それでも魔女は提案を飲む

 思ったことを全て口に出し、自らをさらけ出し、毒を吐き、人を寄せつけないロベルタ。それに対して、心の内は決してひけらかさず、自らのひた隠しにし、着飾った言葉を吐いて、人を寄せ付けてきたバロン。


「いやあ、やっぱり女子高生は最高だね。もう肌のハリから違うや、うへへ。俺も騎士団辞めて女学園で働こうかなあ」


 女生徒たちがロゼルタに一瞥くれて去っていったのを確認するといつもの調子に戻る調子のいい男。一方で、調子は一辺倒で周囲に敵しか作らないと自分。どちらが幸せなのだろうかと、ロゼルタは考えてしまう。


 だが自分には彼のように器用な生き方はできないのだから考えるだけ無駄か、とロゼルタは考えるのを辞め、ぶんと頭を振ってみせた。


「悪かったねロゼ」

「本当よ。あんたの気色悪い口調はいつ聞いても慣れないもの。胃もたれしそうな言葉を聞き続けて耳が腐り落ちそうだわ」

「そんな君にぴったりのものがあるよ」


 ロゼルタの毒をのらりくらりとかわしてみせたバロンは、おもむろに懐から何かを取り出した。ロゼルタは軽く背伸びをしてそれを覗き込んでみると、どうやら水筒か何かの類であるようだった。


「最近冷え込んできたからさ、ホットコーヒーを持ち歩くようにしてるんだ。僕の甘い台詞で溶けてしまいそうなロゼに、苦みをプレゼントさ」

「もう毒突くのも面倒だから何も言わない。ありがたくいただくわ」


 目を細めて歯の浮く言葉を吐き続けるバロンから水筒をひったくり、蓋を開け、飲み口に唇をつける。


「……ん?」


 水筒の身からほのかに伝わる暖かさを掌で感じていた、その時だ。ロゼルタは、奇妙な違和感を覚えた。ロゼルタは飲み口に唇をつけたまま、しばらく思案する。


「バロン」

「ん? コーヒー苦手?」


 眉間に皺を寄せたまま、バロンの名を呼ぶ。

 平然とした表情でロゼルタの顔を覗き込んでくるが、ピクリと彼の眉がひくついたのを、魔女は見逃さなかった。やましいことを隠している時の、バロンの癖だ。二十年来の付き合いとなるロゼルタに、それがわからない訳はない。 



「あんた、盛ったわね」



 疑惑は確信へと変わり、確信は言葉へと変わった。


「さすがにバレるかあ」

「ものすごく巧妙に隠されてるけど、うっすらと魔法の痕跡を感じる。巧妙に隠しているのに、痕跡が残ってるということは、よほど強力な魔法と見るわ。おそらく、呪いか何かの類ね」


 コーヒーからほのかに感じた魔法の痕跡を頼りに、ロゼルタは盛られたものの正体を考察していく。つらつらと言葉を並べている最中に、バロンは『さすがだなあ』と零したので、どうやら正解であるようだった。


「で、何でこんなことしたのかしら?」

「君のためさ、ロゼ」

「はあ?」


 ただ一点わからなかったのは、その意図だ。

 それを問いただしてみると、バロンはあっさりと白状した。がしかし、それはまったく予想外の回答だったので、ロゼルタは柄にもなく素っ頓狂な声を出してしまう。


「俺が盛ったのは、負の感情を持つ言葉を発せなくなる呪いだ。君の毒を消す毒さ。どんなに心の中で憤怒しようと、どんなに腸が煮えくり返ろうと、他人を思う綺麗な言葉しか出てこなくなる、そんな呪いがかけられているよ。自白をさせる魔法か何かを開発してる際にできた代物らしくてね、これは使えると思ってコーヒーに忍ばせてもらったのさ」


 聞いてもいないことを、バロンは飄々と語っていく。それを聞いていると、彼の意図するところがいよいよわからなくなってきて、ロゼルタはますます困惑した。だがその感情すらもお見通しだと言わんばかりに、バロンは続ける。


「なあ、ロゼ。俺は君にも、他人と楽しく時間を過ごす幸福を味わってほしんだよ。君は他人と関わるだなんてごめんだ、言いたいことも言えないだなんて糞くらえ、って思ってるだろう? だから人を遠ざける、悪態をつく、毒を吐く。その悪癖が治らない限り、俺の願いは叶わない」


 年中女の尻を追いかけまわしている、幼馴染のバロンの姿はそこにはなかった。かといって、品行方正を絵に描いたような騎士団長バロン・バルバロッソの姿でもない。


「俺は、ロゼが心配なんだよ。だから、荒療治。毒を制するには、毒だ」


 ひたすらに一人の女を心配する、ただの男の姿が、そこにはあった。


「……それを聞いて、私がそんな物を飲むと思う? イカれた頭もとうとう来るところまで来たようね」

「そうだな。だから、賭けをしよう」


 いつもとは違う幼馴染の様子に少々戸惑いながらも、ロゼルタは毒を吐く。さっさと水筒を返してやろうとしたのだが、バロンはそれを掌で静止して、『賭け』とやらを提示してきた。


「賭け?」

「そそ。この呪いの効き目は一週間。毒を吐かない一週間で、ロゼに『こんな生活も悪くないな』って思わせられたら、俺の勝ち。そうならなかったら、俺の負け」


 その賭けはあまりにも突拍子もなく、くだらないと、ロゼルタは溜息をついた。だがそう思うと同時に、『勝算しかないこの賭けでバロンが諦めるのなら』という気持ちがあったのも事実である。


「私が勝ったら?」


 だから魔女は、一旦毒を吐くのを止め、話を聞いてみることにした。


「そうだなあ……。一日、俺になんでも命令していいよ」

「全然これっぽちもそそられないわね。ちなみに、あんたが勝ったら?」

「一発ヤラせて――」

『地に脈打つ魂よ、地に流れる生命よ。そのかいなで睾丸を握りつぶせ――』

「じ、冗談だから。そのえげつない詠唱はやめてほしいなあ」


 話を聞いた自分が馬鹿だったと、ロゼルタは後悔する。もうどうでもいいと踵を返し、バロンに背を向けた。そのまま自身の研究室へと帰ろうと、一歩踏み出す。



「じゃあ俺が勝ったら、キスしてくれよ、ロゼ」



 だがその足は、ピタリと止まってしまった。

 バロンが調子のいい冗談を言っているのには違いなかったが、今まで彼から聞いたこともない言葉に、ぴくりと体が反応してしまう。


「馬鹿みたい」


 男に縁のない女だと思って、馬鹿にしているに違いない。これはバロンの、一種の挑発なのだ。それがわからないロゼルタではない。だが魔女として、『毒突』として、一人の女として、ひどくプライドを傷つけられたような気がした。


 意味の分からぬ賭けに乗り、得体の知れない毒を飲むなど、利己的ではない。いつものように悪態をついて、追い払うのが得策なのだろう。頭と心では、それを理解している。



「けど、その賭け乗ったわ。私が負ける要素はないし。私が勝ったら、裸で王都を駆けまわってもらおうかしら」



 それでも魔女は、幼馴染の提案と毒を、飲み干した。

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