それでも魔女は息を呑む
「講義を始めるわ。教科書と杖を出して」
ロゼルタが毒を飲んだ数時間後、先ほどとは別のクラスへの講義が始まった。バロンと別れて以降、人とは会話をしていないので、毒の効果とやらは未だにわからない。
よくよく考えれば自分は滅多に人と話さないから毒が効いているかなんてわからないじゃないかと、ロゼルタが拍子抜けにも似た感情を抱いていたその時だった。
「あの……、ベルベット先生……」
先ほどの講義と同じように、教壇へと近づいてくる女子生徒の姿が目に入った。
「なに?」
「実は……杖を忘れてしまって……」
これまた先ほどの講義と同様、杖を忘れた学生がいるようだ。どいつもこいつも魔女を志す意識が低すぎる、杖を忘れるのがブームなのか、色気づくことだけ上手になりやがって――と、心が毒されていくのをロゼルタは感じた。
「出るよ、『毒突』が……」
「さっきの講義で、キャンベルさんがそれはもう毒を吐かれたって……」
それを感じたのか、講堂内が静かにざわめく。
講義中だぞ静かにしろと、ロゼルタの心はさらに苛立った。そういった感情を、心に沸々と湧いて出てきた毒を、いつものように吐き出す――
「仕方がないわね。私の杖を貸してあげるわ。でも気を付けてね? 私の杖は独自にカスタマイズしてあるから、時たま暴走するかも知れないから。怪我なんかしたら大変だから、何か困ったことがあったら何でも私に聞いてね?」
ことが、できなかった。
「え?」
「え?」
思いもよらぬ返答に、女学生は思わず声を漏らす。
そしてロゼルタも、思っていもいないことが口から出て、目を丸くした。
「どういうこと……?」
「『毒突の魔女』がなんかすごい優しいんだけど……」
その困惑は二人だけでなく、講堂全体へと伝播する。
隠す気もないざわめきが反響し、ロゼルタの心は困惑と同時に苛立ちもした。講義中に私語は慎め、その汚い口を閉じろ、騒ぐなら出ていけ――
「あらあら皆、元気がいいのはいいけれど、これから講義だからね。魔法は便利だけども、使い方を間違えれば危険なものにもなるわ。他の講義以上に、集中すること、いいわね?」
という毒は吐き出されることはなく、柔らかな口調と言葉とが、ロゼルタの口から発せられた。目尻は下がり、口角は上がり、善意に満ちた言葉が出る。
これは間違いなく毒の効果が出ていると、ロゼルタはすぐに気づく。眉唾物でしかなかった呪いだが、どうやら本物であったようだ。
そして同時に、底知れぬ悪寒がロゼルタの体を駆け巡った。上ずった声が、思ってもいないことが、相手を思いやる言葉が、自分の口から漏れている。その異質さと奇妙さに、ロゼルタは自らの肌がぞわぞわと逆立つのを感じてしまう。
「はい、私の杖よ。大事に使ってね?」
「は、はい!」
自分の感情と言動が、全く連動していない。
それどころか、真逆の行動をとってしまっている。
その事実にロゼルタの心は大いに苛立ち、五臓六腑が毒に染まっていく。だがそうなればなるほど、彼女の言動は物腰柔らかなものとなっていった。
「それでは講義はここまで。ちゃんと復習するのよ?」
笑顔と温かな言葉を吐き続ける講師に、毒を吐かぬ『毒突』に、女生徒たちは終始困惑していた。講義の終了を告げるチャイムが鳴り、ロゼルタが講堂を出て扉を閉めた途端、大きなざわめきが聞こえてくる。
ふざけるな、あんなの私ではない、言いたいことも言えないのがこんなに気持ちが悪いとは、バロンの奴とんでもないものを、こんなことなら賭けなんて乗らなければよかった――
「…………」
そんな言葉も、ロゼルタの口から出てくることはない。
毒の効果は覿面で、一人で毒を零すことすら許してくれないようだった。
こんな生活が一週間も続くのか、息苦しくて仕方がない、腹の底から湧き出てくる毒を早く吐き出してしまいたい――
「あの、ベルベット先生」
おぼつかない足取りで自身の研究室へ帰り、机に突っ伏してながらそんなことを考えていたロゼルタの下へ、一人の学生が訪ねてきた。
「あら、どうしたの?」
「先ほどの授業で杖をお借りしたまま、お返しするのを忘れていて……」
どうやら、先ほどの授業で杖を忘れた女子生徒のようだ。ばつの悪そうな顔をしながら、震える手で杖をロゼルタへと手渡してきた。
お前さえ杖を忘れなければこんなことには、そもそも魔女見習いが杖を忘れるな、この
「こちらこそごめんなさいね、こんな変な杖を使わせることになってしまって」
文字に起こすことすら憚られるようなことを思いながらも、ロゼルタは笑顔で差し出された杖を受け取る。心と矛盾したその言動も、更に彼女を苛立たせた。
「……私、ベルベット先生のこと、誤解していました」
そんなロベルタの葛藤なぞ露知らず、彼女を訪ねた女学生は俯きながら言葉を紡ぎ始めた。申し訳なさそうな表情を浮かべ、制服の裾をぎゅっと握りしめている。
「ベルベット先生はが他人が嫌いで、それで毒を吐いているんだと、私はそう思っていました。でも、そうではなかったのですね」
そうだよ間違いじゃないよ、とロベルタは叫びたくなった。
「先生の吐く毒は、私たちを思ってのことだったのですね。立派な魔女になるには、自らを律して勉学に励まなくてはならない。その厳しさを教えようと、先生は私たちにあえて汚い言葉を……」
何を勘違いしたかわからないが、女学生はロゼルタの毒について都合の良い解釈をしていく。
違うよお前が言うように私は他人が嫌いなんだよ、魔女の厳しさを教えるのに『娼婦のが向いてるぞ』なんて言うか、毒突くのは私の性分だ――
「ベルベット先生、授業でわからないことがあったら、聞きに来ていいですか?」
そんな毒を吐き出すことも出来ずにいると、女学生はとんでもない申し出をしてくる。嫌で仕方ない、お断りだ、無理、来るな、帰れ、二度と顔を見せるな――
「ええ、喜んで」
息を呑んで返事を待つ女子生徒は、ぱあっと顔を輝かせて、研究室を後にする。
自らに向けられた、初めての笑顔。それは好意以外の何物でもなく、ロゼルタは気味が悪いと思うと同時、また違った感情が芽吹いているのを感じていた。その感情はこれまでに味わったことがなく、何と呼んでいい感情なのか、わからない。
唯一ひとつだけわかったことがある。
「うふふ。彼女が来るの、楽しみだわ」
わからないが、今呟いた言葉は、違和感を覚える程のものではなかった。
毒を飲み込んで出ていた言葉のはずだが、それはすんなりと自分の中に入ってきて、ロゼルタは思わず息を呑んでしまった。
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