヤネの遺伝情報は、修正された。彼女の中の社会不適合性を抹殺したことで、事件は解決したのだ」
私は、喜ぶとか以前にもう、唖然としていた。
「……でも、私は、失敗して」
「いいや、お手柄だ。結果論なのだから、かまわない。時空警察は、賞与として、固有番号2020に名前を与えることとする。なにがいい?」
……私は、戸惑いながらも、すこしずつ状況を飲み込んでいく。
サヤネは、無事に逃げ出せただろうか――その答えは、たぶん。大虐殺事件が、起こらなくなった、ということで。
「……ミライ。ミライ、という名前を希望します」
「そうか。いい名前だ。もう、希望もなにも感じない、虚しい言葉だ」
「はい。絶望的で……現代社会に、ぴったりだと思って」
私は、嘘をついた。サヤネ、……漢字で書けば、鞘音、2020年の夏に出会ったあの少女との、想い出は――私だけが、心に秘めておけばいい。ミライ、そう、私はあの子にとって、きっとずっと――未来人。2020年の、夏に出会った未来人。
私は、2020年の担当。
鞘音の時代に、これからも、かかわり続ける――
急に、あのとき聞いた蝉の鳴き声が耳もとで聞こえた気がした。
もう現代では存在しない生きものたちの、夏のいのちの、大合唱。
ミライ 柳なつき @natsuki0710
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