第6話 ビデオデッキがないといけないですよね
プレゼンに向けてコツコツ準備しつつも、出勤はし続けなければならない。若干の寝不足で、あくびが止まらない。レッドブルを身体の中に流し込んで、地下鉄を上がり、図書館の職場にたどり着く。
職場でOPACの入力作業をしていると、上月さんが隣に座った。機嫌はまだ悪そうだった。上月さんの彼氏は筋骨隆々のダンサーで、僕はよく知らないけれど、わりと有名なグループの後ろで踊ってたりするらしい。その人と喧嘩したという。原因は不明。腹が立って仕方なくてせっかく僕にメールしたら、僕から「助けてください」なんて返ってきた。がっかりすること甚だしいだろう。僕は己の判断力や勘の悪さを呪った。
ビデオテープ問題の助言どころじゃない空気が漂っているので、「あの……それで……金曜日、以前お伝えしていた通り、お休みいただきます……」と絞り出すような声で伝えた。
「うん」とだけ上月さんは言った。
スマホ画面の上を、高速で上月さんの指が動いている。目は画面を見ているようで見ていない。率直に言えば、目が死んでいる。
「わたしってな、好きになるとこう、やから。こう、やから。わかる? こう」
上月さんは、顔の横に手を置いて、まっすぐチョップをするしぐさを何度もしながら、「こう」と言い続けた。
「すみませんでした、なれなれしく、助けてくださいとか。甘えてました」
恐る恐る言うと、上月さんは「あんなぁ、ビデオテープでもなんでもいいけどなぁ。本ってマジで便利なメディアやなぁ。人間の体っぽいやろ? このページの開きって。もう身体やん」と突然言った。僕はわけが分からず黙ってしまった。
「ビデオテープってなぁ。なんだか寂しいよなあ。固いし、黒いし……」
「そう……ですかね」
「本を読むには私がおればええけど、ビデオ観るには」
「ビデオデッキがないといけないですよね」
「馬鹿、何もわかってない。もう資格落ちろや」
がっくりうなだれてからしばらくして少し腹が立ったけれども、上月さんの言葉を僕は何度も噛みしめていた。
「少し腹が立ちました」と僕は言って、トレイ休憩に立った。便座に腰を下ろしながら、「ビデオ観るには……ビデオ観るには……」と何度もうわごとのように呟いた。
金曜日の朝早くに僕は大学を訪れていた。
先生は、明日に備えて授業の準備をしていた。続々と課題データが送られてきているようだった。短いプレゼンとはいえ、発表者は二十人近くもいる。
先生は僕の顔を見た途端、少し驚いたと同時に安堵した顔になった。
「やってきたね」
「はい、お休みとりました」
「うん、そうか。それはそれは」
先生は満面の笑みだった。声のトーンが一段階大きかった。
「もう一度ビデオテープを観たいのですが」
「どうぞどうぞ」
僕は、スマホの撮影機能で、テレビ画面越しにVHSの映像をきっちりと録画した。画面を撮ってのダビングだ。それから、先生にお礼も言わず急いで大学から出て行った。
プレゼンの発表会は一日かけて行われた。
髭を剃って、身なりを整えてきた道田さんは「私は初めて挫折しました」の一言からプレゼンを始めた。ピラミッドに「最近の若い者は……」と書いてあるかどうか。エジプトに関する参考図書や、博物館に問い合わせても、どこにも載っていない。ネットを検索しても、根拠となる文献は一切ない。先生にヘルプをもらい、柳田国男の著作で『イギリスの老教授との対話のなかで柳田が教わった内容』と紹介されているのを見つけた。「その教授の著作にあたらないと」と思ったが、それ以上どうやって調べたらいいのかわからず、また先生に聞く。と、教授の著作がグーグルで電子化されたものが出てくるという。そこから、エジプトの話を探さなければいけないが、膨大な量だ。「昔の記録の出どころにたどり着くには、相当な作業が必要なんだなあと。地道な作業、粘り強い調査が必要だと感じました」で、拍手で終わった。日本中を記録すると言っていた道田さんは、少しうなだれていた。
林さんの番になった。「月々に」ではじまり、月がたくさん出てくる和歌を調べなさいという問題だ。『新編国歌大観』にあたっても「月ごとに」しかなく、「月々に」で始まるものはなかったので、狂歌かもしれないと推理すると、『狂歌鑑賞辞典』に「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」があった。
「最初、先生は調べかたの難しさを伝えたいかなあと思ったのですが、この月の月って言葉が私、大好きになっちゃって。アーカイブの仕事をする時、写真を撮る時、この狂歌を口ずさみそうです」と楽しそうに言った。
「月って出る度にそれは二度とない月で。月をアーカイブしようとしたら、月そのものは大きすぎて保管できないし、誰かの描いたその月を保管するんだなあって。手が届かない場所にいつまでもあって、記録していくしかない。こんなに親しんでいるのに遠いなあ、寂しいなあってわかったんです」
次に登壇した満寺君は「とんでもない問題でした」とにやにやしながら、ネクタイを触りながら言った。髪も綺麗に刈り揃えていて、気合いの入りようが分かった。『うそつくらっぱ』について調べてみたが、どんな本か何も分からない。本自体が宮部みゆきの創作の可能性がある。インターネットはもちろん、『児童書総合目録』『児童文学全集内容綜覧作品名総覧』『児童文学テーマ全集内容綜覧』『日本児童文学大事典』どれもダメだったという。
「私はとあるバーで飲んでいたんです。そこで宮部みゆきの事務所で働いている人の知り合いと会いましてね」と胡散臭いことを言い出した。「宮部みゆきさんは、物語の重厚さを出すため、チームで書いていてね。助手は、登場人物のサイドストーリーを書いたりして、物語に重厚さを持たせるんです。この『うそつくらっぱ』はね、おそらく宮部みゆきチームの誰かが、本体の作品に重厚性を持たせるために書いたものではないかと思うわけです」
おおっと会場が沸いたが、満寺君は続けて「それで得意になって先生に言ったんですが、で、その根拠は? と一言返されただけです。さすがに宮部みゆきの事務所に電話はしていないです。しないとだめなんですけどね。どこまでも追いかけて調べる。アーキビストなのだから、とことんやる。ここまでにしておこうなんて、妥協しない。それに、噂で判断をしない。藁にも縋る思いになってはならない。よく反省いたしました」と、頭を掻いた。
満寺君の話振りに笑いが起こり、拍手となった。
皆、すらすらと言葉を述べていた。何度も拍手が教室中に響いた。
いよいよ僕の番になった。
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