ビリー・ザ・キッド
@Teturo
ビリー・ザ・キッド
我輩は牛である。名前はまだない。
どこで生れたかトンと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で、モーモー泣いていた事だけは記憶している。我輩はここで始めて人間というものを見た。しかも後で聞くとそれは女子中学生という、人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。
「これを私が育てる!」
我輩は、レンという人間に抱きしめられて、小屋から出された。牛というのは、脳みそが腐っても歩いているとか言われているが、本当は人間よりも知能が高い生き物である。
人間がそれを知らないのは、彼らが我々よりも知能が低いからだ。現に我輩は彼らの言葉を全て理解できるが、人間は我々の言葉を理解できない。まれに名人と呼ばれる
『ビリー・ザ・キッド』
我輩がレンから拝命した名前である。西部劇のスーパーヒーローの名前を頂戴したらしい。悪を挫き弱きを助ける義賊との事で、何とも我輩に相応しい名前である。気に入ってもいる。
だがしかし、彼が乗っていたのは牛ではなく馬であり、21歳の時に友人の保安官に撃ち殺された事は知っているのだろうか? この物事を深く考えない軽薄な性質は人間全体のものであるか、彼女の特性であるかは、まだ分からない。
南の島の中学生であるレンは、明るく快活な少女である。学校での勉強は出来ないが、牛飼いの才能は持ち合わせている人間だった。
牛は草食で体重を1トンまで増やす生き物である。睡眠時間を除く、ほとんどの時間を食事に費やす。
レンは効率よく我輩に食事を供すと、空き時間に、トレーニングを組み込んだ。主に筋力トレーニングである。そう。我輩は乳牛や肉牛でなく、闘牛なのである。
南の島のほとんどは海岸である。そこで我輩は、砂浜で毎日散歩をする。興が乗るとレンを乗せて海に入り、海を歩き回る。大きなタイヤを山積みにし、それを首の力だけで持ち上げたりもする。
レンは我輩の世話をする時、彼女の日常を一人語りで話す。学友の詳細や、家庭内での出来事など、恐らくレンの日常については、彼女の父親より我輩の方が詳しいに違いない。
小学生の頃、天然パーマであることを理由にイジメられたこと。それが理由で、しばらく学校に行けなかったこと。親戚の美容師にストレートパーマをかけて貰い、危うく登校拒否児童になることを免れたこと。
だから自分は将来、美容師になることが夢であること。
我輩にとって益体もない、どうでも良い話である。だがしかし、レンをイジメた子供の名前は忘れない。どこかで出会った時は、鉄槌を喰らわせてやろう。
彼女は中学を卒業して、同じ校舎にある高校に進学した。しばらくすると妙に落ち着きなく、情緒不安定になった。我輩の世話もそこそこに、一日中携帯を眺めたり、マニュキュアを付けたり剥がしたりしている。学友に恋をしたとのことである。何のことはない、春期発情である。
数日後。海岸を散歩中、彼女は突然泣き始めた。レンの恋は実らなかったらしい。鬱陶しいことこの上ない。もう泣くな。我輩は彼女を背に乗せ、海岸を何キロも歩いた。
家から海岸へ向かう散歩の途中で、酔っ払い運転の原付が飛び込んで来たことがあった。その時分、我輩の体重は500kgを超えていた。レンにぶつかる前に、
牛や馬にとって、足の怪我は命に関わる。競走馬などは骨折=安楽死である。
「キッドが死んじゃう!」
レンは、それから三日三晩、我輩の住居に泊まり込んだ。膏薬を貼ったり、左側に体重がかからないよう、立っている時はネットを張ったり。何、こんな怪我くらいでどうにかなってしまうほど、我輩はヤワではない。早く自分の部屋へ帰って休むが良かろう。
原付の酔っ払いから、暴れ牛云々のクレームが入ったらしいが、何のことはない。逆に酔っ払い運転が露見し、巡査にとっちめられたとのことである。後日そんなこともレンは、教えてくれた。
さて、我輩にとって記念すべき闘牛初出場の時が来た。相手は我輩より50kgは体重が重い、パンダ柄のヘレフォード種との掛け合わせ牛である。これは生き物として仕方がないのであるが、我輩はオスの牛を見ると無性に腹が立ってくる。相手だって同じようなものだ。
縄張り争いやメスの取り合いなど、様々な理由を付けられるが、そんな事はどうでも宜しい。目の前のオスをなぎ倒したくなるのだ。
試合には勢子と呼ばれるセコンドが付く。勢子は闘牛経験が豊富なベテランが務めることが多い。相手の呼吸や技をかけるタイミングを的確に教えてくれるからだ。
我輩の勢子はレンである。間違ってぶつかったり、牛の下敷きになったら大怪我必死である。周囲は大反対したが、彼女は聞き入れなかった。仕方がない。早期に決着を付けてやることにしよう。
「ヒヤァーイ!」
勢子の掛け声で試合開始である。パンダは軽快な足取りで
案の定、パンダは逃げ出した。闘牛は逃げた方が負けである。何のことはない。あっけない勝負だった。
「ヤッター! キッド最高!」
我輩の首っ玉にレンがしがみつく。勝っても負けても失恋しても、泣きわめく女子高生という生き物には、全く辟易させられる。
レンは三年生になってから一時期、元気が無くなった事がある。彼女は美容師になる夢があるのだが、南の島には美容専門学校が無い。島を離れて3年間、ミッチリ勉強しなければならない。
「キッドと別れたく無いよ」
バカなことを言うものでは無い。人間は成人したら自立しなければならない。美容師になって、自分のように困っている人を助けたり、笑顔を引き出す仕事をしたいと言うのなら、島を離れるべきだ。
この時ほど、人間の知能の低さにウンザリしたことはない。6年間、修学旅行の時以外、いつも我輩の世話をしたのだ。もう十分であろう。
レンが島を離れる当日の明け方、我輩の部屋を訪れたのは、レンの父親だった。徹夜で泡盛でも呑んでいたのだろう。濃厚な酒気を漂わせ、我輩の横に立つ。
父親の風体は悪相である。カニのような短い手足に、分厚い胸板。赤鬼のような顔には、絨毯のようなヒゲが付いている。この血統から、どうしてレンのような娘が生まれたのか、トンと見当がつかぬ。交配の妙味と言うべきであろう。
「これから三年間はー。
それから父親はレンとの思い出話を始めた。彼女が生まれて来たとき大変感動したこと。初めて学校に行ったとき、娘より自分の方が緊張したこと。反抗期でレンが口を利かなくなっても、家族の洗濯物などはキチンと洗ってくれたこと。三年間会えなくなることが、身を切られるように寂しいこと。
人間は時に勝手なことを宣うものだ。乳牛など、生まれた瞬間に母親から引き離される。十八年も一緒に暮らせたのだから、それで十分であろう。
・・・それに三年後、レンが本当に島に帰ってくる保証など、何処にも無いのだ。
「あれ? キッドが泣いといん。牛って
人間より知能の高い我々である。笑いもすれば泣きもする。だが今は悲しくて涙を流したわけでは無い。眼球に虫が入り込んだからだ。断じて悲しいわけでは無い。
レンが島を離れてからの三年間に、特筆すべきことはない。レンの父親は、熟練の牛飼いであったから、我輩の生活は至極快適であった。試合の方は勝ったり負けたりした。 勝率?
肉牛として出荷されなかったのだから、勝ち越してはいるのだろう。どうでも良いことである。基本的に我々は、平和を愛する高貴な生き物である。しなくても良い闘争は無いに越したことはないのである。
どうやらレンは三年で学校を卒業できる事になり、島の親戚の店で働く事になったようだ。親戚の美容師は大分高齢だから、ゆくゆくはレンが店を継ぐのかもしれない。
「キッドにはレンが帰って来るくとぅー、内緒にしておこう。喜ぶんかやー?」
そんなことを話しながら、我輩のブラッシングをしている父親は嬉しそうだ。彼女の情報は彼から全てダダ漏れである。サプライズにもなりはしない。
彼の話では、3日後の定期便でレンは帰ってくるらしい。彼女の部屋の掃除や、歓迎の準備をイソイソとしている家族も嬉しそうである。
ガタン。
突然、我輩の部屋の扉が開いた。我輩の世話をしている父親は、ここにいるのだから、それ以外の人物が入り込んでくることは、かなり珍しい。何か髪の長い、柔らかい生き物が、我輩にしがみ付いて来た。
「キッドー。帰ってきたよ!」
「レン! 帰って来るのー、3日後だろ」
「えへへ。サプライズでした。キッドを驚かせたくて」
「キッドは、アンタが、いつ帰ってくるか分からないんだから、いつでも
「お父さんが世話をしていたんでしょ? そしたら私がいつ帰ってくるかキッドに話したでしょ」
「それはそうやんしが。牛に何を話したって、それは
「キッドは私たちの話が分かるんだよ。知らなかった? ほら、嬉しくってキッドが泣いてる」
我輩が、人間の言葉が分かると知っていた上で、この娘は・・・
・・・断じて泣いてなどいない。眼球に虫が飛び込んできただけである。
やれやれ。また賑やかな日々がやってくる。全くもってウンザリだ。
ビリー・ザ・キッド @Teturo
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