第35話 仕返しだよ?

「誕生日おめでとう!」


 誕生日──それは人間誰にもある1年の一度の記念日。


 俺にとっては自分が確かに生きていることを自覚する、ある意味自分の存在を証明してくれるような日だった。だけど今年は。


「せっかくのパーティーなんだからそんな暗い顔しないでよ。ほら、お酒持ってきたから」


「飲まない」


「辛いときは飲んだ方が楽になるわよ。私も失恋したときはたくさん飲んで忘れたもんよ」


 ……こんなとき、里美がいたらはっきりダメって言ってくれるんだろうな。


 今年はどんな言葉をかけられても自分が生きている気がしない。長年、一緒に過ごしたあの子はいない。


 小学生のときから一緒だった。その頃からずっと好きだった。事故して離ればなれになってもまた俺のもとへ来てくれた。それから一緒にピアノを弾いて、お祭りに行って、コンクールに出て、花火を見て、文化祭に出て。そのあと俺に好きって言ってくれた。俺も好きって言った。そうして俺たちは本当の意味でまた一緒になれた。フランスに来て2人暮らしをして。その間にたくさんハグやキスをした。約束を果たせたら結婚しようってずっと思ってた。


 なのに俺は、たった一言ですべてを終わらせてしまった。本当は里美のことが好きでたまらないのに、嫌いと言った。


 言葉はナイフだ。使い方を誤れば、簡単に大切な人を失ってしまう。


「ごめん里美っ……」


 何であんな嘘をついてしまったんだろう。俺は何度も何度も後悔した。でも後悔したところで彼女は戻ってこない。


 その後悔は涙を誘った。不意に喉元を突き上げる泣きの衝動。俺はその姿をエマに見せたくなくて顔を覆った。

 そんなとき、誰かが俺を後ろから抱きしめる。


 エマ、何を……そこまで口が動いたところで俺は真実を知った。




「バカ。私がこんな大事な日を忘れるわけないじゃん」




 甘く澄み通った声、彼女から香るラベンダー。俺はその人物を嫌というくらいに知っている。


「里美……⁉︎」


 そこにいるのは……イタリアに行ったはずの里美だった。



「何でここに……⁉︎ イタリアは? 公演は⁉︎」


「私、行くなんて一言も言ってないよ」


 そう言われて俺は喧嘩した日のことを思い出す。


(審査員の中にイタリア公演に誘ってくれた人がいたの。でもね私……)


(それいつだよ⁉︎)


(え? 来週からだけど)


「そういえば……。じゃあ断ったのか」


「うん。私は純くんをおいてどこかへ行ったりなんかしない。私はいつでも純くんのそばにいるよ」


 里美はそっと俺の頭を撫でた。


「やっとメインヒロイン登場ね」


「待たせてごめんね、お姉ちゃん」


「いいよ。ドッキリは成功したみたいだし」


 ……ドッキリ? そうか……だからイタリアに行くフリをしたのか。


「じゃあ3人揃ったし、ケーキ食べよ?」


「私はいいわ。2人で楽しんで」


「え、でも……」


 里美は引き止めようとするが、


「やっぱりカップルの邪魔はできないから」


 エマはそう言い残して去っていった。


「2人になっちゃったね」


「まあ最初は2人で祝う予定だったし、いいんじゃないか」


「それもそうだね」


 里美は柔らかな声で言う。


「お誕生日おめでとう」


 それから俺たちは約束通り、2人で弾いて、2人でケーキを食べて、2人で過ごした。それがどれだけ幸せな時間だったか、言葉じゃ表せない。


「それじゃあ再出発だね」


「そうだな」


 里美とは差ができてしまった。おそらく今の俺じゃ彼女の足元にすら及ばない。だから追いつくまで、気が遠くなるほど練習しないといけない。だけどそこに不安や焦りはなかった。


「ケーキ食べ終わったら練習に付き合ってくれないか?」


「もちろん!」


 なぜなら彼女は俺を待ってくれているから、彼女はずっと俺のそばにいてくれるから。




◇◇◇◇◇




「合格よ。良い演奏になったわ」


「本当ですか! ありがとうございます」


 後日、俺はエリアーヌ先生に認められた。

 里美に比べればまだまだだけど、これは大きな進歩だ。


「良かったじゃない」


「ああ、エマか」


「これで里美との約束? も果たせそうね」


 満足そうな様子でエマは言う。


「ありがとうな。里美のあのドッキリもエマが発案したって聞いたし、エマがいなかったら俺は今頃ずっと後悔してたと思う」


「別にいいわよ。私は2人の笑顔が見たかっただけだし」


 あの日を境に、エマは物静かな女の子になった。俺と話す回数も減ったし、そもそも彼女が誰かと話している声を聞かない。


「もしかしてエマは俺のこと……」


 最初はわからなかった。

 なぜ彼女がここまで俺のためにしてくれるのか。でも彼女の言葉一つ一つを思い出して、俺は確信したんだ。彼女は……。


「──っ⁉︎」


 エマはいきなり俺の口を指で塞いでくる。


「その先を言ったらダメ。私たちの関係が壊れちゃう」


 1オクターブ下がった声で彼女は言った。


「じゃあね。あの子とお幸せに」


 エマは押さえていた指を離して、ハイヒールだろうか、コツコツと音を立てながら俺から遠ざかっていく。


「どこ行くんだよ」


「大学の合コン。今度は浮気しないアンドフリーな男を探さないとねー」


 ……そっか、エマも前に進むのか。俺の想いが彼女を傷つけて、正直後ろめたい気持ちもあったけど安心した。これで俺も前に進める。


「いたいた。練習終わったし帰るよ」


「了解」


 俺と里美はいつも通り、肩を並べて帰る。このいつも通りを俺は『幸せ』と呼ぶ。


「それにしてもあの日、何でドッキリなんて仕掛けたんだ」


「それは純くんが私のこと大好きなくせに別れようなんて言うから!」


「何だ、気付いてたのか。でもそれならすぐ言ってほしかったよ。おかげで死ぬかと思うほど辛かった」


「これは私なりの仕返しなんだよ。覚えてる? 純くんが私にしてくれた仕返しのこと」


「死んだフリ作戦か。懐かしいな」


 仕返しという言葉を世間は悪い意味で捉えがちだけど、俺と里美にとって仕返しは仲直りを意味するんだ。


 嘘をついて仕返しをして、そのたびに泣いて笑って、俺たちが想う気持ちはもっと強くなっていく。


 それが俺たちにとっての日常であり『幸せ』だ。

 だからこの先もずっとこのやり取りが続けばいいなって思う。


 俺たちがおじいさん、おばあさんになっても。

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嘘つきな彼女に仕返しがしたくて 水上えな @mizukamiena

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