♠『知ってましたし、言って欲しかったですよ』
「それにしても咲ちゃんはどうして私を誘ったのかしらね」
「聞いてませんか。彼女、幽霊が見えるんですよ」
「は?」
「ま、そういう反応ですよね。ぼくも見えませんし。でも見える平坂はどうしても松野さんとあなたの橋渡し役をしたかったんだそうです」
歩いているうち、こちらに向かって手を振る平坂の姿が見えてきた。もちろん松野さんの姿はぼくには見えない。
「自分で話すって言うから、稲見一人で来てー!」
「だそうです。じきに来ると思うんで、待っててあげてください」
ぼくはそう言い置いて、平坂のところに向かった。
「盛り上がってた?」
「緊張したけどな」
「あんなに話しやすいのに」
「初対面なんだぞ。それにあんな大先輩だとは聞いてない」
まさか御年74歳の東高OBだったとは。
「それにしても……呆けた人は幽霊になっても呆けて出てくるものなのか?」
「人によると思う。でも、松野さんが当時の姿でわたしの前に現れたってのは確かだよ」
1964年の東京オリンピック。そのサッカー大会には、静岡県から三人の選手が出場しているのだが、実は幻の四人目となるはずだった選手がいた。当時藤枝東高の二年生だった松野行次さんだ。残念ながら最終選考の試合で負傷し、オリンピック出場の夢は断たれたのだが。
その後彼は、選手ではなく指導者として地域に貢献していく道を選ぶ。高校教諭の免状を取り、地元静岡で体育教師として、サッカー監督として生きることにしたのだ。
松野選手は今年――2020年の夏を前にして心不全で亡くなった。喪主となったのは高校時代からずっと寄り添った妻の寿乃さん(旧姓:古塚)だった。
「ずっと不安だったんだと思う」
平坂は寿乃さん――誰かと話しているようにも見える――を眺めて言った。
「サッカー選手になれなかった自分の人生に寿乃さんを巻き込んでしまったんじゃないかって。それこそ高校時代の姿で幽霊になって出ちゃうくらいにさ。そんなのは杞憂なのに」
「でも、平坂が頑張ったおかげで、言葉にできそうなんだろ?」
「きっとね」
ぼくは平坂と同じに寿乃さんがいる方を見やる。
――寿乃……ずっと言わなかったが、俺はお前のことが好きだ。
――知ってましたし、言って欲しかったですよ。でも、ありがとう。
相変わらずぼくに彼の姿は見えないけれど、それでもこんなやり取りが聞こえてくるようだった。
オリンピック・レコード mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio
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