最終話 新しき索引語

 僕は、パワーポイントのデータを開けている時に、自分の手が少し震えていることに気がついた。

 僕の第一声は、「僕……僕は図書館が好きです」だった。

「とんでもなく給料は安くて、最低賃金ぎりぎりなんです。でも、図書館が好きです。人が好きだからかもしれません。本を借りていく人はこれからその本を読んで、楽しむんです。そうして楽しんだことを社会の中の自分に生かすんです。それを想像するとわくわくします。力になれている。僕なんかでも力になれている。そう思えるからです」

 僕のパワーポイントは、タイトルと、もう一ページと、終わりの、三枚だけだった。

「これからの図書館の仕事は、もしかしたら、すべてAIがするかもしれないです。インターネットが普及して、どんなことも自分で見つけられるようになるし、司書の仕事は……なくなるかもしれないです。そう、僕は考えてます。いつまで仕事を続けられるか……それか、よほどの専門家になるか……」

 僕は、途中で喉がからからになり、唾を何度か飲み込んだ。

「本も、電子図書館ですべてのデータが一冊になっていくって……司書の資格を取る時に習いました。文献を渉猟する手間は少なくなるけれども、全ての本が一冊になったら、その時、どうなるのか。そして世界中の情報を整理するのもAIで、人の出番は、図書館においてはなくなる。勉強しながら、そう思ったりしました」

 満寺君の顔が見えた。真顔だったので少し安心した。心の中では鼻で笑っているのかもしれないけれど。

「このビデオテープ」

 と言って、僕は、パワーポイントのページを進めた。ビデオテープの写真が一枚、載っているきりだった。

「このテープは、とても重要な問題を含んでいるんです。資料として、登録されてるんですが、死んでいるのか生きているのかわからない。僕は“お化け”と呼んでいます」

 その瞬間、教室中に笑い声が響いた。僕は少し話すのに間を置いた。見渡すと、笑っていないのは先生だけだった。

「無駄なものを保存するのが図書館の役割と言った人がいて、その通りなんです。これもそうかもしれない。いつか、このビデオテープを使う人がいるかどうか。もう、再生機器もなくなっていきます。それで気がついたんです。先生の言いたいことが」

 先生は、少し不安げな顔になった。首を傾げていた。

「これは、このビデオテープは……」

 教室がすこし静かになった。

「僕たちにとって、立ち向かわなければならない、幽霊です」

 先生がここで笑った。教室は静かだった。みんなの頭の上に?マークが浮かんでいるようだった。僕の耳に、各机のパソコンの駆動音が聞こえるほどだった。

「僕はメディアの歴史の問題だと思って、先生の話を聞いていました。でも、そうじゃないんです。これは」

 僕はもう一度、カラカラの喉で唾を飲み込んだ。

「オーラルヒストリーの記録なんです。とある村の、村長さんでしょうか。とても大切な証言なんです。それで、僕はこのテープの内容を、この大学近くの町中の人に聞いて回りました。勇気を出して、知らない人に、片っ端から。昨日、スマホに撮ったビデオを見せても見せても、みんな、誰? どこ? 言ってることがバラバラなんです。結果は……。誰も知らないんです。でも、重要なのは、僕はこのビデオテープの問題が出されたとき、地元に行って電気街でいろんなおじさんと話をしました。ビデオテープが将来なくなるとか世間話です。それを全部記録して、いつ、どこで、だれなのかを残していったとき、このビデオテープが、まったく何も残していないことに気がついたんです」

「うん」

 先生の声だった。僕は、そのまま続けた。

「これは……このビデオテープは、図書館で、死蔵されている、どころか、死んでいるものでも生きてるものでもない。AIだって対処できない。だれか、未熟な人が残した記録なんです。いったいこの人は誰なのか、何の記録なのか、まったくわからない。でも、。貴重かもしれないから、とりあえず残してある、不明資料なんです。これを先生は僕に見せてくれました」

 次のページに進むと、「おわりに」がいきなり出てきた。長いパワーポイントを皆が作っている中で、一番シンプルなものだった。

「僕は……図書館で働いているけれど、まだ、ぜんぜん、本を読めていません。知らないこともいっぱいあります。でも、一番大事なのは……」

 教室は、僕が一番好きな朝の時間帯のように静まりかえった。薄く錆びたような、コンピュータの匂いがした。心地よかった。

「大事なのは……お化け退治をすることだと思います」


 発表の日が終わって、翌日の日曜日。先生がロジックツリーやメラビアンの法則や強制連結法といった教育工学の話を早足でして、授業は終了した。

 デジタル・アーキビストの資格証明書は後日郵送されるという。

 あっけないものだった。


 林さんが主導で飲み会の参加費を集めていた。林さんは「会費四千円」と、四本指を立てて、受講者から回収していた。先生は来ないという。

 帰り際、教室で「これから、君はどんな勉強をしていくのかい?」と先生は僕に言った。

 僕ははっきりとは答えられなかった。大学を出ろとか言われるのではないかと思った。しかし、違っていた。

「君は、よく映像を細かく記録に残していたね。ビデオテープの映像を君がスマホで録画して急いで見せて回った時の、商店街のおじさんおばさんのコメントまできちんと記録して。氏名まで聞いて。いやはや、参ったね。君の提出したUSB。驚くべきものだったよ。それにね、あの電気街のインタビューは大事にね。あ、将来データベースに使うなら、ちゃんと許可書を作ってサインもらってきなさいよ。石威君、君はね、お化け退治のスペシャリストなんだから」

 先生は僕の肩をバンと叩いた。

「お化け退治……」

「そう、君の言葉じゃないか。君の作り出した言葉だよ」


 先生と同じエレベーターで一階に降りた。一階の玄関では、満寺君が飲み会会場に僕を案内するために、わざわざ待ってくれていた。

 先生が車に乗り込むのを見送った後、僕はすかさずスマホを取り出した。

 あのビデオテープの写真に、「お化け退治」と新しい索引語インデックスを付け加えた。




 飲み会が終わって、JRの電車内で、ホッとした気持ちでメールを送った。

《上月さん、無事にすべての講座が終わりました。晴れてデジタル・アーキビストです》

《お疲れ》

《お化け退治ならおまかせください》

 僕はきっとケチョンケチョンに言われるだろうことを期待してメールを送った。

《あーなるほどね。じゃ、退治してほしいものがあるの》

《なんでしょうか》

 少し嫌な予感がしながら、返信する。今日は返事が早いし、妙に話を聞いてくれる。「お疲れ」というねぎらいの言葉自体、異常なことだった。

 彼女から、珍しく長めのメールが届いた。

《彼氏のね、退治をしてほしいの。ただメモリから消すだけじゃない。彼と私との膨大な記録を、アーカイブにして、一大記録をネット世界に永遠に体系的に残して欲しい。ダンスの記録も。講義で習ったでしょ? 残すのよ、全部。彼氏と私が踊り狂い、別れていくところを複数台のカメラで記録しなさい》


 僕はスマホのディスプレイをそっとオフにした。

 大阪に帰ったら、どんな風に断ろう。吐いたため息で、窓が白く濁った。


 


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