ヒューマノイド2020

向日葵椎

ヒューマノイド2020

 2020年夏。私は今バスに揺られている。時刻はもう午後の八時を回っていて、窓の外は道路照明しか見えないほど暗い。自宅がある東京から、盆休みのあいだ帰省するため実家のある北海道へきているのだが、目的地は道北である。すぐには着かない。新千歳空港に到着してからも、札幌へ電車で移動し、そこから高速バスというルートでおよそ四、五時間かかる。

 しかし時間としてはそろそろ到着するはず。文庫本よりも窓の外を眺めるようにしていると、シャッターの閉じきった商店街と鉄道駅が見えてきた。言っておくが、シャッターが全部閉じているのは時間のせいであって、町が寂れているわけではない。これでもこのあたりではかなり大きい町なのだ。バスが駅前に停車し、キャリーケースを持って降りる。

 都内のオフィス街の比ではないとしても、この辺だって夏はそれなりに暑く、夜の静けさの中に生暖かい空気が漂っていた。ここからは歩いて帰れる。本当はコンビニに寄ってから帰りたかったけど、少しだけ遠回りになってしまうし、なにより疲れているのであきらめる。

 商店街とは反対の方向、緑色が多くなる方に十五分ほど歩けば木造二階建ての実家に到着。やっとのんびり休めるという思いで呼び鈴をプッシュすると、どたどたと走ってくる音がして博士が出てくる。

「おかえりハタ! 調子どう? まあ入って入って」

「ただいま」

 博士は私を作った男である。Tシャツとチノパン姿の博士は相変わらず元気いっぱいだ。変わった点といえばいつもボサボサだったショートヘアが今日はサラサラと整っている。まさか私が帰ってくるから? でも博士はそういう人じゃない。私がここで暮らしていたときの日課がある。それは朝昼晩、博士の髪をブラシでとかすこと。

「荷物はきみの部屋か客間に置いてきてね」

 そう言って博士は、左右に伸びる廊下を右へ歩いていった。右側の廊下は突き当りを左に曲がると居間がある。

 では久しぶりに自分の部屋を見にいくことにしよう。最後に帰ってきたのはお正月だから、半年ぶりくらいになる。廊下を左へ進んで、突き当たりを右へ曲がるとドアの並んだ廊下が続いていて、この内の一番手前が私の部屋だ。

 部屋に入って荷物を置く。電気をつけてみたが、最後に見たときからなにも変わった様子はない。おかしい。埃が少しもない。机もピカピカ。博士は自分の部屋すら掃除するはずないのに。

 首をかしげながら部屋を出て居間にいくと、博士は座布団に座ってテレビでサッカーの中継試合を見ている。博士はスポーツ中継が大好きなのだ。個人競技でも団体競技でもなんでも。部屋の中央にあるローテーブルに置いたノートパソコンでメモをとりながら見るのが博士の観戦スタイルで、今日もそれは変わらない。

 博士の向かいに腰を下ろす。

「ハタ、東京の研究所はどう?」、博士がこちらを見て言った。

「いつも通り、になったと思います。この前メッセージで話したように、研究所は完全に在宅勤務の期間を終えているので」

「楽しいかどうかって質問だったんだけど……この前?」

「二カ月くらい前です。博士、毎日メッセージを送ってくるのはいいですが、それでわからなくなっているんです。きっと」

 昨年から世界中で感染が拡大していた新型ウイルスで日本は緊急事態宣言を発令、それから私が働いている東京の研究所では五月いっぱいまで、特別な理由がない限りは在宅勤務となった。

 博士が二カ月前を思い出そうと唸っているとき、居間の扉が開いて、白い半袖のワイシャツを着た青年が現れた。丸いお盆を持っている。

「博士、麦茶ができました」

「おお、ハタヒト! 今ハタ来てるよ。ほら」

「あ。ハタさんだ。おかえりなさい」

 いやいや誰だ? 初めましてだぞ。ハタヒトは柔らかく微笑んで、グラスに入った麦茶を博士の前に置いた。

 それから私のほうを見て、「今、ハタさんの分も持ってきますね」と言い、居間から出ていった。

「博士、私知りません。誰ですかあの人、ハタヒトって」

「まだ紹介してなかったっけ? 完成したんだ、ハタヒト」

「そんな『遊びに来てるんだ』みたいなノリで言われても……それで、どうしてハタヒトさんを作ったのですか?」

「こっちでの仕事をちょっと手伝ってもらいたくてね。それに東京オリンピックが来年になっちゃったからさ。それまでに一緒に応援してくれる仲間が増えたら楽しいかなって」

 博士は麦茶を飲んでそう言った。東京オリンピックは当初予定されていた2020年での開催を、新型ウイルス感染拡大の影響で2021年へと延期したのだ。

「忙しかったなら私に相談してください。私だって博士のお手伝いをするためにいるんですから」

「東京に行ってくれただけでとても感謝してるよ。とても、とっても寂しいけどね。他の人にお願いしてハタが戻ってこられないかってずっと相談してるんだけどさ」

「寂しがってくれるのは嬉しいですが、博士にはもうハタヒトさんがいることですし、東京での代わりが見つかればもう、私は用済みヒューマノイドとして余生を送ることになってしまうんですね」

 顔を手で覆い、しくしくと泣く真似をする。

「違う、違うよハタ。泣かないでくれ。おーい、ハタヒトどうしよう、ハタが泣いてしまった!」

 私は一昨年の七月に博士の研究のお手伝いをするために作られ、最初はここで一緒に暮らしていた。あるとき、研究で忙しくなった博士は東京と北海道の研究所を頻繁に往復するようになるが、この生活により体調を崩してしまう。状況を見かねて、私が東京に住んで博士の代理でいろいろな仕事をするのはどうかと提案をしたのだ。そして研究所から承諾された。博士はとても寂しがったけど。

 ハタヒトが戻ってきた。博士はハタヒトに視線で助けを求める。ハタヒトはお盆をテーブルに置き、博士の隣に腰を下ろしてからグラスを差し出す。

「ハタさん、どうぞ。どうしました」

「ありがとう。これは茶番と言って、博士のお気に入りの遊びです」

 博士はほっと胸を撫でおろし、ハタヒトは胸ポケットからメモ帳とペンを抜き出して「なるほど」と言いながらメモをとる。

「そうそう、ハタヒトさんは私の弟だったんですね」

「そうです。あれ、博士から聞いてませんでしたか?」

「さっき聞いたんです」

 二人で博士を見ると「ごめん」と手を合わせた。

「では、初めまして。弟のハタヒトです。よろしくお願いします」

「姉のハタです。こちらこそよろしくお願いします」

「ハタさんのことは博士から聞いています。もともとここで暮らしていたこと、今は東京の研究所でお仕事されていること、それから食べることが大好きでコンビニの新作スイーツに目がないこと」

 博士を睨みつけると、もう手を合わせたまま頭を下げていた。

「ハタヒトさんは博士の身の回りのお手伝いをしているようですね。博士の強力な寝ぐせに苦労しているのではないですか」

「そうなんです。日に二、三度は整える必要があります。この世界にある興味深いことのうちの一つです」

「やはり姉弟ですね。私もそう思っていたんです」

 そのときテレビから歓声が上がる。ゴールが決まったらしい。どちらも外国のチームで名前は知らないが、シュートを決めた選手はユニフォームを見せつけるようなパフォーマンスをしている。

「博士、そういえばハタヒトさんのお名前はオリンピックの開催年にちなんだのではないですか」

「うん。二十一だからハタヒト。いい名前でしょ」

「そのままじゃないですか」

「シンプルな方がいいんだよ」

 博士はウインクした。私の名前<ハタ>も、2020年の東京オリンピックを楽しみにしていた博士が数字の二十からとったものだ。

「2020年、私の名前の年にオリンピックは開催されませんでしたね」

「ハタ、開催年が2021年になる前から楽しみにしてたんだよって名前さ。なにも落ち込むことはない」

「そんなこと言って、私はもう用済みヒューマノイドなんです」

 顔を手で覆い、しくしくと泣く真似をする。

「違う、違うってハタ。泣かないでくれ。おーい、ハタヒトどうしよう、またハタが泣いてしまった!」

 ハタヒトは胸ポケットからメモ帳とペンを抜き出して「なるほど」と言いながらメモをとった。

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