干戈に消ゆ
さかな
本文
ひらひらとはためく旗下。すべてを見渡せる崖の上で、一人の将がじっと敵軍を見つめていた。広大な平地に広がる軍勢は約四万。見事に統率された騎兵と歩兵が静かに進軍する。対する味方はたった一万ほどしかいない。圧倒的に敵軍が有利な状況において、討伐軍の旗頭を務める
「……
名を呼ばれて首を垂れたのは、体格以外はよく似た顔の男女ふたりだった。明花の副将である彼らは一礼し、すべて準備はできていますと告げる。それに満足げにうなずいた明花はそろそろ行くわ、と馬首を返す。
「――
「もう一度、使者を送れば――」
「私の首を差し出すから
ためらいがちに告げた二人の言葉を明花は一蹴した。戯言ならもう聞かないわよ、と怒りをあらわにする主に必死で頭を下げて、それでも二人は食い下がる。
「
「ええ、黎凛は私の幼馴染よ。幼いころから馬首を並べて一緒に育ったわ。けれど、どれだけ仲良く育っても、私たちの家は仕える主を違えた。いい加減、諦めなさい」
声を荒らげて叱ると、二人は申し訳ありませんでしたと項垂れた。明花もわかってはいるのだ。心優しい彼らが、自分のことを思って進言をしてくれているのだということを。それでも、こうなってしまってはもうどうしようもなかった。
それでは私たちは最終確認を、と告げて下がった二人を見送り、明花は再び敵軍のほうへと向き直る。はるかかなた、敵将がいる場所を見つめて明花は小さなため息をこぼした。
「黎凛……あなたは、昔の約束を覚えているかしら」
ゆるりと脳裏によみがえる昔の記憶。懐かしさと寂寥の両方の感情に満たされながら、明花はそっと愛馬の
それは、十三歳の誕生日にふたりそろって鎧と馬をもらった時のことだった。
『明花、手合わせしよう!!』
『いいよ、じゃあいつもの場所までどっちが先に着けるか勝負ね!』
もらったばかりの鎧を身に着け、馬に素早くまたがり我先にと早駆けする。頬に当たる初夏の風がひどく心地よかったのを昨日のことのように覚えていた。
明花は徐州を治める明家、黎凛は徐州の北に隣接する青洲を治める黎家に生まれ、それぞれ幼いころより武芸の腕を磨いてきた。そのころまだ敵対しておらず、交流もあった二つの家は同じ年ごろの娘を持っていることもあり、親密に交流を重ねていた。奇しくも同じ月に誕生日を迎える二人は毎年そろって同じものを自分の父たちにねだることが多く、今年もそうやって贈ってもらったのが鎧と馬だった。
『黎凛、私の勝ちね!』
『明花は本当に馬の扱いが上手いわね。でも、剣の使い方なら負けないわよ』
『私だって負けないわ!』
馬から飛び降りて、お互い剣を構える。先に動いたのは黎凛だった。軽やかな剣閃を見切ってそれを受ける。同時に後ろに飛び、今度は明花のほうが切りかかる。だがあっさりかわされ、体勢を崩したところで足払いをかけられた。とっさに飛びあがり、そのまま体をひねって剣を振りかぶる。ぎぃん、とお互いの剣がぶつかる音に、二人は楽しそうに笑みを浮かべた。
『明花、また腕を上げたわね』
『黎凛だって、体さばきがさらに上手になったわ』
ふふ、と笑って黎凛が剣を払う。その動きに持っていかれないよう受け流して後ろへ下がった明花に、さらに追い打ちをかけるように黎凛はにじりよる。そんな手合わせをお互いの体力が尽きるまでやってから、二人でいろんなことを語り合うのが何より楽しかった。
日が傾いていよいよ帰るころになり、後ろ髪をひかれながら馬にまたがったときだった。不意に黎凛が真剣な顔で明花の名を呼んだ。
『明花。あと何回、私たちはこうやって手合わせすることができるかしらね』
『そうね、今は私たちの家は仲が良いわ。でもこんな世の中だから、いつ敵同士になるかわからない』
『ええそうね。北の
『私たちの家はそれぞれ中立を保っている。けれどそれもいつまで続くかしら。もしかしたら、お互い違う主を選ぶかもしれない。そうなったら……』
そこで明花は一度言葉を切る。そんな未来は来てほしくない、と思った。いつまでもこうやって共に馬首を並べ、腕を競っていたい。そうして願わくば戦う時が来ても、同じ方向を向いて戦っていたい。そう、思ったけれど。
『約束して、黎凛。もし、私たちが敵同士になったら――』
そうして零された言葉に、黎凛はしっかりとうなずいた。絶対よ、と念おしする明花に笑って黎凛は己の剣をすらりと抜き、そっと剣先を傾ける。
『この剣に誓うわ。決して約束は破らない、と』
私が約束を破ったことあるかしら、と微笑んだ黎凛に明花もまた剣を抜き、そっと交差させる。きん、とかすかに剣身がこすれあう音が誓いの証だった。
『我らが未来に敵対することあらば、命尽き果てるまで戦い抜くことを誓う――』
そうして明花と黎凛は並んで馬を駆り、元来た道を戻ったのだった。
「本当に、そんなことになってしまったわね……」
ぽつりとこぼされた言葉を聞くものは誰もいない。交戦の時はひたひたと確実に近づいてきていた。かつての親友は今や徐州を脅かす敵である。あの日の言葉通り、黎家は北の寧王、明家は南の藩王の配下となり、二家の者たちは皆勢力争いに身を投じることとなった。前線へ出征した父と兄を見送り、徐州の留守を任されて二か月。青洲の軍勢が徐州の境を超えたと早馬の報告を受けた明花は弟へ後を託し、真っ先にその軍勢を迎え撃つべく軍を編成して徐州の境へと向かった。黎家が指揮する軍が徐州を侵略するならば、必ずその将は黎凛である。そんな確信があったから。
「さあ白月、行きましょう。黎凛と黒陽が待っているわよ」
主人の言葉に短くいななき、陣幕をはっているところへ戻る愛馬の背に揺られて、明花はそっと思い出に別れを告げた。戦いを前に、心を揺らしてはいけない。戦場ではそれが命取りになるということを、明花はよくよく知っている。
そうして、戦いの火蓋は切って落とされた。
地の利を生かし、明花が指揮する軍勢は青洲四万の軍勢と対等に戦った。左翼を狭い谷間に誘い込んで火矢を射掛け、右翼は少数精鋭で固めて切り崩す。明花も人馬入り乱れて戦う戦場の最前線で指揮を執り、幾人もの兵をなぎ倒した。絶対に黎凛のもとへたどり着くまでは倒れてなどやらぬ。その固い意志のみで戦場を駆け抜け、彼女のもとへとたどり着いた。
「待っていたわ、明花」
明花と同じ鎧を身に着け、戦場を駆る彼女はそういって微笑んだ。凛と背を伸ばす美しいたたずまいは今も昔も変わらない。その声も、姿も、すべて明花が覚えていた彼女そのままだった。
「黎凛。あの日の約束を覚えている?」
「忘れたことなどあるものですか。だから私は今ここに立っているのよ」
黎凛はあの日と同じ微笑みを浮かべて、明花と対峙する。まるで昔に戻ったような錯覚を抱きながら、明花は黎凛とともに剣を抜いた。
『我らが未来に敵対することあらば、命尽き果てるまで戦い抜くことを誓う――』
二人同時にその言葉を口にして、剣を振りかぶる。お互いの命運をかけた戦いにもかかわらず、明花の心はひそかに震えていた。どんな形であっても、黎凛と剣を交わせる。そのことが、何よりの喜びだったから。そうして剣を交わすかつての親友の表情に、彼女もまた同じ想いを抱いて戦っているのだと確信したのだった。
人馬の屍が倒れ伏す野に、一人の女が立っていた。そこかしこで血と焦げた肉のにおいが立ち込め、足の踏み場もないほど敵味方の遺体が転がっている。その中から一人の体を抱き上げ、傍らに伏す白馬の
黎将軍、と部下がとがめる声を振り切って、女は馬を駆って走り出した。しばらくして山の中へと入り、少しばかり見晴らしのよい高台で馬を止める。徐州と青洲の境目にあるこの山は、かつて黎凛が明花とともによく訪れた場所だった。
黙々と墓穴を掘り、運んできた遺体を横たえる。血と土埃にまみれた彼女の顔をそっと手巾で拭い、懐から取り出した白馬の鬣を握らせてから土をかけていく。幸せそうに微笑む彼女の死に顔を脳裏に焼き付けて、黎凛はかつての親友を葬った。
「明花。ここなら徐州も青洲も見渡せるわ」
二つとも見渡せるからここの景色が一番好きなの、と嬉しそうに黎凛に語った友はもういない。引き金を引いたのも、それを終わらせたのも黎凛だった。
徐州攻めを父が決めた時、黎凛は自らその指揮をとることを願い出た。青洲軍が徐州を攻めれば、必ず留守を任されている明花が徐州軍を率いて迎え撃つはずだ、という確信があった。そうして彼女は黎凛の読み通り軍を率いてこの地へ来た。かつての約束を果たすために。
「来世でもし、私と出会えたら……あなたはまた、手合わせをしてくれるかしら」
墓石に見立てた小さな石を見つめて、黎凛は一粒涙を落とす。
「
今度はあなたと同じ方向を向いて生きていきたい。そんな願いを込められた言葉はそっと風の中へと溶けて消えていった。
干戈に消ゆ さかな @sakana1127
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