後味の悪い話。

朝乃雨音

第1話少年は大人になる。

 ある夏の盛りの日に、私は町を歩いていた。


 田んぼや畑の多い私の地元。家や店が少ない訳ではないが疎らで、二車線の国道を走る車も少ない。そんな町を暇を持て余した私は散歩していたのである。


 久しぶりに帰った地元の町は私の知る物とは一変していた。


 昔遊んだ公園も、寄り道した駄菓子屋も、その全てが新しい建物へと生まれ変わり、しかし、私はその様子に寂しさのようなものをそれほど感じず、それどころか、変わりゆく町の姿に安堵したのである。


 まるで模様替えをした自室を眺めているような、そんな満足感が私にはあった。


 気分の良くなった私は適当なスーパーに入って昔は苦手だったトマトを一つ購入した。今にも弾け飛びそうなほどに膨らんだ真っ赤なトマト。店先でそれに齧り付くと同時に野菜特有の酸っぱい甘みが口の中に広がる。


 美味しい。そう思うだけで私を悩ませていた憂鬱がいくらかマシになってきたように思え、その程度で紛らわされる心の不安定さに可笑しくなって小さく笑った。


 それから私は暫く町を歩いた。


 気の向くままに見知らぬ町の慣れた道を闊歩し、そしてふと横目に見えた一枚のポスターの前で立ち止まる。


 眉間に皺を寄せ見つめるそのポスターには東京オリンピック2020と書かれており、私はそのポスターを剥がしてくしゃくしゃに丸めてから近くにあったゴミ箱に投げ捨てた。


 中止になったオリンピック。このオリンピックの仕事がなくなった為に私の会社は倒産し私は地元に戻る事となったのである。


 先程までの幸福感が蜘蛛の子を散らすようにして逃げていき、忘れていた憂鬱が再び私の心に立ち込める。


 私はいつもそうだ。


 上手く物事が運びそうになると何かに邪魔をされる。仕事も今回が上手くいけば一気に伸びるはずだった。それなのにどうしてこうなってしまったのか。


 しかし、どれだけ嘆いても現状は変わることがなく、やりきれない悔しさだけが苛立ちとなって積もるだけであることも分かっている。


 不運だったのだ。ただただ不運なだけで、地道に積み上げればいつかは花開く。と、自分に言い聞かせながら私は町の外れにある森の中の神社へと向かった。


 子供の頃に良く遊んだ森と神社。鬱憤をぶつけるようにして長い階段を駆け上がると、昔から一つも変わらない景色が目の前に広がった。


 老朽化はしているもののこの神社は私の良く知る神社である。


 そういえば、ここで良く遊んだあの子はどうなったのだろうか。と、私は1人の少女の顔を思い出す。


 仲の良かった早希という名の女の子。小学生の頃の記憶で曖昧だが、確かこの神社で初めて出会い、それが私の初恋だった。顔の左側に火傷の痣があり、しかし、子供の頃の私はその痣が何か特別な物のように見え好きだったのを良く覚えている。


 今思えば女の子にしては可哀想な痣だったが、それでも私にとってはそれが私と彼女を結び付けた絆だった。


 懐かしい思い出に浸りながら私は神社とその周りに広がる森を散策した。変わらない森は私の心を童心に戻し、疲れた心を癒してくれた。しかし、私はもう子供ではない。


 悲しいかな、現実は私を見逃してはくれないのだ。見逃してはくれないけれど、この楽しかった過去のおかげで、彼女のおかげで私は今もこうして生きていられる。


 森の中で、私は一つため息を吐いた。


 彼女もどこかでしっかりと生きているのだろうか。そう思いながら家への帰路につこうとしたその時、視界の端に何かが見えた。


 大きな木に括り付けられたロープとそこにぶら下がる人影。


 心臓の鼓動が急に耳元で響きだし、私は唾を飲み込んだ。


 細い体に黒く長い髪、肌は白く透き通るようだった。恐る恐る近づくと、陽に照らされ影になっていた顔が見えてくる。


 顔の左側にあるのは火傷と思わしき痣。まさかと思って急いでその死体に駆け寄るが、その顔を見ても成長している為かそれが彼女なのかは分からなかった。





 その後、私は警察に電話してから救急車を呼んだ。しかし、女性は既に死体であり助かることはなく、その死体も身元不明の浮浪者のものであると警察からは聞かされた。


 結果として死体が誰なのかは分からず、私にはそれが彼女でないことを祈る事しか出来なかったのであった。

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後味の悪い話。 朝乃雨音 @asano-amane281

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