それでも魔女は毒を飲む
「ベルベット先生、この問題なんですけど……」
「これはあの公式を使うといいわ」
「なるほど!」
あの日以来、『ロゼルタ・ベルベットは実は学生思いの良い人』という噂が流れた。
「先生、杖の使い方でわからないことが……」
「人の腕をへし折るように、人を屈服させるように使うのがオススメね」
「は、はあ」
それからというもの、一人、二人、とロベルタの研究室を訪れる学生が増え、今では講義後の溜まり場と化している。
「この魔法なんですけど……」
「その魔法なら、人間の頭蓋骨を叩き割って髄液を啜り出すような感覚で使うと上手くいくわ」
「ちょっと何言ってるかわかんないです」
多少、というかかなり感性はずれているものの、すっかり毒を吐かなくなったロゼルタは、たちまち女学生たちの人気者となった。元々、彼女は優秀な魔女だ。魔女を志す真面目な学生にとって、その存在はありがたいものなのだろう。
にこやかな表情と口調とで講義を行い、講義後も学生たちと(表面上は)楽しい時間を過ごす。心の内に毒は秘め、綺麗な言葉で着飾って、本音を隠して建前で生きる。これまでの『毒突の魔女』からは、考えられないことだった。
「…………」
そして、以前の彼女からは考えられないことが、もうひとつ。
毒を飲んだ翌日、杖を返却しに来た学生とのやりとりで覚えた、あの妙な感覚。自分の意に反して『楽しみだわ』と呟いたにも関わらず、それがすとんと落ちた、あの感覚。
「…………」
その感覚は、日を追うごとに色濃くなっていった。
毒を吐き他人を遠ざけて生きてきたロゼルタが、初めて覚える感覚だった。女学生たちが笑顔を向ける度に、彼女の心はざわつき、腹の底に貯めた毒に霞がかかっていく。
認めたくない、認めたくはないが――
「どうだい、ロゼ。ちょうど一週間経ったけど。人と関わるの、楽しくなってきたんじゃない?」
この感情を、『楽しい』だとか『嬉しい』と呼ぶのだろう。
「……あら、バロン。騎士団のお勤めご苦労様。今日は女学園の視察かしら?」
「いんや、うら若き乙女たちの麗しい尻を追っかけに来たんだよ。その様子だと、呪いの効果はまだ続いてるみたいだね」
研究室にバロンがいることに、ロゼルタはとっくに気が付いていたので、学生たちが去ったすぐ後に声をかけられても大して驚くことはしなかった。
お前のせいでこんな思いをしているんだ、こんな感情知らなかった、お前のせいで、お前のせいで――
「バロン、賭けのことだけど」
ロゼルタの中に、毒が生じる。
けれどそれは、いつものようにどす黒く淀んだものではなく、幾分か透き通った粘度の低いものであるように感じた。
悔しいが、認めざるを得ない。
賭けには、負けたのだと。
ロゼルタは人と関わる楽しさを覚え、すっかりと『こんな生活も悪くはない』と思ってしまっているのだ。賭けは賭けだ、自分の唇ひとつくらいくれてやろうと、ロゼルタは心の中で白旗を掲げた。
「賭けは、私の――」
「俺の負けでいい」
だが、先に白旗を掲げる旨を口にしたのは、バロンの方だった。ロベルタは突然のことに呆気にとられ、ぽかんと大きく口を開け、目を丸くしてしまう。
「きゃあっ」
その時、ロゼルタの顔に何かが吹きかけられた。顔は濡れ、視界が滲む。服の袖でそれを拭ってみると、目の前には霧吹きのような何かを携えたバロンがいた。
「ちょ、ちょっと何すんのよ。何も詰まってない頭から、とうとう僅かな良心すら消え失せたの?」
「君の毒を解呪する魔法を練りこんだ水だよ。どうやら効き目はバッチリらしいね」
ロゼルタは何度か目をぱちくりと瞬かせ、はっと気づく。自らが心で思ったことが、そのまま言葉となっているではないか。湧いて出てきた毒を身の内に溜めることなく、口から吐き出すことができている。
一週間ぶりの、『毒突の魔女』の帰還である。
もどかしさから解放されたロゼルタは、ほっとすると同時、どこか小さな喪失感を味わっていた。
「……で、賭けがあんたの負けって、どういうことよ」
それを認めたくなくて、ロゼルタは目の前の男の真意を問いただす。その質問自体が、『私が負けていたはずなのに』と自供しているようなものだが、聡明なはずの彼女はそれに気がつかなかった。
「俺はさ、本当に君の幸せを願っていたんだよ、ロゼ」
「はあ」
「この一週間、ずっと君を見ていた。学生たちと楽しく会話をするようになって、君の意識が変わっていくことにもすぐ気が付いたよ」
バロンは自嘲気味に笑って、天を仰ぎ見る。
彼の悪い癖だ、とロゼルタは溜息をついた。饒舌に話しているように見えるが、彼は非常に言い淀んでいる。話の結論を言うのを避け、前置きばかりをつらつら話を続けている時は、大抵そうだ。
「けど、けどさ。俺ってば、自分でも知らなかったけど、どうやら独占欲が強い人間だったみたいだ」
結論を催促するのも面倒なので、ロゼルタはジトッとした視線を彼に向け続けた。それに気が付いたのだろう、バロンも観念したように、ぽろりぽろりと心情を吐露し始める。
「俺以外と楽しそうに話す君を見ていると、胃がむかむかする。毒を吐かずに自らをひた隠しにする君を見ていると、歯がゆい気持ちが湧いてくる。耐えられないんだよ、君のそんな姿を見るのは。。君とキスできる権利を失ってでも、賭けを降りてでも、すぐに君を取り戻したかった」
その心情とは、彼には似つかわしくない、嫉妬心や独占欲といった、薄汚れたものであった。
「ロゼ、俺は君が好きなんだよ。それも、『毒突の魔女』としての、君が。自分を偽って生きていた俺だから、自分を偽らずにありのままで生きる君が、眩しくて仕方がないんだ」
そしてその薄汚れた感情は、透き通った感情に起因するものだと、バロンは語った。
「な、な――」
「ははっ……。初めてだな、ここまで感情のままに話すのは……。それも、汚れた劣情に突き動かされて。でも、不思議と悪くない。君は、いつもこんな思いで言葉を紡いできたんだね」
予想だにしていなかった告白に、バロンから初めてぶつけられる感情に、ロゼルタは大いに戸惑う。愛の告白をされたのは初めてのことではなかったが、それらはすべて毒を吐いて無下にしてきた。
けれどそれができない、毒が吐けないのは、どういうことなのだろうと、困惑する。だがしかし、この一週間で敵意以外の感情を浴びてきたロゼルタには、人との関わりも悪くないと感じていた彼女には、その理由が何となくわかるような気がした。
「……どうでもいいわ、そんなこと」
その理由を自覚するのがたまらなく嫌で、ロゼルタは俯いたまま軽い毒を床へ吐き捨ててみせる。
「私が興味あるのは、賭けの勝敗だけよ。私の勝ちでいいんでしょ?」
「ああ」
「私が勝ったら、あんたのこと、好きにしていいのよね?」
「ああ。君のことだから、『裸で王都を駆けまわれ』とか言うんじゃないかい? 望むところだよ」
どうして変なところで察しがいいんだ、とロゼルタは思わず笑ってしまった。滅多に見せない笑顔を浮かべた彼女に、バロンは『えっ』と微かな声を漏らし、しばし固まる。
今だ、とロゼルタは――
「――ん」
背伸びをして、バロンの唇を奪った。
好きにしていいと言ったのだから、好きにしたまでだ。第一、本来なら賭けは私が負けていたのだし。経験したことのない感情を味わせてくれた礼ってことで。告白されて、まんざらでもない感情だったのは事実だし――
「…………」
心の中で幾つも言い訳や弁解を述べながらも、ロゼルタはそれらを口にすることなく、すべて飲み込んだ。それはまるで、この一週間ずっと自らの中で生まれた毒を飲み干していたように。
「…………」
口八丁なバロンがあとは調子のいいことを言ってくれるだろうと期待して押し黙っていたのだが、そんなロゼルタの予想に反し、バロンは呆気にとられたままだった。
「……何か言いなさいよ。口すら腐り落ちたの?」
その沈黙が耐えきれなくて、ロゼルタは口火をきった。沈黙を気まずく感じるのも、自ら口火をきるのも、以前の彼女では考えられなかったことである。
『毒突の魔女』である彼女をそうしたのは、他でもない、彼女の目の前にいるこの男だ。
「あ、ああ」
その飄々とした男は、ようやくいつもの調子を取り戻してきたようで、にんまりと笑い、肩をすくめながら口を開き始めた。
「よ、ようやくロゼも俺の魅力に気づいたって訳だ。どう? 講義なんてサボってさ、俺の部屋のベッドで二人、愛を語らうとしない? 大丈夫、優しくするし、ちゃんとピロートークできるいい男だから、俺ってば」
もう呪いは解け、名実ともにロゼルタは『毒突の魔女』へと戻ってきた。口を開けばすぐに、毒を吐くことだろう。しかも恰好の獲物と言わんばかりに、気色の悪い台詞を言う男が、目の前にいる。
変態、スケコマシ、女の敵、節操無し、脳内花畑野郎、王国下衆団団長、すぐヤる課の名誉顧問、下半身もげろ――などと毒を吐くことは、今のロゼルタにとって、『毒突の魔女』にとって、難しいことではない。
「……ばーか」
それでも魔女は、毒を飲んだ。
それでも魔女は毒を飲む 稀山 美波 @mareyama0730
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